外伝6 後編 シンクロ


 拓哉は、背中に冷や汗が流れ落ちた気がした。


 確かに、既に「挨拶」は終わっていた。だが、まさか、それで「泊まりも自由にOK」と考えてくれるほど開けたカジュアルな家だとは、全く思ってなかった。


 でも、そんなこんながあったからこそ、美羽は事実上の結婚相手フィアンセのウチにべったり来ていても問題がないってことになっていたと初めて知ったのである。


 下手な言い訳をするよりも、正直に言っていたからこそ、誰に恥じることもなく堂々と自由に泊まれたことになる。


 そんなきっぱりとした選択ができる恋人が誇らしかった。


 お陰で今は事実上の同棲になっている。たまに自宅に「行って」いるらしいが、平日の昼間に限定しているせいで、お父さんは、なかなか会えないらしい。娘に会いたいという一心で、とうとう平日に休暇を取ってしまうほどだった。


 それを聞いてヤバいと思った。


 結婚前から「お父さん」の怒りを買うわけにはいかない。ゴルフの練習を見て下さい、という口実を作っては日曜日に美羽と一緒に実家に向かうようにしたのだ。


 おかげで、ニコニコが止まらなくなったお父さんと、夏には一緒にコースに出る約束までしてしまった。


 二人の交際を止めようとする者は誰もいなかったのだ。今の状態は、美羽のお陰。まさに嬉しい誤算。幸せだ。


 だから家に帰るのが楽しい。


 今日も恋しい人がウチで待っていることを疑いもしなかった。


「ただいま~」

「お帰りなさい」


 エプロンをわざわざ外して出迎えた美羽がカバンをいそいそと受け取ってくれた。まるで新婚家庭そのもの。


 居心地が良すぎて何一つ不満はない。たまに、早く帰れる時にはちょっとした手土産も買って帰るようにもなった。


「はい、これ」

「あ、お花! ありがとう」


 心から嬉しそうだ。


 でも、玄関に飾ってある花は、昨日、飾って無かったよね? ひょっとしたら、かぶった?


 拓哉の微妙な視線に気付いたのか「てへっ。気が合うね」と甘えた口調だ。


「いや、まさかだよなぁ」

「あ、でも、お花が嬉しいのは本当ですよ? お花も嬉しいし、何よりも拓哉さんが私のことを想ってくれるのがすごく嬉しいの。疲れて帰ってくるというのに、ちゃ~んと私のことを考えてくれてる。最高ですよ」

「いや、なんとなくだし」

「帰り道で、なんとなく、私のことを思い出してくれるなんて、恋人としては最高だと思いますよ〜 それに、私のことをわかってくれるから、なんとなく私の欲しいものを買ってきてくれたのだし」


 チュッ


「やっぱり、最高の恋人です」


 まあ、美羽が喜んでくれているなら、花を買うのが被ったことくらい、どうということはない。


 食卓には鍋の用意がされていた。


 副菜は定番の「ブリ大根」。そして「菜の花の和芥子和え」が先付けになっている。どれも美羽の得意料理だ。


「「いただきます」」


 二人で食べる鍋って、なんか家族っぽくって良い。


「美味い」


 お母さんの言っていた「美羽は和風料理が得意だ」というのは納得である。


「良かった。食後にプリンも作ってみたの。和三盆を使った和風テイストだから、お鍋の後でも、けっこう合うと思うわ」

「スゴい。手作りのデザートかよっていうか、なんでプリンを?」

「えっとね? なんとなく、かなぁ」

「実はさ、オレ、急にプリンを食べたくなって、買って帰ろうかと思ったんだよ」

「まあ、よかった。でも、拓哉さんが買ってきてくれるプリンもきっと美味しかったのでしょうね」

「いや、なんとなくなんだけどね。プリンを買う前に花が見えて。そっちを買っちゃったんだよ。よく考えれば両方買う手もあったのにね」

「ふふふ。私がプリンを作りたいって、伝わったのかしら」

「いや、オレが食べたがっているって君に伝わったのかもよ」

「すごいですね。一緒だなんて」

「あぁ、スゴいな、オレ達」


 そこからしばらくお互いに「愛してる」を挟みながら、夢中で夕食を味わった後のこと。


 和風プリンに合わせて、濃いめに入れたほうじ茶を飲みながら、拓哉は思い出した話題を振った。 


「あのさ、ウチの会社って、新入社員でも夏の休暇はしっかり取れるらしいんだ」

「休暇中も一緒にいていいんですか?」

「当然。っていうか、ぜったいに一緒にいてくれ」

「嬉しい!」

「前後の土日を合わせても9日もあるらしい。あ、1日は、お父さんとコースに出ることになってるけど、それ以外は、ずっと一緒にいられると嬉しいな」

「すごい! そんなにあるんですか」

「あぁ。普段は終わりのない仕事だからね、休みはしっかり取れってなんだろうね」

「そんなに休みが取れるなんて、びっくりです。じゃあ、ゴルフの時は、実家に行って、拓哉さん達の帰りを母と待ちますね。」


 心からの笑顔を向けてくれる。


 おそらく、美羽の父親はメーカー系だけに、夏の休暇などはキッチリと取ってきたはずだ。けれども、こういう時に「父親はこうだったけど、休みは取れるんだよね」的なことを一切言わず、拓哉を拓哉として見てくれるところがありがたい。


「で、さ、旅行に行きたいって思うんだ」

「あ、私もそれを考えました! 拓哉さんが休暇を取れるかどうかわからなかったんで言わなかったんです」

「良かった。偶然だね」

「はい!」

「行き先は、どこが良い?」

「あなたの行きたいところが良いって言ったら、絶対に『いや、君の行きたいところにしよう』って言うでしょ?」

「うっ、読まれてたか」


 すごいよな~ オレのことをちゃんとわかってくれてる。


「ふふふ。ぜーったい、私を優先させてくれますものね。だから、実はいくつか絞ってみたんです」

「へぇ〜」


 食卓を一緒に片付けた後、タブレットを並んで覗いた。


「まず、白神山地ですね。一度は歩いてみたいなぁって思ってました。それと、夏のシーズンならではですから、四万十しまんとあゆを食べに行くのもいいかもしれません。四国には、これ以外にもいーっぱい美味しいものがあるし。それか、高原野菜が美味しいシーズンですし、空気の綺麗な夜空を二人で見上げるのもロマンチックですよね。ほら、清里のこのホテル。お食事も美味しいし、綺麗な夜空を見上げるために、天体望遠鏡もあるんだそうです」


 見事にバラバラな「目的地」をあげてきた。


「ね? オレ、君になんか言ったことがあったっけ?」


 拓哉は、唖然あぜんとして恋人の笑顔を見つめている。


「え? 何がですか?」

「あのさ、この3つはオレが最初っから候補に挙げていたところなんだ。ほら、見てよ」


 スマホには夏の行き先がプランニング済みだ。


 ホテルから、往復のルート、周辺の観光地から美味しいお店まで一通りのプランができている。美羽を驚かせようと、密かに研究してきたのプラン。なんとか美羽に喜んでもらえそうなものをと一生懸命に考えていたのだ。


 紗絵のはしゃぐ声。


「ホントだ! 見事に一致しちゃってますね」


 いや、一致しすぎでしょ、と突っ込むのもためらわれるほどだ。しかし、画面をスクロールして声が上がる。


「あれ? でも、4つ目がありますよ」


 美羽は首をかしげた。


「うん、これは松本の方に面白いホテルがあるって教えてもらってね。ま、どってことないんだけど、さ」


 美羽には言わないつもりだった4つめのプラン。


 地元食材にこだわりのあるシェフの料理がちょっと変わっていて面白いらしい。仕事の上でも必ずプラスになるはずだと思って四番目に入れていた。


 とはいえ、それだけではなく「本棚をまるごとホテルに取り込んだようなコンセプト」が受けている、非常に新しいホテルだ。本好きの美羽が泊まれば確実に楽しいはずだと思う。


 しかし、二人の旅行なのに仕事を持ちこむような気がして、ちょっと気が引けていた。最初の3つなら、完全に一致しているんだから、この中から選べば良いだろう。


 ククッと首をかしげてから「あ、このホテル、楽しそう」と呟く美羽。

 

「あの、運転がちょっと大変そうですけど、お願いして良いですか?」


 美羽の頼みであれば運転くらい、どうってことは無い。


「もちろんだよ。運転するのは好きだし」

「えっと、清里だと、夜、星を見るから、翌日はゆっくり起きた方が良いですよね。清泉寮の辺りにある小径を歩いてのんびり2泊。ヴィーナスラインを通って蓼科の方で1泊、あ、ちひろ美術館も近くですね。そこに寄ってから松本はすぐです。そのホテルに泊まってみるとちょうど良い距離かも。帰りにどこかに寄ってきても良いですし。高速だったら私も運転できますよ」


 スラスラと『こうだったら良いかな』というプランが言葉にされる。完全に、見抜かれてるな、という気持ちになってしまう。


 おそらく、このホテルに「仕事絡みで興味がある」というのを見抜きながら、知らん顔をして選んでくれたのだろう。


 でも、気遣いが嬉しかった。それに、ちゃんと自分の楽しいところを選んでくれてるのは伝わってくる。


 二人の気持ちがピッタリではないか!


 何もかも、シンクロしているような、そんな気持ちだ。


『これだけ、波長が合うシンクロするんだ。きっと、生涯、一緒に仲良くできるよな』


 恋人をグッと抱き寄せてしまう拓哉だ。




 ……けれども、拓哉は、知らなかった。


 普段、何気ない会話に登場させてきた場所やホテルを、恋人がしっかり覚えていてくれていることを。


 そして、そこから「拓哉がどこに行きたいって思っているか」を容易に想像できるということに気付くのは、もっともっと、ずっ~っと先の話であった。


 とにもかくにも、よく気の付く恋人のお陰で拓哉は幸せだったのである。









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