可食フリントロックピストルに心を装填
階下でドカン! と派手な爆発音がした。
スパーク音や頭がくらくらするような人工的な匂いは日常茶飯事だが、煙の気配を感じる爆発音には馴染みがなかった。
マグカップの中のレモン汁入り白湯を半分ほど飲んで、さあそろそろ寝ようかとまどろんでいた脳がはっきりと覚醒した。警報機が作動していないことを考えると大したことにはなっていないようだったが、何事もないとは考えられない。スウェットの上にカーディガンを羽織り、様子を確かめるために部屋を出た。
階下の住人には部屋のカギをかけておく習慣がない。気心知れた仲だから遠慮も気遣いも今更必要ない。私はノックも声かけもせずに扉を開けた。
「もう十一時回ってるんだけどいったい何してるの? 上まですごい音したけど……」
本や何かの部品のような機械で散らかった洋室の中央に立つ、オーバーサイズのパーカーの背中に話しかけた。ざっと部屋の中を見るが特に変わった様子はない。散らかってはいるが普段通りだ。
いつもなら質問すれば嬉々として説明してくれる彼女の返事がない。少し心配になって近づくと、セナは珍しく驚いたような表情で振り返った。見開かれて室内のオレンジがかった灯りを受ける灰色の虹彩に、妙な予感がした。
「……何があったの?」
「いや、その……原因はこいつだ」
セナは右手に握った薄汚れて古めかしいガジェットを、重たそうにバランスを崩しながらひらひらと振った。どこかの金具が緩いのかがしゃがしゃと音を立てる。
「それは……ピストル? 随分古そうだね」
「ああ、フリントロック式のピストルだ。従姉が送ってきたものだからレプリカだと思っていたのだが、どうやら本物らしい」
「なるほどね……で、それが?」
「細部が知りたくて色々いじっていたら暴発した」
「ぼ、暴発したって……大丈夫なの?」
「デスクトップの液晶は壊れたが、それ以外はおそらく全て無事だ」
「いや、そういうのもだけど……君自身のことだよ、ケガはない?」
「ああ、私は無傷だ」
「ならいいけど……ところで、どうしてピストルなんか触ってたの? 手入れしてたってわけでもなさそうだし」
セナは困ったように眉を寄せて口をむぐむぐと動かした。何か言いづらい事情でもあるのかと訝しんでいると、セナはくるりと方向転換して作業机からピストルと引き換えに何かを手に取った。
「完成するまで隠しておいてジュリを驚かせたかったのだが……」
そう言って白い板の上に載せられたペンケース程度の成果物を見せた。それは先ほどセナが手に持っていたピストルを縮小して模したチョコレートだった。
「わあ……すごいね、これ。セナが作ったの?」
「ん、ああ……」セナは頬を紅潮させて少し目を伏せた。「ジュリは射撃が好きだろう? だから本当はライフル型のを作りたかったのだが見本が手元になくてね。だから仕方なくピストルで代用することにして、細部を確認していたら弾が込められていて……というのが事の顛末だ」
「なるほどね」
フリントロック式のピストルを暴発させた天文学的確率に考えを巡らせながら、もしライフル型のチョコレートが作られていたら、と想像してみた。それも悪くなかったかもしれない。
「じゃあ、そのチョコは私のために作ってくれたんだよね?」
「……ああ、というかそれはもう伝えたつもりだったのだが」
「そのチョコ、今貰ってもいいかな?」
「え、いや……」セナは戸惑ったように目を泳がせて白い板を身体に寄せた。「これはまだ完成していないし、バレンタインデーは明日だ」
「でも、ほら」と壁にかかった時計を指さした。「もう三十分もしないうちに日付が変わる」
もう暴発はしないだろうが、これ以上何か危険なことが起きては心配だ。セナがこれ以上チョコレートを細工するのを阻止したかった。
「私、セナのチョコレートを一番に食べたいな」
「…………」
少し普段の私より甘い声で言った。耳に入る自分の声が若干気持ち悪かったが、セナには効果があった。彼女は不服そうに未完成のチョコレートをにらみながらも差し出した。
「……来年は完璧なものを完璧なタイミングで渡して驚かせるつもりだ」
来年もチョコレートを作るつもりでいるセナに子供じみた執着心を感じながら、チョコレートのピストルを手に取った。
セナはチョコレートの造形にはこだわりがあるものの味には興味がないようで、コンビニに並んでいる板チョコと同じ味がした。
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