外伝7 前編 大島真一の謎

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外伝5の3年後の世界になります。

私の別作品

「ウソ告したいヤツはオレんとこに来い! え? 実はホントだった? だが遅い。」

に出てくる合唱祭の時のお話です。

そちらをお読みいただかなくても、お楽しみいただけますが

事情がお分かりいただけると、もっとお楽しみただけるかと存じますので

お時間があればご一読ください。

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 3年生最後の行事である富士川中の合唱祭は例年盛り上がる。優勝するのはたいてい3年生であるのは間違いないが、優勝なんて諦めていても「2年に食われる」のだけは避けたいというのが弱小クラスの願いであった。逆を言えば、2年生は、1クラスでも3年生に勝ちたいという願いの元に結束して練習する。


 クラスごとの団結が問われる行事である合唱祭は、単に歌が上手い下手という問題だけではなく、全教員から注目される行事なのである。


 明日が本番だ。


 ゲネプロとまではいかなくとも、各クラス30分ずつ体育館の舞台を使える時間が与えられて、入場して課題曲と自由曲を歌い、退場までの練習ができる最後の日となっている。


体育館のステージの上に3-1の生徒達が入場してきた。


指揮は合唱部の高木ひな。ピアノ伴奏は木山乃々佳の組み合わせ。定番中の定番と言うべきか、去年、この二人は、3年生を抑えて指揮者賞と伴奏賞を取っている。つい最近までの話で言えば、これは最高の組み合わせだろうと言われている。


 担任の大島は腕を組んだまま、笑顔でステージを見つめる。


「ウチのクラス、指揮とピアノ、見栄えが良いですよね~」


 セクハラ発言とも取れるが、大島の発言に深い意味はないのを紗絵はよく知っている。単純に自分のクラスが好きなのだ。クラスの何かで自分が「良い」と思えば、何にだって本気で感動してしまえる。


 ある意味、とても幸せな性格と言える…… と、つい最近までは紗絵も思っていた。


『大島先生のこれって、ひょっとしたら演技なのかしら?』


 無邪気と言う言葉を当てはめるしかない表情で、クラスをニコニコと見つめる大島を見た時、すべてを韜晦した何かのを演じているような気がして、紗絵はゾクッとした。


 つい先月は、こともあろうに学内でのレイプ騒動があり、クラスから逮捕者まで出しているのである。被害者である女子は不登校となり、担任も教育委員会から、さんざん「事情聴取」され、年度明けになんらかの処分が出るというのは間違いないところ。


 普通なら落ち込むものだろう。あるいは、気に病んで体調をオカシクしても不思議はない。それなのに、少しも影を見せず、むしろ終始テンションを上げたままだった。


『そもそも、あの時だって、変だったし』


 逮捕者が出たあの日、学校は全体集会での説明を行った。紗絵は、ことさらに「ダイレクト」な表現を使って発言した。


 逮捕された子どもたちのグループが仕組んだイジメが、一人の男子生徒をターゲットして「ウソ告」というカタチで横行していたのだ。


 捕まった子ども達がイジメをしていたのも許せなかったが、傍観者の顔をして「ウソ告」などという卑劣な行為をサラリと流してしまおうとしている女子が許せなかった。


 どれほど「ふざけて」「本気じゃないって知っていると思ったから」と言い訳を並べても、3年の女子の大半が一人の男子に行っていたのは事実だ。


 あの時、そんな卑怯な好意を紗絵が大上段から切り捨てて見せたことで、多くの女子は反省してくれたらしい。それは良かったこと。


『私が、誠意を持ちなさいだなんて言える資格なんてないんだけど』


 胸の中の空洞は、埋まってない。埋めてはいけない場所なのだと思って生きているだけに、心の痛みを感じながら女の子達を叱った。


 あの時の言葉の大半は、自分自身に向けられていただろう。


 今の時代であっても、中学生はやはり中学生だ。素直な心がちゃんとある。紗絵の中で、今でも鉛色に心を染めている「痛みを通した真摯な言葉」を、ちゃんと受け止めてくれた。


 彼女達の心の中に何かが入ったはず。


 ターゲットにされなかった男子も、人の誠意について考え、少しだけでも変わってくれたはずだと信じたかった。


 生徒達の心を揺り動かすことには成功した。


 しかし、幼い彼ら彼女達は、動いた心をどうしたらいいのか明らかに戸惑っていた。


 後から話した生活指導部主任の話なんて、上滑りして何も届いてなかった。


『それなのに、この人のやり方ときたら』


 静まりかえった空気感の中で「ワン・フォー・オール オール・フォー・ワンだ!」と堂々と言い切って、拳をあげるポーズまで取ってみせた。


 どうしようもなく重苦しくなった空気感が、一気に白々しいモノとなったおかげで、逆に、子ども達は「この後のこと」を考えられた気がするのだ。


 つまりは「道化」というか、物語論で言う「トリックスターうごかすもの」の役割を果たしていたのだ。


『あんなことができるのは、よほどの天然か、よほどの策士だけよ』


 あのおかげで、子ども達は「動ける」ようになったのだと紗絵は思った。事実として、ほとんどの女子は、今回の被害者である男子を待ち受けて謝っていた。


『私の言葉だけだったら、きっと、重く受け止めすぎて、今度は動けなかったかもしれないわ』


 あの時は「大島先生は天然だから」ですませていた。

 

 しかし、あれ以後も、淡々と、そしてまるで何事もなかったかのように、全く変わらずにHRへと向かう大島の表情には一切の危うさを感じなかったのも事実だった。


『本当に、単純なだけの人なのかしら? ひょっとしたら、大きく勘違いさせられているかもしれないわ』


 あれが、天然じゃないとしたら、なんなの? どこまで考えて行動してるの?


 考えれば考えるほどに、怖い人だということだ。


「おっ、いーねー」


 小さく呟く声にチラッと大島を見た。


 指揮者が構えた瞬間、生徒達がザッと音を立てて一斉に歌唱体勢に入った姿に頷く姿だ。


「まあ、ホントは自然がいいんでしょうけどね」


 音楽の教師からは、各自が自然に歌唱姿勢を取るようにという指導がなされているし、それが本来のカタチだ。だが、中学生は「合図でこうするよ」と教えた方がやりやすいのも事実なのである。


 その話だと、とっさに思った。


 突然、話しかけられた紗絵は「ええ。そうですね、本当は、もっとリラックスして構えられたらいいと思います」と慌てて答えた。


 ドキッとした。


 まるで「自分の何かを探ってるんですか?」と問いかけるかのように紗絵と視線を合わせているのだ。 


 自分の「疑い」を見抜かれている気がして焦った。同時に「あ、この人は、やっぱり胸は見ないんだ」と心が呟いていた。


 実は、大島は数少ない「胸を見てこない男性」である、ということに好意を持っている気持ちを見抜かれた気がしたのだ。


『たっくん以来なんだよね、そんな人』


 自分の胸の大きさを隠すような服装をやめて久しい。以前は気にしすぎて逆に、そこにこだわりすぎていた気がした。今は、決して強調を心がけているわけではなく、を優先するようになっただけではある。しかし、大きなバストを持つ女性にとって、服装の選択は大げさに言えば、人生そのものでもあるのだ。


 少女の時に膨らみ始めてから、胸の膨らみとは強烈な誘引力を持っているものだとつくづく体験してきてしまった。男性の目は……男子生徒は言うに及ばず……必ず、そこに注がれてくる。それを煩わしいと想うことを、紗絵や止めたのだ。


 時に、イタズラだと言い訳して、直接触ってくる男子生徒もいるが、それこそとっつかまえて、徹底的に「お話」してあげるチャンスだとも思っている。


 とはいえ、一般の男性だって、直接触ってこないだけで、気を許せばその視線の通りにツケ込んでくるのだろう。そんな風に思って行動しているから、自然と、男性と距離を置くのが常となっていた。


 だが、大島だけは違っていた。


「胸を見てこない」という、たったそれだけのことかもしれない。だが、ができない男がどれだけ多いことか。


 大島は、自分を一人の人間、一人の教師として見てくれる。


 富士川中に赴任したのは同期であるし、学期や行事の納め会で一緒に呑むことも多かった。女性の同僚以外で隣の席を選ぶとしたら、大島の隣だと決めているのは、人としての好意を持っているからでもあった。


 その大島のどうしようもないほどのは、どうにもおかしな気がしてしかたがなかった。


 今だって、まるではしゃぐように声を出している。


「よし、よし、よし! みんな、すごくいいぞ! 大野、さすが男子のリーダーだ。男子を良くまとめてるな。ソプラノもすっごく良いし、アルトも良いな! でも、もうちょっとだけアルトの声がほしいぞ。柴田、同じ合唱部なんだ。高橋ともうちょっと協力してがんばってくれ。うーん、全体的に実に良いぞ! ただ、みんなすごく良いから、あとちょっとだけ口を開けよう。口角を上げて。楽しく歌うんだ!」


 大人しいことでは有名な高橋友香をアルトのパートリーダーに指名したのは大島である。案の定、アルトが崩壊寸前となっているのを、大島は知らないはずがないのだ。しかし、そんな素振りを一切見せずに「ウチのクラスはすごいなぁ、ははは!」と、どうみても心から嬉しそうに見える笑顔とポーズだ。


 もちろん、あんな事件が起きたクラスが、満足に練習できているはずもなく、自分たちの合唱のデキが悪いことは、当の子供達自身が一番よく知っている。


 喜んでいるのは、ひとり大島だけだった。


 白々しい空気感の中で、子供達の視線は痛いはずだが、いっこうに気にする気配がなかった。


『もしも、この姿がキャラだとしたら……』


 背中をゾクッとしたものが通り抜ける。


「小仏先生」

「はい?」

「あんまり考えすぎないでくださいね」


 一瞬、大島の視線が見たこともないほどに冷たいと感じて、思わず、ビクッと後ずさり。


「いやぁ、子供達は実によくやってますね。いーじゃないですか、これで」


 半ば独り言だが、その口調はいつもの通りだ。


「よーし、時間だ。みんなを教室に戻してくれ! この調子だぞ! すごくいいね!」


 指揮者の高木に声を掛ける。


 褒めてるはずだ。だが、笑顔で褒め言葉を連発しているはずなのに、言われた高木の方が苦笑いするほどに薄っぺらい褒め言葉。


 担任として、さすがに、この薄っぺらさはない。事実、明らかに不満そうな表情になった子が何人も見えた。


 深謀遠慮があるというのは、やはり誤解だったのか?


 そこに追い打ちを掛けるように、大島が叫んだ。


「みんな! ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンだぞ!」


 ゾロゾロと帰っていく子供達は見向きもしない。


「さて、後は教室で、仕上げ、仕上げだぁ~」


 それは誰に向けた言葉なのかすらわからない。聞こえる場所にいるのは紗絵だけだと知っているはず。しかし、それが紗絵に向けたモノでないことは明らかだ。


『この人は、何かを隠している?』


 出席簿で自分の後頭部をポンポンと叩きながら歩く大島の姿を見送る紗絵であった。

 








 


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