第9話 青ピンク

 テスト返却日の放課後には、同学年の教室が集まる階(一年なら四階)の廊下に『成績優秀者』が張り出される。自分の名前を見つけて安堵した帰り道、途中に飲んだ温かなほうじ茶はずいぶんと臓腑に染みた。今夜は少し、気温が下がるらしい。


「この場合、どっちが譲るべきだと思う?」


「そっちでしょ。えいっ」


 昨日は改札前、今日はアクセサリーショップ。偶然って続くもんだ。


 同時に棚に伸ばして、半端に止まった手が二つである。神辺さんの手のひらが、目標を変更し俺の手の甲を打つ。そのままサッと、ラスいちクマさんを搔っ攫っていった。


「ねー、君もあたしの方がいいよねー」


 手のひらサイズのクマのぬいぐるみは当たり前に無反応で「うんうん、って言ってる」らしい。


「隣のピンクのにしとけよ」


「無理。ピンクは美紀みきのだもん」


「あー、妹さん……そいつオスだったと思うけど?」


 青のオスとピンクのメス。兄妹という設定の人気クマさんズだ。新商品と宣伝されてるのに売り場面積の時点で倍の差つけられてる兄、かわいそ。


「見た目わかんないしいいの。そんな細かいとこ気にしても仕方ないってこと」


「まぁ……なぁ」


 そりゃよくよく見たって色以外に性別を示唆する要素はないけれど。


「鞄にもつけてるし、好きなのか? そのシリーズ」


 今日の神辺さんはオフモードで私服姿だから今は違うが、学校指定の鞄には同シリーズの、あれもそう、青色のクマがゆらゆらと揺れていたっけそういえば。


「え、引くんだけど、あれそんな目立つやつじゃないのに……」


「いやたしかにちっこいけど! そこまでおかしくないだろ、覚えてたって」


「どうだか。木村だしなぁ」


「なんか微妙に……俺の評価落ちてきてない?」


「んー……さぁ、どうだろ」


 謎だ。


 ピンクの妹クマさんを手に取り、なんとなくその小さく円らな瞳を見据えてみる。無機質な光沢からは何も得るものがなかった。


「え、そっち買うの?」


「そうだな、買おうかな。触っちゃったし」


 言い訳ではあるし本心でもある。ついついがっつり手に握ってしまったので、棚に戻すのはなんだか気が引ける。


「えーと、自分用だから、どっちでもよかった、てこと……だよね?」


「なんでだよ。プレゼント用だっての。だからまぁ、こっちでよかった、うん」


 別に男の可愛いもの好きも大いにありで、ただ俺はそうじゃないので、このちみっこくて可愛いクマさんは、贈り物なのである。


「神辺さんは買わないのか? ピンクの方。たぶんだけど、姉妹でお揃いとかそういうあれなんだろ?」


 俺も折角だから、自分用にはいつか青い方を買って、お揃いにしようと今思ったところだ。考えてみれば、青だけ買って贈るより、そっちの方がまだマシだな。


「美紀は美紀で、自分で買うから。えと、何年か前からそうしてるってこと」


「このクマさんたちのグッズをってことか?」


「そうそう。美紀が生まれたその月にはじまったシリーズらしくて、小さい頃、親によく買ってもらってたの。それがなんとなく、ずっと続いてる感じ」


 店内には多種多様な青とピンクの商品が並んでいる。神辺さんは、どれを見るでもなく全体を懐かしむように辺りに目線を流していく。きっとこの中の多くを、持っているか知っているかするのだろう。


 そんな長期シリーズだったとはな、知らなかったよ。


「そうか。これ買った後、昨日の喫茶店に寄るつもりだけど、神辺さんも一緒にどう?」


 感慨に耽っていたはずの神辺さんは、なんとも複雑な表情で振り返った。


 思い出ってやつは、本当に色々な感情に彩られているものだからな。俺がそうであるように、神辺さんにもあるのだろう、青も赤も、ピンクもグレーも。


「いいの?」


「もちろん」


「じゃあ……一緒させてもらおうかな」


 ふにふに、と青くて小さな手を指先で摘まんでいる。それを自分で見てるんだか、ぬいぐるみ自体を見てるんだか、神辺さんは俯き加減だ。


「俺はもう会計行くけど、神辺さんは?」


「ん、行く」


「なんかちょっと、デートみたいじゃね?」


「えぇ、言う? それ」


「勘違いは困るからな」


「うーん、なんか……変な方向に成長してる気がする……」


 俺が、ってことだろうか。そして変な方向にとは如何に。


 店員さんの微笑ましげな目が語ってると思うんだけどな、俺と神辺さんが知らない人から見たらデート、もしかして恋人同士に見えるって。そんなところまでわざわざ訂正したりはしないけど。


 値札を確認していなかった失態が血の気を引かせる結果を生んだあと、喫茶店で一番安いコーヒー(昨日と同じ)だけを注文した俺は、椅子に腰を落ち着けて両手を顔の前に組んだ。


「ぼったくりや」


「まだ言ってんの? うっざ、だっさ。そろそろ本気で鬱陶しいんだけど」


「だってよぉ、嘘だろ、こんなちっちゃなぬいぐるみが二千円って。ありえなくなくなくなくなくない?」


 正確には2,489円。


「今日のケーキはチーズケーキ~。おいし~」


「太るぞ(小声)」


 女性が相手の靴を踏みつけるのってほんとにあることだったんだなって思いました。


 しばらくは他愛のないおしゃべりに興じ、神辺さんの口元が落ち着く頃には、話題は中間テストに関して。


「なんだ、神辺さんも成績いいんだな」


 例の点数勝負に、誘ったけど断られた(清川談)ってことだったから、あまりよろしくないのかもなんて思っていた。


「木村ほどじゃないけどね。凄いじゃん。勉強は、ちゃんとやるんだ?」


「おいおい、一言余計では? 何事も真剣本気に取り組むのが俺ですよ」


「へー、そっかー、すごー」


 聞いちゃいないし。


「……まさかとは思いますが……二つ目を購入するおつもりでしょうか?」


 神辺さんの目は真剣本気にショーケースに釘付けである。


「あはは、ま、まさか……そんなまさか」


「立ってる立ってる。財布持って立ってるがな」


「止めないでっ! やらなきゃいけない時があるの、女の子にはっ」


「いや勝手にしろ?」


 言葉とは裏腹にスキップでもしそうな軽やかな足取り。大抵の悩み事は甘いものの前に無力ってことだろうか。


 暇を持て余してスマホに頼る。俺もしっかり現代っ子だね。


 大野さんに、プレゼントを買ったことを連絡し、既読はつかないから適当なニュースサイトに暇を潰す。


 事件、事故、些細な出来事、重大事。疫病、戦争、災害。


 経済の見通しは暗く、地球のご機嫌は予測できないまま。


 世の中は相変わらず最低に回っていて―――ホッとする。


「なに見てんの?」


「『タコ雲』がアニメ化なんだってよ」


「わ、ほんと? あたし読んでるよ『タコ雲』! いいよね『タコ雲』! いついつ? いつ放送?」


 そんな気はしていたけど、サブカルに親しんでる方なんだよな、神辺さん。大野さんといい、人は見かけによらないものだ。『タコが泳ぐ雲』なんて、気の抜けたタイトルに反して鬱々とした漫画だというのに。


「来年だって。夏。……来年の夏か……」


「とおっ。ん-、でも、夏っていうのは『タコ雲』に合ってるね」


 ありそう。雲と言えば空、空と言えば夏(諸説あり)。作中に強く存在感を放つ突き抜ける夏空の描写は、そのまま『タコ雲』の象徴と言えるかもしれない。もしや公開時期を合わせたか。


 どちらかと言わずともマイナーな『タコ雲』を知っていた神辺さんとは、想像以上に話が出来た。少年漫画もいけるし、格ゲー原作アニメなんてのも齧っていたり。「お兄さんいるんだっけ?」と訊いたら「いないよ? なんで?」と返ってきたから大野さんとは別パターンらしい。


「ケーキ……昨日も食べてたよな……いや、違くて」


 体重的な話ではなく。


「こいつだって安くはなかったし、高かったし、バイトでもしてるのか?」


「してないよ。うちは、まぁ、そこそこ……以上な感じだから」


「わるい。他人様ひとさまの家の事、訊くもんじゃなかった」


「別に、あたしが勝手に言っただけだし……気にしなくっていいってことっ」


 ピコン、と閃いたとでもいうように指を立てる神辺さんは、おそらく昨日の事を言っているのだろう。


「そもそもうちってバイトOKだったっけ?」


「OK。申請は要るけどな」


「んー、はむっ、ほぇあら……それなら、あたしもやろうかな、バイト」


「部活は? 土日だけとかか?」


「部活……部活って、全生徒加入必須だよね、バイトしてる人ってそこらへんどうしてるんだろ」


「放課後数時間だけとか、土日とか、あとは部活っていっても活動が全然ないとこもあるみたいだぞ」


「そんなとこあるんだ! ずるー」


「幾つかあるけど……何個かはそのためにわざわざ立ち上げたりもしたらしいからな。ズルっていうか、努力の成果だよ」


「なにそれ。でもズルじゃん、テキトーに部、作って、何もしないだけでしょ?」


「そんな甘い話あるかよ。速攻、生徒会に潰されるわ。そういう部は大体文化系だから、文化祭とかでかなり力入れて発表したりして、それで活動実績ってことらしい。うちの学校の文化祭が盛り上がるのに一役買ってるとこもあるんだと」


「んー、そっかー」


 たぶん、ケーキ>俺の話。いいとこ=か。


「みんな部活、頑張ってっからな。神辺さんは、今日は部活は?」


「……休み」


「そりゃ失礼。みんな頑張ってるとは限らねぇか」


「うん」


 コーヒーは今日も美味い。


「木村は? てかテーブルトーク部ってなにやんの? 気になってたんだよね」


 そして苦い。


「大きなとこだと……たまに学校外でイベント協力してる」


「イベント協力?」


「そ。最近だと、図書館の朗読会とかな」


「朗読会ぃ!? え、それ木村も読んだのっ? あれだよね、朗読会って、小っちゃい子集めて絵本読んであげるとかそういうやつだよね?」


「そうそれ」


 実は相手もやり方も様々というのは、この場合置いておいていいだろう。神辺さんが言うようなものが一番多いのも事実だし。


「うっわ……想像できない。えぇ、木村が、絵本の朗読ぅ……?」


 そりゃ俺は若干、強面の部類ではあるけど、これで結構、子供に人気なんだがな。特に男の子からの支持は部内じゃトップだ。何故は考えない。


「あとは募金活動とか、そっちは俺はまだ参加したことないけど」


「『募金、お願いしまーす』って?」


「『募金、お願いしまーす』」


 差し出した両手にはナプキン一枚が提供された。


「だから、俺はあんまバイトしてる余裕はないかな」


 丁度いいから口元を拭ってナプキンは丸めた。


「え、訊いてないし」


「興味あるかと思って。俺がバイトやるのかどうか」


「たまに……たまにキモいよね、木村」


 承知の助ってやつだ。


「なんかまたウザい感じだし」


 ちなみに、バイトはやるつもり。お金欲しいから。今は、生活リズムを完全に掌握するのと、いいバイト探しの最中。

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