a deadly shot

「この写真を見て」


 氷川カスミが部室の長机にそれを置いたのは空を薄い灰色の雲が覆う冬の日のことだった。室内は空調が効いていて暖かいが、窓ガラスの結露やコートとマフラーを着込んだカスミの赤くなった耳や鼻から外の空気の冷たさが伝わってくる。カスミは写真を机の上でスライドさせながら私の左隣まで移動した。分厚いウールの生地が腕に少し触れて、セーター越しにも冷たかった。


 森月アズサ、桜井ノドカと私はカスミの周りに集まってその写真を覗き込んだ。


 その写真には知らない二人の女性が室内でキスをしている様子が写されていた。一人は肩甲骨あたりにまで届く黒髪に品のいいブラウスを身につけており、もう一人は亜麻色の髪を二つに結んで私たちの所属する――そして今まさに座標を占めている――アカデミーの制服を着用していた。後ろにはクローゼットや本棚が見えることからどちらかのプライベートルームなのだろう。

 

「誰ですか?」


「何だこれ?」


「どこでこんな写真を?」


 口々に質問する私たちに、カスミは防寒具を外して手近なパイプ椅子にかけながらこの写真が彼女の手元に渡るまでの経緯を説明した。


「つい二時間ほど前、ドクに呼び出されて彼女の研究室に行き、そこで彼女からこの写真を渡された。ドクが言うには、この写真の持ち主はこの部の顧問としてではなくイプシロン・インダストリーズの開発者としてのドクに相談に来た女性で、彼女はこの写真のことで誰かから脅されているらしい」


「脅すってこんな写真でか?」カスミの向かいに座ったアズサは不可解な点を探るように写真を睨んだ。「今どき同性愛なんか珍しくもないし法にも触れてない。脅しの材料としては弱いだろう」


「彼女は同性愛者だから脅されているんじゃない。この写真は不貞の現場を撮られたもので、命令に従わなければこのデータを恋人に送ると脅されている。シンプルなゆすりだ」


「なぜ彼女は警察ではなく技術開発者に相談したのでしょう? これは誰が聞いたって立派な犯罪です」


 少し興奮しているのか、アズサの左隣で座らずに椅子の背もたれを掴んで写真に身を乗り出しているノドカがメガネ越しに新緑色の目でカスミを見上げた。あくまでも冷静で落ち着いた普段通りの声色を装っているようだった。


「大ごとになるのを避けたいのだろう。彼女はドクに写真を見せて使われたカメラを特定できるかと訊いたらしい。そこから警察を頼らずに脅迫者を特定できると思ったからドクを頼った。詳しくは教えてもらえなかったが、彼女の恋人はプライドが高い人のようだ。少なくとも、恋人の不貞が自分の価値を下げると考えるだろうと周囲が推測するくらいには」


「それで、この写真をドクがカスミに見せ、カスミがわざわざ私たちに見せる理由は?」


 訊いた私にカスミは意地悪く笑った。


「それは愚問だと自分でも気づいているんだろう、ツムギ? ドクと私で解析をおこなって写真はヒューマノイドを使って撮られたことがわかった。レンズの修理跡やレコードの入り方、フォントなどからヒューマノイドとその持ち主が特定できた」


 カスミの宇宙のような濃紺の目がギラリと室内の青白い光を反射した。


「今日、明日のうちに作戦を立て、明後日にはこのヒューマノイドを捕らえる」


 その言葉が示していることは一つだった。久々のまともな部活動に、心臓の奥が震えるのを嫌でも自覚した。




 翌日、カスミがドクに頼み込んで依頼人の女性を部室に招いた。写真に関する問題が私たちのところに巡ってきたことを説明し、彼女が納得する解決法を提案するつもりなのだと思っていた。しかしカスミの頭には既に作戦があるようで、彼女を呼び出すのにはまた別の目的があるようだった。


 部室のパイプ椅子にいかにも落ち着きない様子で座らされた彼女は角田ヒビキと名乗った。


「あの……ドクター・エイリスからここに来るようにメールをもらってきたのですが、あなたたちはどういった方々なのでしょう……?」


「私たちは特殊諜報部だ」角田さんの右隣に一席分空けて彼女の方に椅子を九十度回転させたアズサが長机に右肘をかけながら言った。「主に協力している探偵事務所から回されるヒューマノイド関連の事件の解決をおこなっている。部長の森月だ、よろしく」


 見るからに困惑した様子で角田さんは曖昧に頷いた。当然の反応だ。私も部外者であれば、アカデミー内にそんな奇妙な組織が存在していると知らされてもすんなりと理解することはできないだろう。


 しかし必要ないと判断したのかこの状況に慣れすぎているのか、アズサはそれ以上この部について説明しなかった。


「君がドクターに相談した問題は私たちに回された。データの回収は私たちに任せてくれ。安心してくれていい、カスミの作戦が不発に終わることは滅多にない」


 机から離れ、窓辺に移動させたパイプ椅子に両膝を抱えて虚空を見つめていたカスミが自分の名前に反応して意識を現実に戻した。


「あなたには作戦に少し参加してもらいたい、角田さん」


 戸惑いの色を強める角田さんにカスミは立ち上がってゆっくりと近づきながら言った。


「わ、私が……?」


「ええ、簡単なことだ。写真の彼女ともう一度会ってもらいたい」


「何のために……?」


「ヒューマノイドをおびき出すために。あなたは囮だ」


 横目で見たカスミの表情に悪びれる様子はなかった。総合的に考えてプラスになるなら多少のマイナスは必要悪だとするのは、彼女の数多くある悪癖の一つだった。


 

 

 カスミが写真を見せた日から二日が経過した。作戦決行の日だ。私たちはくだんのヒューマノイドを捕らえるべく、カスミの作戦に準拠した役割を各々が全うするために指定された場所で待機している。私はヒューマノイドを迎え撃つために、角田さんのアパートと隣接する電子タバコ屋の隙間に隠れていた。彼女は部屋で浮気相手を待っているはずだ。『囮だ』と正面から言われても協力してくれるほど心は善で広くても気まぐれに移ろうのだから、人というのは単純ではない。


 対ヒューマノイド用にノドカが改良した小銃型レーザースタンガンのスコープで広い道路を挟んで向こうの公園を見る。夕陽が摩天楼に沈み、薄暗くなった通りを少しオレンジがかった街灯が照らしている。スコープで切り取ると太陽が傾きかけた頃と変わらないように見えた。


 彼女の部屋は二階の左端にある。カスミが言うには、あの写真はヒューマノイドに公園側の歩道からズーム機能を使って撮られたものらしい。今は歩道に人間もヒューマノイドもいなかった。ヒューマノイドの接近を偵察ドローンが感知して学生寮から無線でノドカが知らせてくれることになっているが、可能なら自分で見つけたい。銃を下ろして通りを見張った。


 ふーっと息を吐いてグリップを握りなおす。いい緊張感だ。背筋がゾクゾクして心臓が高鳴る。銃に触れていると感覚が鋭くなるようで、耳は小さな音を拾い目は弱い光も受け入れ、指先は冷たい鉄でヒリヒリする。神経を尖らせて自分の呼吸に集中していると、


『標的接近中、あと八十メートルでスポットに入ります』


 ノドカから無線が入り、通りに意識を戻すとゆっくりと様子を伺うように歩行する人影を認めた。即座に銃を構え、スコープを覗き込む。すぐにそいつの首筋に印字されているロット番号を確認して、携帯に打ち込んであったメモと照合する。あいつは間違いなく今回の標的だ。


「標的確認、もう撃っても?」


 銃床を右肩に押し当てて引き金を引く指に力を入れる。鼓動は大きく耳に響くが心拍数は正常だ。脈拍に合わせて規則的に呼吸する。


『周囲の安全よし、射撃を許可します』


 その言葉を合図に私は引き金を引いた。反動はほとんどないが、反射的にハンドガードを握る手に力が入った。静電気のようなものがヒューマノイドの額に向かって飛んだ。命中したのだ。


 銃を下ろして肉眼でヒューマノイドの様子を確認すると、ぐったりと力の抜けたヒューマノイドは公園の木陰で待機していたアズサの腕の中だった。彼女がヒューマノイドを横抱きにしてバランスをとったところを確認し、無線で報告を入れた。


「作戦は完了、アズサと私はヒューマノイドを連れて戻るよ」




 数日後、事の顛末を作戦の手早い完遂の余韻に浸っているカスミから聞かされた。


 ヒューマノイドはドクによってスタンが解除されデータは全て消去された。その後、イプシロン・インダストリーズの社員に扮したカスミが持ち主である角田さんの恋人の友人であり浮気相手の雇い主である女性の自宅へ送り届けた。


「全データを完全にデリートしたことを知らせたときの彼女の反応ときたら……まったく、そこいらの犬よりわかりやすい!」


 堪えきれない笑いを漏らしながら話す彼女を見ていると、善いことをすること人が善い心を持っているとは限らないという現実をひしひしと感じられた。

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