そうだ、廃都へいこう
冷たく湿った風は黴の匂いがした。
火曜日、午前6時。私は噂を頼りに、中枢から少し東に外れたところにある廃都を訪れていた。SNSの極めて狭いコミュニティで囁かれている、廃都にはロボットに関するアーティファクトが眠るという噂だ。
そのアーティファクトの機能や形状、眠っている具体的な場所についてはいくつもの主張が飛び交って混ざり合い、すでに輪郭はぼやけていた。くだらないガジェットかもしれないし、世界の真理を知る有能なコンピュータかもしれない。瓦礫の下に埋もれているのかもしれないし、塗装が剥がれかけている電話ボックスそのものがアーティファクトなのかもしれない。もしかしたら、初めから輪郭などないのかもしれない。噂とはそういうものだ。
それでも、私はそのアーティファクトの存在を信じている。
水たまりを避けながら、かつては車道だったらしいひび割れたコンクリートを、薄くなってほとんど見えない車線に沿って慎重に歩く。濃霧が廃都を満たして光と色を奪っている。バックパックから懐中電灯を取り出して、スイッチを入れた。霧に光が反射した。どこかにあるはずのアーティファクトを見逃さないように、光を向けて隅々まで観察する。乗り捨てられて助手席の窓ガラスを失った四駆の中、積み上げられたコンテナの影、今にも崩れそうなビルとビルの隙間。
乱立する廃ビルの1つになぜだか目が止まった。直感に従ってそのビルにまっすぐ向かい、ドアの前で立ち止まった時にようやく気がついた。ドアがドアとしてまともに機能しているのだ。
ドアを押し開けて中に入った。ここもやはり冷たくて湿っていて、黴の匂いがした。しかし霧はない。光は真っ直ぐに突き当たりまで届いた。
当然だが、エレベーターは使えない。エレベーターを通り過ぎて階段を上る。崩れていないところを選びながら足を置き、用心しいしい時間をかけて上り切った。
目の前に現れたドアは、開きっぱなしで下の蝶番が外れていた。プレートは文字が剥がれて読めなくなっている。懐中電灯の光を入れて中を探る。会議室と書庫の中間のようで、壁際には重みで壊れた本棚、その下には分厚いハードカバーが何冊も散らばっている。部屋の中央には白い長机が向かい合わせに設置され、デュアルモニターのデスクトップが中央に居座っていた。
部屋の奥が気になり、片足だけ踏み込んで対角線上の角を照らす。と、硬質な鈍い光が自らの存在を主張した。
ロボットに関するアーティファクトかもしれない。
本を踏まないように避けながらそれに近づく。しゃがみ込んで懐中電灯を当て、まるで超小型の無人戦車のようなそれを観察する。
よく見るとそれは戦車と呼べるほど格好のいい代物ではなかった。20センチ四方のブラウン管テレビに三角クローラを取り付けたような、不細工な代物だった。シルバーのボディには塵がまだらに積もり、迷彩模様を描いている。手で払い落としてやるとロゴらしきものが現れたが、部分的に削れていた。そうでなくても見覚えのあるロゴではなかった。
これこそが噂のアーティファクトではないか。
私は懐中電灯を口に咥え、アーティファクトを持ち上げた。なかなかに重たいそれを抱えて部屋を出て階段を降り、肩でドアを押して建物の外に出た。
それを地面に下ろし、懐中電灯をバックパックにしまいながら上から眺めた。靄の向こうから届く自然光の下で見ると、より一層古ぼけた感じがした。薄暗がりの下では確認できなかった細かい傷や錆に、過去に失われた未知の機能の可能性を想像していると、アーティファクトはゆっくりと動いてひび割れたモニターで見上げた。
ザラザラした緑色の文字が黒いスクリーンの真ん中に小さく現れた。
『生体反応アリ』『外傷ナシ』
表示されては消え、2つの文をリピートさせる。
どうやらアーティファクトのどこかにセンサーがあり、私のことを感知しているようだ。
アーティファクトは同じ言葉を繰り返すのをやめ、次の言葉を表示させた。
『私に着いてきてください』
くるりと向きを変えて進んでいくアーティファクトに、私は着いていくことにした。類似のアーティファクトやそれ以上のものが見られると信じて。
廃都の奥へ向かっているようだった。景色はグラデーションで、廃屋の背は高くなり、塵を被ったがらくたの数は目に見えて増えていった。反比例して、霧は少し薄くなったが、それでも視界は鮮明だとは言えなかった。蔦が這うビル、光らないネオンサイン、錆びついて締まりも開きもしないシャッター。右、左、また左。
がたついたコンクリートを難なく進む三角クローラの後ろをゆったりと40分ほど歩いただろうか、アーティファクトは突然進むのをやめた。何かあるのかと待っていると、くるりと振り返り、新しい文字を表示させた。
『到着しました』『1965』
アーティファクトは交互に表示する。
顔を上げて辺りを見渡すが、今まで歩いてきた景色と大して変わらない。生命の気配を随分昔に失くした建物が道の両側に並び立ち、空気も地面も何もかもが湿っている。周囲には特筆すべきものは何もなく、どこに到着したのか全くわからない。何もかもがわからないままにとりあえず目の前のガレージに入ろうとすると、アーティファクトがけたたましいブザーを鳴らした。振り返ってアーティファクトを見ると、それの足下に鈍い銀色のドアがあった。塵やら瓦礫やらで一部が隠れているが、間違いなく地下への入り口だった。
到着したってここに?
視線で送った疑問にアーティファクトは答えず、ゆっくりと霧の中に姿を消した。
私は追わなかった。
ドアに積もった塵などを足で避けると、型押しされた文字が現れた。しゃがんで読む。
『shelter』。シェルター。
シェルター? 何のための?
考える必要はない。答えはおそらくこの中だ。
私はシェルターのドアを開けることにした。アーティファクトが教えてくれた数字を、ドアについたテンキーで打ち込んだ。ドアを揺する。しかし開かない。もしかしたらと思い凹みに手をかけ思い切り引っ張ると、ドアは何とか開いた。
中の様子は暗くて何も見えない。懐中電灯で照らしても階段が下へと続いているだけだ。
私は恐怖と好奇心を引き連れて階段に足を下ろした。
いつか今日を振り返るとき、この衝動的な行動に疑問を持つかもしれない。今だってよくわからない。もしかしたら、かつてこの都市に暮らしていた人々が何から身を守りたかったのか、無意識のうちに知りたかったのかもしれない。ここ400年は完全に平和だとアカデミーで教わり、ニュースを読み、それが真実であると信じてきたから。
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