第37話 『神辺美玖』
「えーでは、一年三組の総合優勝を祝して―――」
音頭を取るのはなぜか進藤で、そう広くない店内に好き勝手に散らばっていたクラスメイトたちの中心に立っている。
思い思いの飲み物を入れたコップを握ったクラスのみんなに『溜め』が膨らんだところで。
「かんぱい!!!」
「…「かんばーい!!!」…」
弾けた唱和に、あたしももちろん混ざっている。
一年三組の全員が参加する打ち上げ、お疲れ様会、祝勝会。
球技大会のあった週の週末、土曜日に、あたしたちは上土の喫茶店を貸し切っていた。
優勝の副賞として貰った図書カード千円分の倍ほどは一人頭拠出してしまったので赤字もいいところだけど、そんなの気にしてる人はいないと断言できる。
だってみんな、本当に楽しそうだ。
「美玖ちゃんおつかれ~。なに飲んでる~? わたしはねぇ……オレンジジュース!」
「あたしはカルピス。君佳はいつも元気ですなぁ」
まったくどうでもいいコップの中身。とても大切な友人との時間。
球技大会を機に名前で呼び合うようになった人(女子)は多くって、君佳もその一人だ。優勝発表の直後に「美玖ちゃ~ん! うわーん!」なんてちょっとオーバーリアクションで飛びつかれたのが最初で「美玖ちゃん」って呼ばれるから「君佳」って呼ぶようになった。
そしたらなんとなく、他の人も倣ってって感じで、名前呼びが浸透した。
御堂さん。理花。今は清川と進藤と話し合っている。今日の進行組で、どんなこと話してるのかな。ちょっとした催しなんかも準備してるって小耳に挟んだけど。
「んん? ははーん。清川見てる? 乙女だよね~美玖ちゃんは」
「そんなんじゃないって。どっちかというと理花かな、見てたのは」
「理花ちゃん?」
コップを傾けながら、君佳は三人組を数秒注視し「なるほどな~」って一人で納得している。
「ちょっとねぇ、変な勘繰りしてない?」
「してないしてな~い」
してる気が、するなぁ……。
「理花、生徒会入るんだよねって、そういうのちょっと思ってただけ」
「あぁ。……生徒会かー、わたしには縁遠いところですのぉ」
「
「ん? ……あ、それ、理花ちゃん学級委員は辞めるってよ?」
それは、知らなかった。「へぇ」と呟きながら事実を飲み込む。
理花が、学級委員を辞める。生徒会に入るために。
「え、じゃあ学級委員どうすんの? 清川が一人でやるの?」
「さぁね~。そこまでは知らなぁい」
そこで君佳は呼ばれてしまって、あたしの傍から離れてしまった。
あたしは、どうしようかな。
一緒にバスケに出場したみんなとは、球技大会の終わったその日の放課後に、散々遊び倒して話し尽くして、別れ際なんてちょっとみんなしてうるうるしちゃったりしたものだから、今日はそこで集まる気はたぶんみんなない。
適当に話し掛けたり、掛けられたり、しばらくは、多くの人がそうなように出来るだけ色んな人と言葉を交わして、喜びを共有して、上がり気味のテンションに任せて普段より饒舌になってみたり。
合間には進藤の声掛けがあって、競技のチーム毎にみんなの前に並んで「おめでとう」や「頑張ったね」を貰って「ありがとう」を返して。
「一言お願いします」
には。
「えと、みんなの力で勝てました。チームのみんなの力で。だからえっと、嬉しかった! すごく! 楽しかった!」
心から思った事を言ったのに。
「そうじゃなくって~。決勝戦、どうでしたか? 楽しかった?」
丸めた冊子をマイクに見立てて差し出してくる。ずっとそうだけど、ノリノリって感じだ。みんなに感想を求めるのって、そんなにうきうきとするものなのだろうか、って思ってしまうくらい。
そして決勝戦のことを今思い出すと……。
「わわ、真っ赤! だ、大丈夫? 大丈夫そ?」
「あ、うん、大丈夫、なんだけど……」
恥ずかしい!
さすがにあまりに恥ずかしい!
羞恥心が……羞恥心がぁ……。
それはそうだ。あんなことやってしまったのだから。
今日まで、球技大会の翌日から今日まで、あたしは度々この身を捩る恥ずかし責めに遭っている。教室でクラスメイトに訊かれるし、廊下歩いてて知らない人に言われたこともある。
感動しました、とか。うん、そう、よかったね。あたしはね、今になってはただただ恥ずかしいんだ?
あとさ……部内で再現やるのは違うじゃん。いつか、いつかあの先輩はぼっこぼこに負かしてやりたい。これは由衣とも協定を結んでいる。今に見ていろ。
そういう具合に四日も経った今にして、あの決勝戦に触れられることはとてもとてもむず痒いのだ。というか、家の自室で思い出しては盛大に身悶えしてたりする。そのたんびに美紀に「お姉ちゃんうるさい」って言われてる……。
でも今、この機会に、あたしは少し勇気を出す。
言わなきゃいけないことを言う。
伝えなければいけないことを、ちゃんと伝える。
「あの決勝戦は……今はすごく、恥ずかしくも思ってしまっているんだけど……」
元々静かだった場が、静寂まで凪いでいく。あたしの言葉を待ってくれている。
「すごく楽しくって、あんなに熱くなって楽しかったのは……それはきっと全国大会にも、全国でした試合にも負けないくらいで」
性質が違うから、単純な比較が出来るものでも、するものでもないのだろうけど。あの日のあの試合は、間違いなくあたしの中に最大級の輝きとして残った。残り続けていく、と、そう信じられる。
「みんなの……このチームのみんなのおかげです。すごくだから、ありがとうって、いま隣にいる四人に言いたい。君佳に聞いたけど、練習なんかもしてたみたいで……本当に、あたしが……わたしがバスケやるっていう、そんなことのために、球技大会の決勝戦という舞台を、わたしなんか……ううん、わたしのために頑張ってくれて、ありがとう」
言いながら、頭のどこかでは、捻くれ者の小さなあたしが囁いている。「そんな畏まって大袈裟にしないでいいんだよ」って。そんなあたしをデコピンで吹っ飛ばし、あたしはあたしを伝える。
そう。
そうだ。
伝えるならばまず『ありがとう』を。
感謝を、伝えなければ。
なんだか急に腑に落ちた。あぁ今日、帰ったらすぐ言おう。ママにパパに。
ありがとうから、はじめよう。
「そして、そういう機会を……決勝戦を、球技大会を、わたしのチャンスに変えてくれた人たちにも……ありがとう。あなたたちのおかげで、わたしはまた『バスケットボール』が出来ます。『バスケットボール』を続けられる。ほんとうに―――あ」
と、気付いた時には、頬に感じるものがあった。流れていくもの。熱いもの。
どうしよう。
思ってすぐ、聞こえてきた。パチパチ、と小さな音が。
それは決勝戦の最中にも、後にも、聞いたのと同質の音。
そしてそれが聞こえるのは……聞こえてくるのは……。
波紋のように広がる、その中心は。
祝福に囲まれて、とうとう堪えられなくて、あたしは溢れるものを溢れさせるまま。
でもきっと、あたし史上1,2を争うってくらい―――
———晴れやかに笑えたと思う。
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