第10話 踏み込み、翻弄される

「そうだ。バスケのルール、教えてくれよ」


「ん?」


「前、ちょっと言ったよな? ほら俺、球技大会で審判やるだろ? だからバスケのルール、教えてくれる約束だったろ」


「審判……あー……ん? 約束はしてなくない?」


「バレたか」


「人を騙そうなんて不届き者に教えてあげることはないかなー」


 そろそろ席を立とうかという空気が漂いだした頃、今日の最後の話題と思って切り出した。


「そう言わず教えてくれないか……球技大会、神辺さんはほんとにバスケでいいのか、いいと思ってるのかどうか」


「……なんで?」


「なんで教えないといけないのか、か、なんでそんなこと疑問に思うのか、か、なんでいま訊いてくるの、か。どれだ?」


「……全部。急になに? 別にバスケでいいし。ただの球技大会だよ? 気にしてなんかない」


「無理があるだろ」


 そんな硬い表情で言っても説得力はないんだよ。


「この前、出場種目決める時も渋ってただろ」


「それは……あたし、これでもそこそこ実力あるんだから。あたしが出るのは、なんていうか……反則じゃん」


「そうか? 清川はバレーに出るし進藤は野球に出るし高橋はサッカーに出るぞ?」


 所属する部活と同じ競技に出場する奴だって全然いる。三峰のように異なる競技にという奴もいるが。


 そういうわけだから、今は男子バスケットボール部のマネージャーに納まっている神辺さんがバスケに出るに、なんら不都合はないはずだ。


 あるとするなら本人の中に、あるいは、あまりに隔絶した能力を持っている時には、周囲が顔を顰めるかもしれない、白けてしまうかもしれない。


 けど、神辺さんならば、神辺美玖だけであるならば、大丈夫だと確信がある。


「五組の古賀こがさんだって、バスケに出るしな」


「な、んでっ、木村が、そんなこと知ってるの」


「御堂さんと古賀さん、友人同士なんだと。たまたま二人が球技大会の話をしてるのを聞いた」


 昨日、美術の授業からの戻り際のことである。困った顔した御堂さんが、大人しそうな見た目の女子生徒と話す内容を、漏れ聞いたわけだ。もちろんその後、聞いてしまったことが伝わるような会話は、御堂さんとしているから、許可とまでは言わないまでも認知の上で特に何も言われてはいない。誰に言うなとも、誰に言えとも。


 神辺さんが「あいつ……」と苦々しく呟く。


「うちの学校、女バス、かなり強いよな。古賀さん、そんな中でもかなり期待されてる人らしいじゃん。そんな人だって出てくるんなら、神辺さんが実力云々気にする必要は、ないよな?」


「だからなに? だからってあたしがバスケに出る必要は……」


「ない、な。出るけどな。なぁ、そんなに納得いかないか? 球技大会」


 まぁ今のは神辺さんの墓穴だろう。


 楽しい時間を上塗りした不快な問答への苛立ちがそうさせたのか、はたまた燻り続けていた内心の不満が溢れたのか。


 どちらにせよ普通に恥ずかしいから、神辺さんは「ぐぅぅ」と唸って「ミスったぁ」と自分の失敗に少しばかり頬に朱を差している。


 今度、言葉の綾、というのを教えてやろう。失言を誤魔化す魔法の言葉だ。これさえ唱えれば『出場を前提に渋った理由を明かす』つもりが『出たくないことを前提に出場する必要を認めない』ことになってしまっても、もしかして万が一、乗り切れるかもしれない。


「はぁ。……うん。あたしは本当は出たくない、球技大会。てか、やりたくない、バスケを」


「バスケを」


「そう。……あー、んー……あたし……あたしは、バスケ、辞めたから」


 知ってる。みんな知っている。


「だから……やりたくないってこと」


 だからと言うなら、だから何故が飛び交い、勿体ないが叫ばれたのだ。


 そしてそれは今もなお、折に触れて囁かれている。


「やめやめっ。とにかくっ、やりたくないのは認めるけど、ちゃんとってか、下手に手を抜きすぎないくらいはちゃんとやるから……それでいいでしょ?」


 よくはない。というのが本音だが、あまり問い詰めるのも、よくはない、と思う。


「まぁ、とりあえずはな。そろそろ行くか。思ったより長居しちまった」


「とりあえず?」


 一人立ち上がってしまえば、神辺さんを見下ろす形になる。


「ま、納得しきってはないからな。折角だから、直に全力のプレーが見てみたいんだよ、俺も」


「知らない。勝手に期待しないで」


 そう答えた神辺さんも席を立ち、喫茶店を後にする。二人して外気の冷たさに肩を震わせることになった。


「う、さむ。急に冷えるね」


「こっからもっと寒くなるらしいぞ。今日はあったかくして寝ないと」


「そうだね、あったかくしてね、あったかく」


 体が冷えるのは本当によろしくないのだ。あと逆に体温が上がりすぎるとか、強い衝撃だとか。


 もう一年の付き合いになるが、気を付けないといけない。出来るだけ、体に悲鳴を上げさせるような事は、避けなければいけない。


「そういや……あー……なんでもない」


「なになにっ、そんなの気になるに決まってるから。言ってよ」


「神辺さん、男バスのマネージャーかーって思ってな。わるい、さっきの続きみたいな話で」


「ん。うん、まぁ、それは……うん」


 一分もすれば互いの行く道が分かれるから、最後にもう一回「わるい」と謝って、せめて神辺さんが角に消えるまでは見守らせてもらった。


 昨日もそうだったが、家まで送る、というのは、される側にもハードルが高めらしい。


 電車に揺られている間、神辺さんから一言、メッセージが送られてきた。


『バスケの審判のやり方だよね? いいよ、教えてあげる』


 良い奴だな、で『ありがとう。助かる』と入力して。


 続く『ケーキ一個ね』にしばらく躊躇ってから、結局はそのまま送った。



 風呂でしっかり温まってまったり過ごす。贅沢な時間だ。


 ニュースを聞くともなく聞きながら、惰性のソシャゲで限定キャラを引き当てる。最高の瞬間だ。


 最高の方は、ベランダに出て開口一番の話題としては、あまり適切じゃなかったらしいけど。


「ソシャゲは好みません」


「そんな気はしてたよ。でもこれが楽しいんだ」


「私個人は好きではないですし、やる事はありませんが。あなたが楽しむ分にはよいと思います。ただ、話題として提供されても困ります」


「了解。今後はソシャゲの話はやめとく」


「そうしてください」


 一方的に喋れるほどに熱を上げているわけでもないから、隣人の趣味嗜好が知れただけよしとして、ソシャゲに関することは封印とする。


「また一つ、俺のネタレパートリーが減ってしまった」


「悲観する必要はないでしょう。そうですね、今夜は冷えるからか、星が多く見えます」


 話題は尽きないってことかな。


「あいにくと星座も星の名前もわからないぞ」


 どれがどれ、なんて指し示すロマンチックは、いつかやってみたいなと思った。誰相手にだって話ではある。残念ながら。


「私もわかりません。ですから、今度また、今日のように星が綺麗に見える日毎、互いに一つ、星座を数えるというのはどうでしょう」


「ほう」


 なんと、相手は隣人だったらしい。時間を潰すことにかけて、中々どうして色々と思い付くものだ。


「それは前にやった風速計の真似事よりはわかりやすいな」


「そうですね。あれはあれで、私は嫌いではなかったのですが」


「いやぁ、ベランダでやるには無理があったって」


 なにしろ百八十度以上の範囲で風が通らない。後ろ、部屋だもの。そんな場所に吹く風なんて強さはともかく向きは限られていて、なんなら大体いつも、同じような風向風速を、しかも体感だけで言い合っていただけだ。


 数回は楽しめても、数回までだった。少なくとも俺は。


「それにしても、随分と着込んでいるのですね」


「おかげで全然寒くない。君は寒そうだけど、大丈夫なのか?」


 隣人は恰好の判断だけなら、薄着と呼べるそれだ。


「はい。私は他人より少し体温が高いらしいので」


「そういうものなのか」


「そういうものなのです」


 今度、真偽のほどを確かめてみよう。


 俺の知識には、体温と体感気温の相関は含まれていなかった。


「昨日の夜……うるさくなかったか? 21時以降、22時くらいとか」


「いえ、特には。またゲームですか?」


「そう。声が聞こえてなかったなら、よかった」


「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ」


「もし聞こえたら、言ってくれ。うるさいって思う前でも」


 隣人とのトラブルは非常に重い、というのは報道にたびたび見聞きすることだから、芽のうち芽が出る前から、取り除いていく方がいいだろう。


 その点、俺と隣人との関係はこのとおり良好なので、近々に刺されるようなことはないはず。


「わかりました。あなたも何か思うところがあれば言ってくださいね」


「そうさせてもらう。……出来れば、肌着を干す時は隠すなり、室内に干すとか、していただけないでしょうか」


「早速ですね。ふむ……見なければよいのでは?」


「……危ないだろ。そういうの見つけて、あれだ、色々あるとかなんとか言うし」


「気持ちが悪いのではっきりおっしゃってください。私が一人暮らしだと察した暴漢が部屋に押し入り、私のこの豊満な肢体が凌辱の限りを尽くされることを心配しているということですね?」


「ま、まぁ」


「それを想像したと」


「想像はしてねぇよ!?」


「そうですか? 想像よそうしたわけでもないなら、一体どうしてそのような心配をするのでしょう」


「……いい性格してんねぇ」


「共通認識ですね」


 刺されるよりは刺す可能性の方があるか? これ。


「そもそも、このアパートのベランダは外から見えにくくなっていますし、きちんと対策として、低い位置に干したり、外側には別の洗濯物を吊るしたり、それに男性用下着を一緒に干すなどもしています。ですので、大丈夫だと思いますよ」


 はぁ。既に諸々手は打ってあったらしい。言われればたしかにそういう工夫があったなと思い出す。


 いや、なら俺の部屋のベランダからも見えないようにしてくれないだろうか。別の洗濯ものとやら一つ、こっちからの視界も塞ぐように干してしまって。


「あ、今、思い出してますね? 私のブラとパンツ」


「せめて下着って言って!?」


「直近ですと、黒のレースでしょうか」


「あぁアレ、アレはかなり刺激的だったな」


 はっ!?


「これですね」


「うそだろっ!?」


 せめて軽蔑の目で見られるとか罵倒されるとかじゃないのか!? 『はっ!?』って前振りまで(内心にだけど)したのに!


「冗談です。恥ずかしいのであまり見ないでください」


「恥ずかしがり方っ!!!」


 口元を覆い隠して上目遣いってすごく可愛い照れ隠しの仕方だよね。覆ってるのが黒い布でなきゃだけどっ。黒のパンツでなければ、ね。うん。……にしてもいいな、このパンツ、非常にこうグッとくるのはたしかだ、うん。


「お疲れのようですし、今日はもう終わりますか?」


「誰のせ……『誰というよりこれですね』とかやるなよ? 絶対やるなよ?」


「ふ、ふりっ。振りですかっ!?」


「目を輝かせるなっ。君はほんと、ほんともう、見た目と言動の振れ幅デカすぎんだよ。星座の読み合わせなんてロマンチック全開かと思えば平気で下着見せてきたり。このまえだって川柳作ったから聞いてくださいって言ったすぐあとに、ジャンケンにやばいハンドサイン混ぜてきたり」


「それだけあなたと話すのが楽しい、あなたに心許しているということです」


「俺の情緒ぉ」


 これもしかして新手の心理実験か何かか? 上下にガンガンに揺さぶられた思春期男子がどうなっちゃうかの実験されてる?


「こうして気軽にお話しできるのも、もうあと短い時間だけなのですから。……許してください」


 彼我の境界。私有の線引き。あるべき仕切りに遮られない声は、寂し気にも聞こえた。


「いや早く直せよ」


 寂しそうにしてる場合ちゃうんよ。


「てへぺろっ」


「いい加減、俺が勝手に直すぞ」


「わあわあわあ、わかりました、わかりましたよぉ。もう、なんなんですか。こんな美少女が住む部屋とベランダで繋がっている現状の何が気に食わないというのです」


「プライバシーとプライベートだよ。干すもの全部丸見えだしカーテン閉めないと部屋の中が見えるてかなんなら侵入できちまうだろ、めちゃくちゃ簡単に」


「なんのための施錠ですか」


「それはそれこれはこれ、いやほんっとうに」


「仕切り板程度で侵入の難しさは変わらないと思いますけどねっ」


 たしかに。とはならないのよ。


 そりゃベランダの仕切りは簡単に突破できるものだけど、あるとないじゃ違うだろ、精神的に。


「まったく仕方のない人です。今週末には直しますので。あなたがしつこく言い張るから、仕方なく、今週末には直しますので。それでよいですよね?」


「今週末に直すって部分だけな」


「酷い話です。ではこれで。暖かくして寝てくださいね」


「君もな。おやすみ」


「おやすみなさい」


 不定期開催の隣人会議の終わりは、どちらもが部屋に戻ることが多い。


 暖かくしてと言われたから、ではマジで全く全然なく、元よりそのつもりだったので掛け布団を一枚増やし、早々に体を休めることにする。


 ソファベッドは柔らかくはないけれど……硬いわけでもない。

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