二十八

 それにね、と言ってアメリアは恥ずかしそうに眼を逸らす。


「私、あの日のこと、ちゃんと覚えてるんだけど?」


 上目遣いで意味ありげに見つめられ、一瞬ステラは何のことかと首をかしげる。


「ひどい、忘れたの? 私にとっての記念日だったのになぁ、普通に人と会話出来た、あの日」


 ステラの記憶が急速に遡る。ニコルとアメリアが会議所で談笑していた姿に衝撃を受けた日。興奮冷めやらぬアメリアがサイモス王の生前の意向を話してくれた日。そして。


 最後の記憶に行きついたアメリアは顔を真っ赤にし、自分の口を手で押さえた。その仕草でアメリアは意図が通じたことを悟る。


「あれは……友達のキスじゃない、わよね?」

「あ……、ああ、それは……、うん」

「はっきりしないのね」

「いや、その……あの時は私も箍が外れていたというか」

「なにそれ、勢いってこと?」

「違う! それは絶対にない! だけど……」


 無論、自分の気持ちは今も昔も変わらない。だが覚悟という意味ではあの時と今は比べ物にならないと言いたかった。

 言い訳と説明のどちらとも言えない繰り言を続けるステラにアメリアは笑った。


「分かってる。私も……ステラと同じ気持ちだって言いたかったの」


 だけどね……、と、アメリアはまた表情を翳らせる。


「私はこれから、私個人の幸せなんて考えられなくなると思うの」


 そう言って、丘からギレームの街を見下ろす。その目はギレームだけではなくメラルド全てを見渡しているかのようだった。


「その私の一番傍にいてもらうことは……ステラの幸せも諦めてもらわなければいけなくなる……」


 アメリアはその矛盾が一番辛かった。


 ステラが自分のそばにいて支えたいと言ってくれる言葉に嘘はないだろう。自分もそれほど心強く嬉しいことはない。だが反対に、個人としての幸せは永久に諦めざるを得ないことも意味していた。


「私にとってもステラは大事なの。だからあなたには幸せになってもらいたい。なのに……」


 ふいにアメリアの脳裏に父王の面影が浮かぶ。王妃をその手で処刑し、以降妾妃も含めてただの一人の妃も持たなかった父。

 もしかしたら今の自分と同じ矛盾を抱えていたのだろうか、と悟った。


(私もお父様のように……孤独は一人で背負っていかなければならない)


 決して忌避するつもりはないものの、突然自分の目の前に伸びる道が真っ暗闇に包まれて見えた。

 

 ぎゅっと芝生を掴むアメリアの手の上に、ステラの手が添えられた。


「さっきから言ってるけど、まだ分かってないんだね。私の幸せはあなたの一番傍にいることだ。少しも矛盾しないんだ。今ここでこうしていることもね」

「だけど……」


 自分が普通の、安泰な王位継承者ならそうも言えたかもしれない。だが今は王城から逃れ、死んだとされて、呪いの伝説を背負って、存在が知られたら討手が放たれるかもしれない身の上なのだ。だのにその全てを覆し、弟と叔父の失政を正そうと、自分が弟に変わって王位に就こうとしている。


 茨どころか戦場そのもののような道行きに、一緒に来てくれと言っていいのだろうか。


 無言で思案をを続けるアメリアの頬にステラは手を当てる。


「大分治ったと思ってたけど、言葉にしないで一人で考え込む癖、変わってないね」


 そして立ち上がり、勢いに任せてアメリアを高々と抱き上げた。


「どんなに厳しい道だって一緒に歩くよ。あなたを守って、あなたを一人にしない。絶対にあなたをあるべき場所へ連れていく。その役目は他の誰でもない私のものだと言っておくれ。それが私の幸せなんだから」


 アメリアは再び涙を浮かべ、ステラの首にしがみつきながら何度も頷き返した。


◇◆◇


 ひと段落してから、アメリアはまだ何か言いたそうにもぞもぞし始めた。


「あの……ステラの覚悟を聞いてすぐっていうのもあれなんだけど……、実はちょっと困ってるっていうか、悩んでるっていうか、誰にも言えないっていうか……」


 ステラはアメリアの口幅ったい物言いに笑いを禁じ得ない。これ以上何を遠慮するというのか、と。


「今後、私に隠し事をするのは私への信頼がないせいだと解釈するよ。今あなたが言えずにいる理由もそういうことでいいんだね?」

「ち、違うの! そうじゃなくて……」


 すう、と息を吸って、じゃあ言うわ、とアメリアは覚悟を決めた。


「この前、お御堂でね」


 そしてアリオス像が変化したときの話をした。さすがのステラも驚きで言葉が出なかった。

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