創作ハロウィーンウィーク

魔除けを無効化する呪文

 すっかり空が濃紺につつまれた午後7時。家々の戸口で、中身をくりぬかれたかぼちゃが揺らめくオレンジ色の光を放っている。


「わあ、ベイツのドアのところにお化けがいる」


 隣を歩くコハルが馴染みの喫茶店のドアにぶら下げられたぬいぐるみを指さして楽しそうに笑う。私より頭半分は低い位置にある彼女の柔らかそうなアッシュブロンドの上には、その髪によく馴染む同色の獣耳。ただし、首から下は飽きるほど見た学生服にコハルが愛用しているミリタリージャケット。仮装と呼ぶにはあまりにお粗末だが、違和感が仕事を放棄してくれているおかげでなかなか様になっていた。


 今日はハロウィーンである。テラスドハウスやパブ、書店などはデフォルメされたコウモリや月で飾られ、道路を封鎖して歩行者天国にしたアカデミー前は、思い思いのコスチューム――魔女や悪魔、ハロウィーンとは無縁のキャラクターのものまで! ――をまとった人々でにぎわっていた。


「私、この街のハロウィーンって好きだな」コハルは言った。「異世界か夢の中にでもいるみたいで……とにかく、現実じゃないみたい」


 宇宙を閉じ込めたような青い目を輝かせながらうっとり話すコハルに、ただ小さく笑って同意した。私もこの少し日常から乖離した特別な雰囲気が好きだった。それはまるで、小さい頃に台風でひどく荒れている外を平和な部屋の中から眺めているときに味わった高揚感に似ていた。


「マミも何かハロウィーンらしい恰好すればいいのに」


「頭に耳を生やしただけの君がそれを言うか」私は苦笑した。「それに、仮装ならすでにしているよ」


「え、どこが?」


 いぶかしむような目を向けるコハルに、口の端を人差し指で引っ張り口内を見せた。


「わ、すごい牙。君って吸血鬼だったの?」


「その通りだよ、仔犬ちゃん」


「いやこれ人狼なんだけど」コハルは少し頬を膨らませた。どれだけ好意的に見積もってもせいぜいラブラドールの仔犬にしか見えない。「ていうか、それじゃあ誰からも見えないから意味ないでしょ」


「意味はあるさ」


「えー?」コハルは困ったように眉尻を下げながら笑った。ささやかな非難だ。


「自分の他に誰も知らない、というのもスリルがあっていいものだよ」


「そうかなあ」


 まあいいけど、と急にどうでもよくなってしまったらしいコハルの一言でこの話題は終了した。


 たいていの場合コハルは親切なのだが、時折とんでもなく気まぐれになった。人間というのは不思議な生き物だ。だからこそ、私は彼女のことをもっと理解したくてたまらないのだ。


 ゴシックな衣装につつまれた少女たちを避けながら、コハルと私はゆっくりと通りを進み続ける。ハロウィーンらしい不気味でかわいらしい飾りつけを眺めたり、キッチンカーに立ち寄ってちょっとしたお菓子を買い食いしながらも、着実に目的地に近づいていた。


「思ったより混んでて時間かかっちゃうね。もう料理冷めちゃってるかな」


 コハルは心配そうに左手に下げた紙袋に視線を落とした。おかげで行き違うゾンビ少女とぶつかりそうになり、間一髪のところで私は彼女の右腕を引いた。


「君の家までなら大丈夫さ。それに、もし冷めていてももう一度温めなおせばいいだけのことだよ」


 テイクアウトの料理の温度よりも彼女の方が心配になり、私はそのまま手を滑らせてコハルの手を握った。一瞬びくついたが、コハルは特に抵抗しなかった。


 さらに進む。目的地であるコハルの家まで恐らくあと7分。柔らかく小さな手が心地いい。急ぐ必要はない。


 * * *


 コハルの住むテラスドハウスの玄関前では、楕円のオレンジが温かく迎えようとしてくれていた。ただし無言で。


「ここにもかぼちゃのランタンが」


「ああ、そういえば管理人さんが頑張って掘ってた」


 言いながらそっと手を放し、コハルは4段程度の階段を上って玄関ドアの前に立ってセンサーに指紋をかざして開錠する。その様子を、私は階段の手前から見上げていた。無駄な抵抗をする気は端から無いのだ。


「あれ、入らないの?」


 ドアを開けて振り返り、階段を上らずにいる私をコハルは不思議そうに見下ろした。私はにやりと、わざと牙を見せるように笑った。


「君の口からいつものが聞きたいな」


 コハルはやれやれと首を振った。よくも飽きずに毎回……と、その表情は雄弁だった。


「どうぞお入り、吸血鬼さん」


「ではありがたく、お邪魔します」


 ようやく足を上げることが叶い、階段を上ってコハルの領域内に入った。


 コハルが私を招き入れたのだ。

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世界は百合とロボットでできているっ! 佐熊カズサ @cloudy00

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