外伝7 中編 信じなければ裏切られない

 地方都市の場合、教員が使える店は案外と少ない。だから富士川中の打ち上げに使うのは、いつものスナック、青葉だった。


 マスターは、遙か昔の富士川中のOBだという。年を取ったマスターと、その妻が細々と営んでいる店だ。


 頼んでおけば「準備」はしてくれるが、始まってしまえば、ビールを出すのもグラスを回すのも、なんだったらサワーやハイボール、そしてカクテルまで作るのも自分たちでやるのはお約束。


 特に社会のベテラン・橋本は、毎回、カウンターに入りっぱなしになって次々と「新作」のカクテルを出すのが恒例だ。しまいにはマスターも一緒に呑んでいたりする。


 アットホームと言えば、そうかもしれないが、決してキレイとは言えない店を毎回使うのは理由がある。 


 安く飲めること以上に、貸し切りにできてしまうのが最大のポイントだった。教師が集まると、どうしても生徒の話が出てしまうから、こういう田舎の場合、地元で使える店は限られるのだ。


 店を取り仕切るマスター夫妻の口の硬さこそが、この店で毎回、打ち上げをさせる理由だった。


 そこかしこで、生徒の話題で花が咲く。


「やっぱ、2組は元会長の求心力が強烈でしたね」

「若葉は学年全体のリーダーですからなぁ。クラス限定で考えると物足りないのかも」

「それに、2組は、ほら、がいますからな。吉田は性格も悪いらしいし、あの子に手間がかかるんじゃないですか」




「2年生は石田の妹、あれが楽しみな素材か」

「え~ どうでしょう? 確かに声は綺麗で、音取りも上手ですけど、ヤル気あるんですかねぇ、あの子。いっつも半眼はんまなこですからね~ せっかく可愛いのに、台無し」




「1年生も意外と楽しみな子が多いですね、木村とか、山田あたりが伸びるかも。でもカスもいるから、あいつらをどうにかしないと」

「いっそ校庭に重機で穴を掘って、カスどもを埋めちゃおうかw」



 酔いが回るにしたがってな会話が、そこかしこで炸裂している。それにしても「カスを校庭に埋める」とまで言うのは、教師ではなくともいかがなモノなのか。


 隅の席で静かに呑んでいる大島達3年グループのところに、新採の熊田がグラスを手にしてふらりと現れた。 


「おおしま、せんせー! 青木達のことがあったばっかりだったし、昨日の体育館練もひどかったですよね? なのにぃ、本番はあれなんだもん。1組が大逆転したのって、なにをどうやったんですか? 秘密を教えてくださいよぉ」


 酔いが回ったのだろうか。


 前日までの下馬評を大逆転して、大島のクラスが優勝したことに熊田はズバリと切り込んできた。


 テーブルでは微妙な空気が流れる。


 その話は、合唱祭の打ち上げ恒例の「優勝クラスの担任挨拶」で大島がしている。


「子ども達が話し合った結果だ。自分は何もしてない。あえて言うなら、ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンをみんなが信じてくれたからです」


 謙遜なのか、そうやって煙に巻いてゴマカしていた。もちろん、そんなれ言を誰も信じる訳がない。ただ、蕩々と自慢話をされるよりも遙かに気の利いた挨拶だったのは確かだ。


『ヒミツを喋りたくないんだな』


 そういう空気が流れた。


 教師の世界には職人芸的な領域がある。暗黙の了解として、そういう時はお互いに突っ込まないものである。


 しかし、地元の教育大を出たばかりのルーキーの好奇心が、酔いも手伝って踏み込ませたのだろう。


 大島はスポーツマンらしい笑顔で答えた。


「いやいや。あの子達が教室で話し合っただけですよ。高木さんと木山さんのコンビが女子を上手い具合にまとめてくれましたからね。あの子達は実に良いコンビだ」

「でも、むしろ男子がすごかったじゃないですか。でも、確かに石田は頭が良いけど、どっちかというと、自我を出さずに引くタイプだ。確かにパートリーダーではあったけど、それだけじゃ、ああはいかないですよね? 教えてくださいよ、教室で仕掛けた秘策を」


 そう詰め寄られた大島は「さ、先生どうぞ」と熊田のグラスにビールを注ぐ。明らかにビール以外のものが入っていたコップだが、おかまいなし。とは言え、既に酔っ払いである。そんな小さなことなど気にならない。


 溢れそうになった泡をスススッと吸い込んで、一気にコップを空けると「で、せんせい、教えてくださいよぉ」とさらに絡む。


 一瞬、醸し出される剣呑な気配。


 副校長が、隣のテーブルから慌ててすっ飛んできた。先月、休職した前任者に代わって、いろいろと頭を下げまくっている苦労人だ。


「まあ、まあ、熊田先生、クラスの子達がきっと頑張ってくれたんですよ、ね、大島先生」


 とぼける酔っ払いと食い下がる酔っ払い。それを取りなす中間管理職。


 こんな図式は教師の飲み会に限らずありがちだろう。


 しかし、ストレスがたまりまくっているのだろうか。取りなそうとするほど、熊田が過熱してくる気配がある。まだ、周りは気付いてない。だが、このまま荒れてしまうのではないかと、横で見ている紗絵はヒヤッとした。


「う~んとぉ、熊ちゃんは、彼女とかいたっけ?」


 大島は、うすっぺらな笑顔を絶やさずに、さらにビールを足していく。


「いませんよぉ。大学時代に振られて、それ以来だもん」


 紗絵は知らん顔をしつつ、眉をククッと上げた。


 教員同士の飲み会で、プライベートな話を直球で聞くのは意外と珍しい。


「あ~ そりゃ、悪いことを聞いたね。ま、呑んでよ、熊ちゃ~ん」


 紗絵は「珍しい」と思った。


 体育会系のノリを普段の持ち味にしているワリに、飲み会で「後輩への強要」というのは大島が絶対にやってこなかったことである。


 しかし、一種の迫力のような勢いを見せているせいか、熊田はビールを断れない。


 ぷはぁ~とコップを空けても、熊田は粘った。


「でもぉ。ごまかされませんよぉ、1組の秘密ぅ。逆転の理由ってなんなんすかぁ」

「ゴマカしてなんかないよ。ホントなんだ。実はさ、ウチのクラスって担任への信頼がゼロなんだけど、知ってる?」

「そんなことないですよぉ」

「いーの、いーの。オレも生徒を一切信用してないし」

 

 サラリとすごいことを言い切る大島に、紗絵がギョッとして顔を見る。特段悪ぶっているようにも見えないのが、逆に異様だった。


「だって、信用さえしなきゃ裏切られないからね。それでいいんだよ。信用さえしなければ、絶対に裏切られずに済むんだからね」


 大島は笑顔のまま言ってのけるが、その表情がいつにないほどに冷えきったものを持っている気がした。


『え? 大島先生、それって冗談じゃないように聞こえるよ?』


 紗絵は、視線を合わせないようにしながらも、意識は集中してしまう。


「で、さ。信用する、しないなんてお互い様だろ? オレが信用しない分、生徒もオレを信用するはずがないんだ。いーんだよ。信用さえしなけりゃ、お互いに裏切られなくってすむ」


 コポコポコポと、グラスにビールを注いでくる大島に、熊田は飲み込まれている。


「担任を信用しないってことで、ウチのクラスは一致しているから、誰か頼れるヤツが頭を出しきたら、一気に固まるんだよ。今回で言えば男子の石田だ。今まで、さんざん邪魔してきた連中がごっそりいなくなったしね。ヤツにはそれだけの才能があるんだよ。それと全体をまとめる高木との絶妙なバランスを作ったリーダーシップもあるかなぁ。ま、別に誰でも良いんだ。とにかく、生徒の中にリーダーが生まれれば無能な担任なんて、いらないのさ」

「それにしたって、あのぉ」

「ほら、呑んで」


 グラスを空けさせると、さらに注いでいく。


「熊ちゃん、さぁ。彼女さんと付き合っている時って、相手を信じてだろ?」

「え? そりゃ、まぁ、そ、その、当然ですよね」

「でも、結局、別れた。原因は聞かないけどさ。付き合っている時は、甘い言葉をペラペラ平気で口に出せたのに、一度、別れてしまうと、あれはなんだったんだって、思わない?」

「そうですよね」

「で、聞いちゃうけど、なんで別れたの?」


 紗絵はずっこけそうになった。


『あ、聞くんだ』


 ギャグのように、別れた原因を直球で聞いている。


「そ、それは、あの、そのぉ。なんかだんだん冷えたって言うか。彼女もいろいろな友達と遊びたかったらしくて」

「で? 浮気でもされた?」

「いや、そこまでは行かなかったんですけど。なんとなく」


 紗絵には「浮気されました」と言う字が顔から読み取れてしまった。その瞬間、ずずーんと重い釘が心臓に打ち込まれた気がした。


「オレは浮気されたんだ…… って言うか、初めから二股されててさ」

「え? 二股?」

「そうさ。信じられないよなぁ。あんだけ、甘い言葉を囁いて、あなただけ~っとか、あなたがいないと生きてられないのぉ~ だとか言ってた女は、オレと付き合い始めた時には既に彼氏がいたんだぜ。今、そのクソ女はF市の外れの小学校にいて、幸せな結婚セーカツってのをやってるはずで、今は育休中らしいよ。あ、旦那は、その時の彼氏じゃないんだ。ホント、乗り換え上手だなっ」


 笑顔で毒を吐き捨てる大島だ。


 聞いてはいけない話を冷たい笑顔で聞かされている熊田は、引き攣った顔で注がれるままにビールを飲み干すしかなかった。


 そして熊田とは反対側に座る紗絵の心臓はグッと押し縮められていたのだ。







 


 

 


 








 



 




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