君と眠らずに語りたい
宮古 宗
第1話
霞が関で行われていたイベントは終盤に差し掛かっていた。司会の男性が質問を募集すると、参加していた高校生とその親のうち数名がまばらに手を挙げた。イベント内で紹介された取り組みについてより詳細な情報を求める人。個人的な状況を考慮した助言を乞う人。主催者側の職員たちは嫌な顔一つせずに、それらの質問に回答していく。
質疑応答が始まってから十分を過ぎたころになると、手を挙げているのはとある少年一人となった。少年の右手は中途半端に指が開いて、頬の位置までしか上がっていない。司会の男性は少年の顔を覗き込むように注視して、ようやく、目が合った。マイクを渡された少年は、言葉を詰まらせながら、ぼそぼそと話し始めた。
「あの。実際のところ、皆さんは当事者なんですか」
少年は顔を上げて、参加している職員を一瞥した。
「いや、その、だって。厚生労働省で働いているってことは、皆エリートだし。そんな人の家族の中に、ひきこもりなんていない可能性が高いと思うんですよ。そんな人たちが、僕らや家族の気持ちを理解できるのか、って思って。仕事で仕方なくやっているだけで、本当はひきこもりなんて生きてる価値無いとか、情けないとか、下に見てるのかなって」
少年の口調はどんどん早く、そして激しくなっていく。困惑の表情を浮かべていた隣の母親は、ついに少年からマイクと取り上げた。そして、その場で深々と頭を下げ、職員に謝罪した。参加者の視線がその親子に集まり、司会者でさへも言葉を発せず、数秒が流れる。すると、ある女性職員が手を挙げた。
「私の兄はひきこもりでしたよ。それも十年も。確かに今ここにいるのは仕事ですが、ひきこもりの方のことを情けないとは考えていませんよ。ひきこもりであった当時の兄に対しても、私は、情けないではなく、心配の気持ちの方が強かったです」
女性職員は少年の目をまっすぐ見つめたまま話した。見つめられた少年は自分の足元へ視線を落とし、両手を揉み始める。そして少年は再び顔を上げ、口を開いた。しかし言葉は発せずに、静かに腰を下ろした。
「私はイベント終了後も会場にいます。ですので、他にも話したいことがあれば、お声かけください。もちろん、お母さまも一緒で問題ありませんよ」
では、と女性職員は発言を締めた。司会の男性は女性職員と少年、それぞれの顔を確認すると、改めてイベント終了に向けて舵を切った。
二時間のイベント終了後、職員たちは素早く会場の撤収作業に入る。
「あの、さっきはすみませんでした」
女性職員が後ろを振り向くと、そこにはあの少年が立っていた。
「謝らなくて大丈夫ですよ。声をかけてくれたってことは、もう少しお話したいと思ってもらえた、ということでいいですか」
「はい」
少年は小さく頭を縦に振った。その後ろで、母親は深く頭を下げている。
「ちょっと私、撤収作業抜けても大丈夫ですか」
女性職員は、近くでパイプ椅子を畳んでいる小太りの男性職員に声をかけた。男性職員は問題ないよと右手の親指を上げた。
「では、会場を出た場所にイスがあるのでそこでお話しましょう」
女性職員は出口に向かった。その後ろを少年もついていく。会場の外に出ると、施設のエントランスの窓からは午後の暖かい光が差し込んでいた。エントランスには来客用のイスやソファが向かい合うように置いてある。女性職員は一番近くのソファに腰を下ろした。
「どんな話をしましょうか」
「さっき話していた、お兄さんの話を聞きたいです」
「そう改まって聞かれると、面白く話せるかな。兄の話のどこが気になりましたか」
「十年ひきこもった、って言いましたよね。過去形で。じゃあ今は、引きこもっていないってことですか」
「はい」
「どうやって良くなったんですか」
「うーん、良くなったか。そもそも、私は部屋に籠っている状態を悪いって表現して、その状態でなくなったことを、良くなるって表現する。それ自体があまり好きではないです」
「はぁ」
「誰だって、部屋に籠って自分を守りたい時があると思います。それなのに、その状態のことを悪い、って表現するのは何故なんでしょう。だから私は良くなる、ではなく、次に進むとか動き出すとか、そういう言葉で表現したいです」
「はぁ」
「それで、私の兄が次に進むようになったきっかけが何か、って話でしたね。私も気になって兄に聞いてみたんです。本人曰く、ゲームだそうです」
「……ゲーム? え、ゲームやって良くなったんですか。むしろ引きこもる原因になるんじゃ、って思うんですけど」
少年の顔や反応を見て女性職員はくすりと笑い、もう一度はっきりと言った。
「はい。私の兄がひきこもりから立ち直った理由は、ゲーム、です」
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