第31話 球技大会:決勝戦⑥ そして一つ事

 人が人を呼ぶ、という現象が時々起こる。


 それは意図してかしないでか。


 先に居た者が呼び集めることもあるし、賑わしさに勝手に寄り集まることもある。


 そのどちらもだろうと考える。


「見たか見たか見たか!? 漫画かよ!」


「うっま! おいおまえ男バスだろ? あれ出来んの、おまえも」


「出来るかよ。つーかこんなん、女子じゃねーだろ……」


「なんか……あっつくない?」


 プロや部活の大会よりずっと近い距離で、練習試合より体育の授業よりずっと多くの観客が見守る中、体育館内に、その外にまで興奮が波及していく。


 あるいはそう、外でも一石は投じられているのかもしれない。球技大会という校内行事を、ただ消化するだけでは終わらせない何かが。


 俺たちがそうさせているのだという自責が自負に変わっていく。歓声が髄を震わせ、没入が脳みそを麻痺させる。


 俺はもうすでに、この空間が心地好くてたまらなかった。


 ある意味じゃ世界大会の決勝よりも尊い、この一時が。



 楽しい。


 ボールをコートにつくのが、パスをするのが、受けるのが、シュートコースを塞いでやるのが、ルーズボールに半歩、間に合わないのが、甘くなったロールにぴたりと張り付かれるのが。


 見ていてくれていますか。見てくれますか。


 辞めてしまったことが幾つもある。水泳、書道、塾、生徒会、朝にパパの好きなコーヒーを淹れておいてあげること、学校であった事をママに話すこと。


 見て欲しかった。知って欲しかった。褒めて欲しかった。愛して欲しかった。


 木村が手を挙げる。単純なバイオレーション。指摘された友達の顏に悔しさと、疲れが見える。


 ありがとう、本気でやってくれて。ごめんなさい、振り回してしまって。


 試合が止まる僅かな間に、木村の横顔を確かめる。あたしのことは、審判としての目で見てるかな? 木村として見てくれているかな? ちゃんと見てくれているかな?


 清川はずっと、キャットウォークの柵を握ったまま見下ろしている。声を出すことも身動ぎすることすらなく、真摯に見つめているものの正体はなんですか?


「美紀……」


 お姉ちゃんはいま『バスケットボール』をやれているかな。


 ママ、パパ。あたしは何をやればあなたたちの娘になれますか。


 一度離れた……離れようと、捨てようとしたことで、そしてそこに再び戻ることで、より大きな情動としてあたしの心身のすべてを蹂躙する何かがある。


 それは歓喜であり悔恨であり。幸福であり呪いめいたものであり。


 楽しい、だけじゃない。あたしの全部が綯い交ぜになった何かだ。


 それはとてもとても大事なもので―――。



 青ボールで再開した試合。


 数度のパスが回されて、古賀由衣がボールを持てば束の間、体育館内は静まり返る。


 誰かが唾を呑み下す音さえ聞こえるような無音。


 錯覚だ。隣のコートで試合をしているバレーの音、声、声援が、外から届く歓声が、響かないはずがない。


 それらをすべて忘却させるほどの熱と集中が、古賀由衣と神辺美玖に注がれている。


 その一挙手一投足。速く上手く、未熟で、鋭い、完璧な発展途上を、そのぶつかり合いの一部始終を、誰もが見逃すまいと固唾を呑んで見詰めている。



 そして放たれたそれは、咆哮と呼んでよかっただろう。


 雄叫び。怒号。



「あぁぁああぁぁっぁあああああああっ!!!」



 同時に叩きつけられたバスケットボールは、床に跳ね返って高く舞った。


 当然、体育館に居た全員が動きを止め、彼女を見た。


 バスケの試合を観戦していたものだけじゃない。バレーを観ていた者も、その選手たちさえ、自分たちの試合を忘れて目を向けた。



「本気で来いっ!!! 神辺美玖っっっ!!!!!!」



 それは何もかも吹き飛ばす熱風。

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