第30話 球技大会:決勝戦⑤ インターバル
「ひー、疲れたよー」
2分間のインターバルに入ってすぐ、そんな悲鳴が聞こえた。同じような声は白からも青からもいくつも上がっているようだった。
そりゃそうだ。7分は長い。午前の予選や準決勝が10分一勝負だったから、一つの区切りとしては短くなっているが、決勝戦はこれでようやく半分。
ようやく折り返しだ。
そうようやく。そう感じるほどの試合の激しさが疲弊の原因だろう。
神辺美玖、古賀由衣という並の部活レベルさえ超えたところにいる二人が、連携は出来ないまでも個人技として十全にその実力を発揮している以上、同じコートに立っているバスケ部でもない生徒たちの消耗は計り知れない。
バスケットボールの性質上、1対1のマッチアップといっても限度がある。というか、それを邪魔だてしないだけでも素人には難しいのだ。コートの隅くらいまで離れるとか、全くボールに関与しないとか、そういうあからさまな行為をすれば別だろうが、そうでないなら『ドリブルの邪魔をしない』一つとってさえ、速さに翻弄されてしまう。されてしまっている。
「これカンペキ明日筋肉痛じゃんもー」
「わたしはもう足きてるかも。つらたん」
「つらたんって。おばあちゃん出てるおばあちゃん。にしてもこのあと後半ー? やば死ぬ、無理かも」
並べ立てる言葉とは裏腹に口振りは至極楽しそうで、本気で無理などではないとは俺にもわかる。神辺さんと古賀さんを除いた八人とも、表情に疲れは見えても翳りはない。
これなら大丈夫だろう。体力も気力も、試合の最後まで持ってくれそうだ。
多少なりとも練習、コート上に各自がどうあればいいかを練習した甲斐も、少しくらいはあるだろうか。
助太刀くれた遊佐さんにはほんと感謝だ。まさか中高はバスケ部だったなんてなぁ。今回のことがなければ知ることはなかったかもしれない。
俺の知る遊佐さんはトレーナーだから、ずっと陸上をやっていたのだと、なぜだか勝手に思っていた。
俺は出来るだけ公平をアピールするためにどちらのチームにも寄らず、また陰に引っ込むこともせず、コート中央の線上、サイドラインの付近で休憩している。
ストップウォッチを片手に、水筒をもう片手に。はっきり言ってスポドリはめちゃくちゃ旨い。
○
チームの仲間からは少し距離を置いて、あたしは一人で壁に背を預けている。
自分の心臓の鼓動を聞いている。
まだまだ全然、緩やかなリズム。息は多少上がっているけど、苦しさはない。
頭の方は、全然だめ。
古賀さんの鋭さに面食らいっぱなし。木村は木村で、審判である前に木村として見てしまっている。たぶんまだ心のどこかで、いいところを見せたいと思っている。
見たい、って、言ってくれてたもんね。あたしがバスケやるところ。
清川や、クラスメイト、幾人か見かける女バスの人たちの視線も、気にならないと言ったら嘘になる。あのコーチの女性がいないのはよかった。そう思ってしまうこともまた、あたしが試合に集中しきれていない証拠。
高校に入ってすぐ「バスケ部に入った」と両親に嘘を伝えたことを思い出す。「あらそう」そこに言葉を受け取る以外の響きはなかった。興味の色が。きっとあたしが滲ませていたはずの虚偽の気配に、気が付く様子が、何一つ。
別にママとパパを騙したかったのではないし、気を引きたかったのでもない。後者は、それが一番の理由ではない、というだけだけど。
何部に入部したのか、本当に誤魔化したかった相手は美紀で、両親から事実が伝わらないようにするためだけに嘘をついた。
美紀には、言えない。
言えない理由は、わからない。
一番はじめに伝えようとした時、言葉が出なくなってしまったことだけはわかっている。
そんな記憶に連なるように頭の中に浮かぶのは、事実を知った美紀が言っていたこと。
「お姉ちゃん。明日、がんばって。本気の本気で、がんばって」
それは昨日、清川と別れてからかけられた言葉。
○
清川がもうすぐと言った、本当にすぐあと、十秒もしたら美紀はひょっこりやって来た。
「お久しぶりです清川先輩。お姉ちゃん、おかえりなさい」
「ただいま美紀。おかえり」
「うん、ただいま」
セーラー服の美紀はいつもどおりの笑顔で、風に靡いた髪を手で押さえる。あたしより少し長くて、ずっと綺麗な黒髪。
「久しぶり。わるいな急に。さんきゅ。座れば?」
清川が、あたしの左側に座っている清川が、身を乗り出してあたしの右側を目で示す。ベンチに一人分、ちょいちょいとお尻をずらして空けたのだ。
「……そうですね。じゃあ」
考えるというほどじゃないけど間を作ってから美紀は腰を下ろした。
左から清川―あたし―美紀の並び。たぶん一番馴染んだ順番。ずっとそうだったらよかったあたしの両隣りだ。
「あ、コロッケ。私の分は?」
「清川に言って。あたしは美紀が来るの知らなかったもの」
「清川先輩?」
「すまんっ。それは、あれだ、気が回らんかった」
「そですかそですか。ま、いいです。それでなんで急に呼ばれたんでしょう。どこか遊びに行く計画でも立てるんですか?」
三人で遊びに、たまには少し遠出なんてのも、全部を思い出すのは大変なくらいにはしてきた。
「前回はお姉ちゃんたちの高校合格祝いに脱出ゲームに行きましたよね。あむ」
「あ、こら美紀」
あたしの手を取って動かないようにした美紀が、顔を寄せてコロッケに齧りつく。「おいひぃ」なら、まぁ、いいけど。
「そうだな、遊びにか……またいつかそのうちな」
「忙しいですか?」
「普通にな。……部活とか」
「部活……忙しい、ですか……」
美紀が目を細める。まっずい。
いろんなこと考え始めると、美紀はすーっと目を細くして、あとはこうして、右手の親指と人差し指を擦り合わせたりするのだ。
必ずするわけじゃないけど、そうした時はほとんど必ず、思考に埋没して、そして。
「お姉ちゃんは、部活……忙しい?」
大体の場合、大事な部分を見抜いてしまう。
「ど、どうかな。まだ
「関係あるものなのか? 部員だったら、練習試合には行かないとか、人数多いとこじゃあるみたいだけど……マネージャーでそういう話は、あんま聞かねぇよな」
ばか! ばかキヨ! ばかバカ馬鹿!
美紀は清川に顔を向け、あたしに戻して、また清川を見て、座り直してただ前を見た。
「とにかく、どういうことか、教えて」
○
洗いざらい白状し、そしたら美紀は珍しく目つきを鋭くした。
「お姉ちゃんは、馬鹿」
コロッケは、なぜか奪われている。
はむっ、と大きな一口が最後の一口で、しっかりとした咀嚼の後に美紀は続けた。
「なんでそんな嘘つくの。私、土日とか、学校ある日だって、あんまり練習長くないのかなとか、多くないのかなとか、心配してたのに。あんなに練習熱心だったお姉ちゃんが、帰ってくるの早いなぁ、って。か……高校生だからかなぁ、とか!」
たぶん今、彼氏って言おうとしたんだろうなぁ。
「お姉ちゃん! 反省が見えません!」
すぐさま指摘されて首を竦める。
その矛先は、隣でもの凄く柔らかな笑みを浮かべているだけの清川にも向かった。
「清川先輩もです。お姉ちゃんは馬鹿だけど、先輩は大馬鹿ですからね、反省してください」
「俺もか」
なおも笑顔の清川に美紀が言う。
「はい。町内一の大馬鹿野郎です」
微妙に規模が狭いし、ここは町ではないけど。たぶん、笑ったらいけないよね。
「お姉ちゃんがバスケやってないとか、清川先輩が裏で変なことしてるとか……私、知りませんからね。それでどうなっても、私は知りません」
清川が小声で「裏で変なことって」と呟いたのも、知らないのだろう。
でも、よかった。
あたしがバスケを辞めたことを美紀に言えなかったのは、もしかしたらだけど、美紀に影響を与えてしまうからと思ったからなのかもしれない。それが理由の一端では、あったのかもしれない。
でも、そんなことはないんだね。美紀は変わらない。よかった。
「そうですね……清川先輩は一週間、お姉ちゃんと話すの禁止です。禁お姉ちゃん一週間です」
「ふふっ、なにそれ。一週間なんて言わず、一年くらいにしておかない?」
よくわからない罰則に笑ってしまって、清川(だけじゃないけど)に対して溜まっていた鬱憤みたいなのも確かにあったから、便乗して少し意地の悪いこと言ってみたりもした。
「……いいかもですね」
「よくねぇって! ……一週間で、頼む」
あたしと美紀で顔を見合わせて、頷き合う。
「じゃ、はい、スタート」
「さようなら清川先輩。よいお年を」
「待て待て、それ一年コースだしなんで美紀ちゃん込みなんだよ」
「今日はハンバーグだって」
「なにハンバーグ?」
「そこまではわかんない。私も訊いたんだけど、お母さんから返信返ってこないし」
「もう作り始めてるのかもね」
ハンバーグは美紀の好物だけど、あたしの好物でもある。ソースの好みも一緒。
美紀と一緒に家路を歩くのは、いつぶりだろうかと思った。
この先一年、何回あって、一年経ってそのもっと後には、何回あるんだろうと。
○
その道中にふと気になって訊ねた「そういえばあたしにも罰ってあるの?」に対する答えがつまり、今日がんばって、ということ。球技大会がんばって、ということ。
「本気の本気で……」
本気って、どうやるんだっけ。
答えは、ある気がする。待っている気がする。
木村が笛を鳴らし、呼ばれて踏み入れた、このコートの上に。きっと。
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