第2話

「はぁ。二十九歳になっちまったよ、俺」

 西暦二〇二二年一二月二日零時、を表示する時計を見ながら呟いてしまった。頭痒いな。いや、それよりも寒いな。母さんがそろそろ寒くなるから、布団変えろって言っていたのに、また今度、なんて返事したのはミスだったかもしれない。足から首まで覆うように布団を巻き付ける。エアコンをつけても、部屋が暖かくなるまでには少し時間がかかる。寝て待とうにも、先ほど目覚めたばかりで眠くない。

 とりあえず、体の下敷きになっていたスマホで、漫画を読んで時間を潰すことにした。以前は漫画を立ち読みするために、コンビニに足を運んでいたが、最近はほとんどスマホで読んでいる。驚くべきことに、今の漫画アプリは時間さえ待てば、三週間前の最新話が無料で読むことができる、という太っ腹。便利すぎて一日三時間ほど、数種類の漫画アプリを利用して漫画を読み漁ってしまう。その他の時間はというと、ゲームや動画配信サイトに入り浸り、平均十時間ほど睡眠時間を取る。そんな生活をここ数年続けている。

 年齢が上がるにつれて、一般的に社会から求められる姿との乖離に焦りを募らせることはある。でも、明日ぽっくりと生命が終わる危機が訪れることはほとんどないから、この楽で平和な生活を心地が良い。


「お腹すいた」

 重い体をベッドから上げて、部屋の扉の前で立ち止まる。妹の声が隣の部屋から聞こえてくることを確かめて、扉を開ける。昼ご飯のラーメン皿を持って、部屋の目の前にある階段を下りた。ここでもまた、一度立ち止まる。そして、リビングと両親の寝室から、明かりが漏れていないことを確認して台所に入る。

 冷蔵庫には母親の手書きで、今日の夜ご飯はサバの味噌煮、と書かれたメモが張り付けてある。冷蔵庫から、一人分に取り分けられた夕食を取り出し、レンジで温める。温まるのを待っている間に、持ってきた皿をさっと洗う。一緒に食事をしないのであれば、片付けは自分でやること。数年前に、母親と自分の間で食事の取り決めとして決まった。

 夕食をもって部屋に戻り、パソコンの電源を入れる。二九歳になったといえども、生活が劇的に変わらない。そんなこと、この数年の経験で良く知っている。だから深く考えない。そういえば、昨日のアイドル番組見てなかったな。よし、まずそれを見よう。

 

 こん、こんとドアを二回ノックする音と、母親の声で目が覚めた。

「篤宛てに荷物が届いたから、部屋の前に置いとくわよ。ついでに、冬用の掛け布団と敷布団も置いておくから、交換してね。今使っているのは、洗濯ものかごに入れておいてね」

 母親は要件を言い終えたのか、扉の向こうから階段を下りる足音がきこえてくる。机の上に乱雑に放置された眼鏡を取って時計を見る。午後の一時を回っていた。窓から冬の晴れの光が差し込んでいるが、部屋の空気は寒い。喉も乾いた。近くにあったコップに手を伸ばそうと思った時に、スマホの待ち受けが光る。画面を見ると漫画アプリからのポップアップである。

 密かに友人からの唐突な連絡を期待して、メールボックスやSNSを立ち上げてみる。しかし、誰からも誕生日を祝う連絡は届いていない。思い返せば、去年も一昨年も、いや、二十代に入ってから一度も連絡が来たことは無い。

「くだらねぇ。誰も連絡くれるわけ無いだろ。俺なんかに」

 幼馴染や高校の友人、そして過去たった一人いた彼女の顔が思い出される。でも、今の彼らにとって自分は重要な人間ではない。切なさとイラつきを込めて、ベッドにスマホを投げつけた。そして、不貞腐れて再び眠った。


 部屋の扉がドンと叩かれた音で目が覚めた。そして扉の前にいるであろう人物はいら立ちがこもった口調で母親を呼んだ。

「ねぇ、お兄ちゃんの荷物、まだ部屋の前にあるんだけど」

「あら、お兄ちゃんまだ荷物部屋の中に入れていないの。昼に部屋をノックした時は、中で動いた音が聞こえたら起きていると思ったのに。篤、文乃ちゃんが通りにくいって」と母親は優しく、部屋の扉をノックした。

「なんだよ。勝手に荷物とか置いたのは母さんだろ」

 わざと大きな音が出るようにベッドから起き上がり、部屋の扉を少し空け、見えた段ボールと布団類を引っ張った。布団覆われて、全体像が見えていなかった段ボールは予想より大きく、扉で引っかかってしまっている。仕方なくもう少し扉を開き、廊下に顔を出すと文乃と目が合った。扉を叩いたのは妹の文乃なのだから、廊下にまだ文乃がいることは当然である。でも、いざ目が合うと、驚きと気まずさが表に出てきて、先程までの強気はどっかにいってしまった。

「お帰り。荷物邪魔でごめんな」

「うん。ちょっと蹴ったから、中身壊れていたらごめん」

 段ボールの伝票を見ると、精密機器と書いてある。

「まぁ、中身が何かわからないけど。文乃が蹴ったぐらいで壊れる物じゃないだろ。きっと」

「そっか」

 文乃はじゃあ気にしないという素振りをして、隣の自分の部屋に入っていった。久々に文乃に会ったな。文乃は毎日のように、深夜零時を回る頃まで電話してる。漏れてくる音で声は聞いている。でも、面と向かって顔を合わせるのは三週間ぶりである。確かその時は、夜トイレですれ違ったのではっきりと妹の顔は見ていない。まして、先ほどのように、メイクをした状態の文乃を見るのなんて、いつぶりだろう。

 


 荷物を持ち上げると、これまた予想よりもかなり重い。一体、母親はどうやってこれを持って、階段を上ってきたのだろうか。なんとか部屋の中に入れ終え、伝票を見る。品目は精密機器。送り主は見知らぬ会社名。

「株式会社ビスケットね……。いや、知らん」

 日々の衣食住の心配はない代わりに、お小遣いももらっていないから、ネットで物を買うことはほとんどない。懸賞などにも応募した記憶がない。なんだこれ、と不思議に思いながらも、自分宛に届いたのであれば、開封しても文句は言われる筋合いが無い。そう自分に言い聞かせながら、段ボールを開いた。中身は伝票の記載通り、精密機器らしきものが、厳重に緩衝材が巻かれて入っていた。


「説明書っぽい書類一式と、タワーパソコンと、なんだこれ。ヘルメット?」

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