シンに手を引かれて歩くと、先ほどまでの地面のぬかるみや周囲の暗闇が嘘のように気にならなくなった。まるでよく晴れた日に自分の家の庭を散歩するような安心感に驚いた。


 しばらくすると、洞窟の入り口のような穴にたどり着く。通常の洞窟のように岩で出来ているのではなく、樹木や蔦が絡まってドーム状になっているようだった。


「ここ、僕の家なんだ。ようこそ、アメリア」


 いたずらっぽく笑いながらも、シンは王侯貴族のような礼儀正しい所作でアメリアを招き入れた。まるで小さな子供になってを楽しんでいるような感覚に、アメリアは自然と笑みがこぼれた。


 入ると中は外から想像していたよりずっと広く、天井もはるかに高かった。そしてほんのり明るかった。


「ここは……どうして明るいの?」

「さあ、なんでかな。ずっとこうだよ。外は真っ暗なのにね」


 二人は地べたに腰を下ろした。その時アメリアが足に擦り傷が出来ていることに、シンが気づいて声をかける。


「どうしたの、それ。転んだ?」

「え? ……あら、ほんと、怪我をしてるのね、私」

「アメリアはおっちょこちょいなのかな」


 上から転げ落ちたことを言っていないからか、シンは面白そうに笑う。否定しきれないアメリアは拗ねて頬を膨らませると、シンが傷口に手を伸ばした。


「ちょっと待ってて、治してあげる」

「え?」


 驚くアメリアの前で、シンは普段アメリアが他の人に治癒を施すと時と同じような要領で何かを念じ始めた。アメリアの傷の辺りがほんのり温かくなる。そして見る見るうちに怪我が治った。


「治ったね。もう大丈夫だ」

「あ、ありがとう……。あなた、治癒能力があるのね」

「うん。と言っても自分のことは治せないけどね。たまにここに来る動物や、折れた枝を直すことがあるんだ」


 アメリアは更に驚いた。


「私も」

「……え?」

「同じ。私も治癒能力があるの。だけど自分の怪我は治せない」


 そもそも異能力とはそういうものなのだろうか。オットーは山崩れを予言したが自分の未来は分からないのだろうか。

 そう考えたアメリアの前で、シンはプーっと吹き出して笑った。


「ほんとだ、同じだね! 髪の色も目の色も同じ。そして能力も同じ。不思議だな、僕たち、本当はきょうだいなのかな」


 アメリアは、まさか、と冗談だと思って笑い返そうとしたが、シンは急に真剣な顔になる。そうすると本当にトーリアで見た変化したヘリオス像とうり二つに見えた。


「さっき、真っ暗な中でどうしてアメリアに声をかけたと思う?」


 シンがアメリアの頬に手を伸ばす。その手は本当に人間かと疑うほど冷たくて、アメリアは驚いて身動きが出来なかった。


「君だけ、光って見えたんだ。こんな真っ暗な森の中で、どこからも光なんて差し込まないのに不思議だよね。でもだから、君を見つけることが出来た」

「……光って?」

「うん。ここに誰か来たことなんて一度もなかった。もしかしたら来た人がいたのかもしれないけど、僕は誰にも会ったことがない」

「……ずっと?」

「うん」

「ずっとって、……生まれてから? お父さんや、お母さんは?」


 最初と同じようにアメリアの髪をくるくると指で弄んでいたシンの動きが止まった。


「そんなの、いないよ。僕も、僕がいつからいるのか分からない。もうずっと……ここにいる」


 そう言って横を向いたシンを見ながら、アメリアは父王から聞いた物語をもう一度思い出した。


(もし、シンがあの物語に出てくる神に愛された少年だったとしたら……。ううん、そんなことあり得ないけど、もしそうだとしたら、気が遠くなるほど長い間、ずっとここに一人でいるのかもしれない)


 神すら入ってこられないほど闇に覆いつくされた森に、自分が望んだわけでもないのに閉じ込められた少年。

 本当に親がいないということはないだろう。だがその存在すら忘れてしまうくらいの長い時間が経っている、ということだろうか。


 じっとシンを見つめ続けているうちに、彼がどこの誰で、どれくらい長く一人なのか、などどうでもいいことのように思えてきた。


「それは……寂しいわね」


 アメリアの口をついて、そんな言葉が出た。シンは少し驚いたようにアメリアを振り向いて、最初と同じような笑顔に戻る。


「今は寂しくないよ。アメリアがいるからね」

「でも、私は……」


 帰らなきゃいけないから。

 そう言えばきっとシンは寂しがると分かっていて、しかし黙っているわけにはいかない。だからアメリアが意を決して告げようとしたとき、シンの冷たい唇がアメリアのそれと重なった。


「……っ!」


 驚いたアメリアが目を見開いた時、森が揺れた。

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