二十七
ステラの言葉を聞いて、アメリアはあの時のことを思い出していた。
◇◆◇
幼かったあの日。
一人自室で絵本を捲っていたら、音も立てずに近づいてくる影があった。
普段から人一倍警戒心を強めながら生活しているアメリアだからこそ、寸でのところで気づけたのかもしれない。
驚いて振り向いた時、その影はアメリアよりもっと驚いた。まさか気がつかれるとは思わなかったからだった。
だがその影の驚きは、アメリアには鬼の形相に見えた。
(逃げなければっ……!)
全力で危険を回避し、部屋中を走り回る。息が苦しい。声も出ない。自分だから出ないのか、恐怖が極限に達すると声は出ないものなのか、無論幼いアメリアには分からなかった。
走り回るアメリアが部屋中の調度を倒して回る。その音を聞きつけたステラが駆け込んできてくれた時、アメリアは一筋の疑いもなくこう思った。
(助かった……)
ステラでなければ、気づかなかっただろう。ステラがいたから、自分は殺されずに済んだのだ、と。
◇◆◇
思い出から戻って来たアメリアは、じっとこちらを見つめるステラを見つめ返した。
幼いころからずっとアメリアのそばにいて、守り続けてくれた人。
感謝とか、尊敬とか、友情とか、そんな言葉を当てはめることすらできないほどのものをずっと受け続けてきた。
そしてそれはこれからも続くのだと、今のステラの言葉が伝えてくれた。
アメリアは体の向きを変え、正面からステラと向き合う。そしてくすりと微笑んだ。
「分かってる」
「……え?」
「ステラがとっても私を大事にしてくれていること、分かってる。ずっとそうしてくれてたもの」
「アメリア、私は」
「だけど」
先ほどの微笑みは掻き消え、アメリアは今にも泣きだしそうに顔をゆがめた。
「ステラが私にしてくれているようなことを、私は返せない……」
そう言って俯いた。膝の上で握りしめたアメリアの手の甲に雫が落ちる。
ステラはその手を取り、額に押し戴いた。
「私はお返しが欲しくて言ってるんじゃないよ。私は……アメリアのそばにいられたらそれでいいんだ。だけどね」
ステラが顔をあげると、瞳一杯に涙をためているアメリアの顔がすぐ近くにあった。
澄んだ湖よりもっと深く美しい青い瞳。本当なら太陽の光を跳ね返して輝いているだろう銀の髪。
どちらもこの世の何よりも美しいと思っている。アメリアのそれを罵る声を聞くたびに全てこの手で斬り捨てたいと思う心を必死でねじ伏せ、その怒りの分もアメリアを自分こそが守るのだと誓い続けてきた。
だから。
「だけど、私はあなたが思っているよりずっと我儘なんだ。あなたのそばにいたい、あなたを守りたい。そして……その役目を、私だけに与えてほしいんだ」
アメリアは驚いて目をぱちくりさせる。溜まっていた涙が大粒の玉になってすべらかな肌を転がって落ちた。
「先王陛下があなたの王配を決めるとおっしゃったとき……、私は目の前が真っ暗になった。王配が決まれば、私の役目はその方のものになる。私はもうあなたを一番傍でお守り出来ない」
自分は何を言っているんだろう、とステラは他人の言葉のように自分の言葉を聞いていた。だが思うそばから、それが自分の心の一番奥底にあった本心なのだと納得も出来た。
「私は心のどこかで、今こうなっていることを喜んでいるのかもしれない。勿論、あなたを勝手に亡き者にしたユーグレス殿下のことは許せない。けれどもう、あなたを失うかもしれないと思って夜も眠れなくなることは無いから」
つい言わなくていいことまで口走ってしまったことに気づいて、ステラはハッとする。慌ててアメリアから手を離すが、その行動で今度はアメリアが落ち着きを取り戻したようで、再び穏やかに微笑んだ。
「そんなこと考えていたのね」
「ごめん……自分の願いが間違っているって分かってるんだ」
「間違ってなんかないわ」
恥ずかしいのか恐れなのか、距離を取ろうとするステラの手を今度はアメリアが握った。
「私もあの時は怖かった。夫なんて……一度も考えていなかった。だけどあのままならいずれそういう人を決めなければいけなかったわ。ステラより」
アメリアは握った手に力を込めた。
「あなたよりも私を大事にしてくれる人なんて、いるわけないのに」
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