69話 やりたいことノート

 しばらくリビングで文ちゃん達を交えて談笑した後、俺は詠に連れられて、彼女の部屋に通された。

 部屋の真ん中に置かれたこたつテーブルに、俺と詠はななどなって座る。


 正方形のテーブルの中央には、これ見よがしに、一冊のノートが置かれていた。

 俺が「これは何?」と質問の声を上げようとした矢先。


「今日はやりたいことノートを作ります!」


 詠が、先んじるようにそう宣言した。


「やりたいことノート?」

「うんっ」

「なにそれ?」

「これから恋人としてやりたいこと、色々と二人で出し合うの。それをリスト化するんだよ」

「はあ」


 今いちピンとこなかったので、間の抜けた返事を返してしまった俺。

 そんな俺に対し、詠は口をとんがらせて、ちょっとだけ不満げにする。


「だって、私も夜空くんもインドア系だもん。積極的にこういうの出し合っていかないと、そのうち毎回、本屋デートか、お家デートになっちゃうよ。せっかく恋人同士になれたんだから、二人で色々な場所にいきたいじゃん」

「あー、まあ……確かに」

「ね。だから、今日は頑張って、二人の希望をリスト化します」


 詠はそう言って右手に持ったシャーペンのヘッドをカチカチ鳴らした。彼女の並々ならぬやる気がひしひしと伝わってくる。

 

「なんとなくやることは分かったよ。ちなみに、いくつくらいリストに書き出す予定?」

「とりあえず、一〇〇個は出したいよね」

「ひゃ、ひゃく!?」

「何か問題がありますか?」

「……いいえ」

「はい、よろしい」


 詠は満足げに微笑んでから、ノートに向き直る。

 それから二人でやりたいことリストを埋める作業が始まった。


「私、動物園に行きたい! パンダとか、カピバラとか、可愛い動物を沢山見たいなあ」

「じゃあ、水族館も、かな?」

「あ、いいね。イルカショーとか、ペンギンの餌やりとか……」


 リストに動物園と水族館を追加。


「遊園地もいきたいなぁ。一緒にジェットコースターとか、観覧車を乗るの」

「定番だね。ちなみにお化け屋敷は? 詠は平気なタイプ?」

「う……苦手」

「はは、じゃあそこはパスだね」

「うー……でも、恋人とお化け屋敷っていうシチュエーションは憧れる」

「そう? 無理して入らなくても大丈夫だよ?」

「ううん、やっぱりお化け屋敷も行く。夜空くんと一緒ならきっと大丈夫」


 俺はいじらしい彼女の様子に、つい頬を緩ませながら、ノートに遊園地も追加した。


「ねえねえ、これ見て!」


 スマホ画面を俺に見せる詠。

 

「なにこれ? ヘンな建物。悪の組織の秘密基地?」

「あはは、そんなわけないじゃん。『角川武蔵野ミュージアム』っていうところだよ。三六〇度本棚に囲まれた『本棚劇場』があって、そこで本棚をバックにしたプロジェクションマッピングとかもしてるんだって! 素敵すぎない? 行ってみたい!」


 詠の瞳がキラキラと輝いている。

 本好きの彼女にとっては夢のような場所なのだろう。彼女は張り切った様子でリストに追加した。


 とまあ、こんな調子で、二人でワチャワチャ話し合いながら、どんどんノートに行きたいところリストを書き込んでいく俺たち。

 気が付けば結構な時間が経過していた。

 

 やりたいことノートには、五〇くらいのデートスポットが書き込まれた。

 動物園、遊園地、イルミネーション、お洒落カフェなどの定番スポットのほか、博物館や美術館など知的好奇心を刺激しそうなスポット。果ては超高級レストランとか温泉旅行など、果たして高校生の身分で行けるのかと首をかしげてしまうような場所まで。

 二人だけの未来予想図が出来上がっていく。


「ちょっと休憩しようか」

 

 二人とも一息つく。加代子さんが持ってきてくれたお茶とお菓子で小休止だ。


「ふぅ……楽しいね」

「ああ、本当に」

 

 俺はお茶をすすりつつ、詠に同意する。

 実際、彼女とこうして、恋人としてあれこれ話し合う時間は楽しかった。

 好きな人と趣味嗜好しゅみしこうを共有して、相手のことを知っていく。それはとても幸せなことだと思えた。


「あ、そうだ!」


 そんなことを俺が考えていると、詠が思い出したように声を上げた。


「どうしたの?」

「大切なイベントを入れるの忘れてたよ」

「大切なイベント?」


 俺が聞き返すと、大きな瞳をぱちりと瞬かせてから詠は言う。


「プール! お祭りはこの間行ったから、夏っぽいところ第二弾!」

「ああ、そっか」

「せっかく一緒に水着を買ったんだから。いかなきゃ!」

「この辺だとどこのプールが近いかな」

「あとで色々調べよ? それにプールじゃなくて、海でもいいし。とにかく夏っぽければ!」


 そう言って、彼女はいそいそとノートに書き足した。

 

 その律儀な様子が妙にいじらしくて、可愛らしくて。

 突然、詠のことを愛しい気持ちが込み上げてきた。

 その気持ちに突き動かされるように、俺は思わず彼女の頭を撫でてしまった。


「ふぇ!?」


 詠は一瞬、驚いたように目を丸くする。

 

 彼女の黒髪はサラサラでしっとり。まるで上質なサテンやカシミヤ生地を撫でているような手触りが心地いい。


「ふふーん」

 

 驚きの表情は一瞬だけ。詠は、すぐに目を細めて、猫のように俺の手に頭を擦りつけてきた。

 

「夜空くんの手、気持ちいい」

 

 詠はそう言いながら、上目遣いで俺を見つめてくる。その表情は幸せそのものといった感じだった。


 詠はそのまま、すすすっと俺のとなりに擦り寄るように移動すると、甘えるようにして、ピトッと肩を寄せてくる。


 しばらくそのまま詠の頭を撫でていると。


「ねえ夜空くん……」

「なに?」

「あのさ、やりたいことリスト……二人で話し合って色々と行きたいところを出し合ったけどさ」


 詠はなんだかモジモジしながら言葉を繋ぐ。


「デートスポットだけじゃなくて、恋人としても……書いていこうよ」

「恋人として――したいコト」


 ん?

 んん?


 思わず詠の頭を撫でる手が止まった。

 

 なんだこれ。このフレーズ。この雰囲気。

 なんかちょっとエッチじゃない?


「た、例えば?」


 急激に高鳴りだす心音をごまかすように、俺は努めて冷静になろうと、詠に問い返す。


「えっと……こうやって頭をナデナデしたり、腕を組んで歩いたり、手を繋いだり……」


 詠の言葉は段々と途切れ途切れになっていく。


「あと……キス……したり……とか」


 キス。

 キス……

 

 キス……!?


 その言葉が俺の頭の中でリフレインする。


「そ、それって――」

「だって、恋人……だもん」


  詠は消え入りそうな声でそう言って、それから顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 その姿はあまりにも可愛らしくて、愛しくて、いじらしい。


「詠……」


 思わずため息を吐き出すように、彼女の名前を口にした。

 詠は、ぴくりと身体を震わせた後、おずおずと顔を上げて、潤んだ瞳で俺を見上げた。


「夜空くん……」


 口許くちもとが、なまめかしく動く。


「私は……今でもいいよ?」

「え……」

 

 見つめあう俺たち。

 心臓の鼓動が加速していく。

 

 そして、詠はゆっくりとまぶたを閉じると、唇を差し出すかのように顔を上げた。


 詠ってこんなに大胆だったんだな、なんて他人事みたいに思いながら。

 俺は吸い寄せられるように、詠のつややかな桜色の唇に自分のそれを近づけていく。


 そして、唇と唇が触れそうになる、そのギリギリのタイミングで。


「やっぱ、今はダメだッ!」


 俺は詠の両肩に手を置いて、彼女を制止した。

 詠はぱちくりと瞬きをする。

 

「どうして?」

「えっと……その……」


 俺は言葉を濁しつつ、視線を泳がせた。


「俺もキス……したいけど。死ぬほどしたいけどッ! なんていうか。人生はじめてのキスだから。詠にとっても大切なファーストキスなんだから。だから……もっとロマンチックなタイミングというか、二人の一生の想い出に残るタイミングでしたいっていうか。ええと」


 しどろもどろになりながら、自分の行動の意図を説明した。

 告白があんなんだったから。

 せめて次の節目のタイミングになるであろうキスくらい、夜景をバックにドーンとロマンチックに……


 これは別に怖くなったとかヘタレたとか、そういう後ろ向きな理由じゃない。

 なんというか、詠に対する俺なりのケジメだ。

 

 いや……待てよ。


 そりゃ俺にとってはファーストキスだけど、もしかしたら詠は違うかもしれない。

 いつだか彼女は異性と付き合ったことはないって言ってた気がするけど、欧米的価値観の持ち主でキスなんて挨拶代わりにしてる可能性も無きにしも非ずだし。

 そんな彼女からしたら今の俺の発言なんて、童貞丸出しのクソザコナメクジセリフに聞こえている可能性も――うおおおおお死にてええええ。


「夜空くん」


 俺が一人悶絶していると、詠が声をかけてきた。

 視線を移すと、その先の彼女は頬をほんのり赤く染めて、優しく微笑んでいた。


「大好きっ」


 その言葉は、俺のハートにチュッとキスをした。

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