第10話 リボーン

 週刊誌が大砲を放った。


「超有名企業のインターンシップにおいて、メンターが大学生を食い物にした」

 

 センセーショナルな事件だったし、男には余罪があったらしい。既に逮捕されてとりりらべの最中とのこと。


 だけど、もう俺には関係ない。


 来週から、社会人としての時間が始まる。


 やることはヤッた。もう過去を清算しよう。少なくとも「復讐」は、これで終わりにして良い。

 

 あとは一切合切を弁護士さんにお任せだ。


 美羽ちゃんのお父さんに紹介していただいた山田弁護士はマジ優秀だった。ヤツから身ぐるみ剥がす勢いで、びた一文欠けることもなく取りたてたんだからすごい。


 あの時、オレはお願いした。


「法律が許す限り、最悪の目を見せてやって」

「かしこまりました」


 オレの依頼は完璧に果たされたと思う。


 どうやって説得したのか、あるいは本人の意志が始めからそうだったのかは知らないけど、紗絵が塩崎を訴えたんだ。


 マスコミの放った「大砲」がネットへと影響したのは早かった。即日、ネットに猛火が起こったのだ。こういう事件にありがちだけど、特定班によって塩崎の名前がすぐにあがり、大学時代の悪行も暴かれ、警察と同時進行しているかのように「被害者」が次々と名乗り出ている。


 実家も特定されて、父親が埼玉の公立高校で体育の先生をやっていたことまで出てしまった。


 弁護士さんは「ご参考までに」と教えてくれたけど実家の一戸建てが叩き売りに近い形で出され、父親は定年を前にして退職したらしい。


「これだけ実名も、顔写真も出てしまえば、デジタルタトゥーは強烈ですからね。塩崎氏は刑期が明けたとしても、行く先々で検索されて、悪事がバレます。内容も悪質ですから、まともな再就職は不可能でしょうね。父親もしばらくは教育界に戻るのも厳しいでしょう」


 奴の親もエライ迷惑をこうむったんだろうけど、育て方を間違えたと思って諦めてもらうしかない。同情はしないよ。


「それにしても、家まで急いで売る必要があったんですかね?」

「こちら側の分もそうですが、小仏氏の側には、もっと金額を積まなくてはならないでしょうし、被害者も次々と現れている状態です。一人息子を犯罪者にしたくないという親心でしょうけど、上手く行くかどうか」


 新しい法律のおかげで最初のホテルの行為や、その後、写真を使って脅したのも、片っ端から犯罪にできるらしい。実家を売った分の金は紗絵に行くのかな?

 

 あるいは、和解を拒否されて最終的に懲役になるのか。紗絵以外の「被害者」が事件化するかも知れない。


 だが、これ以上、あんなヤツのことなど知りたくもない。


小仏おさらぎ氏は一度、実家に帰りました。大学は卒業するつもりだそうです」

「まあ、好きにしろ、ですね」


 名前を聞くだけでも不快感はある。だけど、最初は被害者だったということが救いと言えば救いかもしれない。


 だけど、被害者であるからといって、一片も同情心が湧いてこなかった。


「その時、オレに言えば良かったんだ」


 オレじゃなくても良い。美羽ちゃんは親友のために、お父さんの力を使うことだって少しもためらわなかった。現にオレは凄腕弁護士を紹介してもらった。もしも紗絵が戦う気を起こすなり、せめてオレに打ち明けさえすれば、絶対に、こんな結果にならなかった。


 美羽ちゃんも「正直に言った方がいいよ」とずっと言い続けてくれたそうだ。


 その通り。それが最善手であり、唯一、取るべきだ。


 たった一度の「過ち」ならオレは許せた。馬鹿な失敗だけど、自分が選んだ結婚相手だ。ちゃんと打ち明けてくれさえすれば、どんな失敗だって、絶対に乗り越えられた。


 だけど紗絵は隠すことを選んだ。


 その結果、ズルズルと呼び出され続け、その過程のどこかで紗絵の心が変化したのだろう。


「あのイチャイチャは、脅されただけの関係に見えなかったもんなぁ」


 腕を組んで嬉しそうに歩いて行く姿が目に焼き付いているから、同情なんて浮かびようがないんだよ。

 

 もう、がどうなろうと知ったことではない。


 ただ、しばらくして、分厚い手紙が山田弁護士を経由して届いた。


 封筒の表には、紗絵らしい几帳面な文字で「大野拓哉様」と書いてある。


 まだ開けてない。


 読まずに捨てるほど強くはないけど、かと言って読んでしまうほど弱くもない。だから、開ける予定はない。


 これがオレの限界かな。


 限界って言えば、あの最後の日、冷静に行動したつもりだったけど、やっぱりテンパってたんだと思う。紗絵の実家の番号を拒否っておくのを忘れてた。


 あの日の翌日、お父さんからお詫びの電話が来て「会って謝りたい」と言われたけど拒否した。うっかりと顔を見てしまうと、許してしまいそうな自分が怖かったからだ。


「お詫びの気持ちがあるのなら、二度と近寄るな」


 電話口で冷たく怒声を吐いた瞬間、いつかお父さんが「ウチの娘は人を騙すことだけは」と言っていた、あの顔を思い出して辛かった。


 小仏家の人間がオレの住む街に立ち入らない約束を山田弁護士が取り付けてきてくれた。もちろん、慰謝料もガッチリもらった。


 山田弁護士、マジ優秀だよ。


 紗絵の貯金で払えるような額じゃないから、たぶん、あのお父さんが払ったんだろう。


 慰謝料って言えば、クズの会社も雇用者責任ってのがあった。もはやオレの問題と言うよりも社会問題になりかかっていた。あちらとしては「被害者」としてのオレとも早期和解を望んできた。


 きっちりと、それなりの金額を受け取った。金で済む話ではないけれど、何もないよりは全然良い。


 やるべきことはヤッたと思える。もう、これでいい。今度は、オレ自身の心に決着を付けなくっちゃ。


 そりゃあ、傷ついたよ?


 そうしたら引っ越した家に、毎日、美羽ちゃんが来てくれた。


 思うところが全くなかったとは言えない。かと言って、お父さんから凄腕の弁護士さんや興信所を紹介してもらった以上「裏切った女の親友だから」と拒否ることもできないじゃん。


 それに率直に言えば精神的にすごく助けられたのはあったんだ。


 美羽ちゃんは、あの以来初めてウチに来た時、真っ先に言った。


「もう、自分の心を隠しませんから」


 パッチリとした瞳に澄んだ光が浮かんでた。


「先輩のお気持ちを考えたら、すぐに、付き合ってほしいなんて言えません。でも、そばにいさせてください」


 オレの返事を聞かずに、それから、毎日、来てくれた。


 美羽ちゃんは、すごく良い子だ。美人だし、気立ても良い。でも、手を出す気にはなれなかった。身体の奥底に女性に対する不信感みたいなモノが刻まれてしまったんだと思う。


 ただ、3年間変わらず感じてきた「健気さ」みたいなものが美羽ちゃんの一つひとつの言葉、何気ない動きの中にあるのは、さすがのオレでも感じるわけで……


 だからウチに来るのを拒めないっていうのは言い訳なのかなぁ。


 ともかく、カレカノとか付き合うとか、そんな言葉を抜きにして、美羽ちゃんは純粋に慰めに来てくれていたんだと思う。


 傷には触れてほしくない、だけど吐き出したい。でも必要以上に慰めはいらなくて、ただ一人でいるのが辛くて……


 そんなオレの気持ちを全部分かってくれているのが美羽ちゃんだった。


 一ヶ月も経たないうちに、美羽ちゃんが横にいるのは当たり前のようになっていた。


『もう、自分の心に決着を付けなくちゃ』


 いつものようにやってきた美羽ちゃんの真っ正面に立ったんだ。


「あのさ」

「はい?」

「来週からオレは社会人だろ? 帰ってくる時間がバラバラになると思うんだ」


 メッセで連絡を取るにしても、こんな風に毎日、会うわけにはいかなくなる。


「大丈夫です」


 美羽ちゃんは自信満々の笑みを浮かべてる。


「えっと、なんで?」

「だって優しい先輩が、きっと、どうにかしてくれますから」


 ぐぬぬ。なぜわかった?


 美羽ちゃんは頭も良いんだよね。


「なんか、読まれた気がするけど。ま、いっか。はい。この部屋のカギ」


 後ろ手に隠していた、小さなキーホルダーに付けた鍵を渡した。


「ありがとうございます! これ、ず~っと返さなくて良いヤツですよね?」


 美女の笑顔が間近に迫ると圧がすごい。

 

「え? いや、あの、ほら、ここ賃貸だし。そのうち、別の部屋を借りるかもだし」


 ニコニコと見つめる瞳。


を探すときは、一緒に探させてもらえますか?」


 映画のワンシーンのように、黒い瞳が見上げてきた。


 あぁ、もう無理。両手で降参ポーズを取ったら、スルッと胸に飛び込まれてしまった。


 ふわっと立ち上る花の香り。コトンとオレの胸にくっつけてきた頭。


 これで何も言わなきゃ、さすがに人として終わってる。


「好きだよ、

「愛してます…… 愛してる! 拓哉さん!」


 間髪を入れずに告白を受け入れた美羽は、ウルウルと見上げてきた。えっと、何を言えばいい? キスしちゃいそうな距離感に、上手い言葉が見つからない。


「えっと、これからもよろしくお願いします」

「はい! 末なが~く、お願いしまぁす」


 チュッ


 思いもよらない強行突破だった。


 柔らかな胸部装甲を押しつけながら、超絶美女にキスされてしまった。しかも、唇が離れない。


 わずかに開いた唇は、オレを求めているのが伝わってきたんだ。


 そのまま大人のキス。脳まで溶けてしまいそうに濃密なキスだ。柔らかな背中のラインを手が辿ってしまう。


 ああああ、ヤバいって! あぁ、理性が!


 ようやく唇が離れた。


 ハァ ハァ ハァ


「美羽、マズイって。このままだと、ちょっと理性が飛んじゃうぞ」

「ずっと待ってたんですから」

「え?」

「私だって大人ですよ。毎日、大好きな人のお部屋に通っているんです。覚悟くらいありますから」


 ますます密着してきながら「どうぞ?」と恥ずかしそうに微笑んだ。


 花の香りに似た芳香が、さっきよりもいっそう強く立ち上ってくる。


 そういえば、オレ、5ヶ月もDTじゃん……


「あ、やっぱ、ウソ。理性を飛ばすのは取り消し」

「え? そんな!」


 美羽が哀しげな顔で見上げてくる。違うんだ。そうじゃなくて……


「ごめん。ちょっとじゃなくて、ケダモノになるから!」

「やったっ」

「え?」

「ただ、あのぉ、私、初めてなのでぇ」

「マジ?」

「はい。ずっと男の人を避けてましたから」


 その瞳はウソをついているように見えなかった。


「だから……」


 クスクスッと美羽は微笑んで、ますます胸を押しつけてきた。


「もちろん優しくするよ」

「ふふふ」


 妖艶な、としか表現しようのない微笑が浮かんだ顔をゆっくり左右に振ってから、美女の唇が重なってきた。


 長いなが~いキスの後、耳元に囁いてくる。


「初めてだから、今日は5回までにしてもらえると嬉しいです」

「えええ!」


 美羽ちゃんは、隠れ肉食美女だったらしい。初めて、甘い言葉を囁き合って、数え切れないほど「愛してる」を言い合って、全てをもらったんだ。


 文字通り、理性を吹き飛ばしてしまったオレは、それでも辛うじて「5回」だけは覚えていたんだ。


 吹っ飛んだ理性が「5回目だ。もう、これでおしまい」とストップを掛けたのは、二人で夜明けの光を見てからだった。


 その日、オレは、美羽と一緒に生まれ変わったんだと思う。


「あれ? ヤバい! 泊まっちゃったことになるじゃん」


 美羽は、良いところのお嬢様だ。無断外泊はヤバい。


「大丈夫です。母には話してありますから」

「えっと、お母さんに?」

「はい。好きな人の家に行ってるから、心配ないですって」


 わおっ!


 町田家に、お詫びに行かねば、と思いつつ、抱きしめた美羽を絶対に手放さないぞと誓ったんだ。


 オレは今日から、彼女と歩くのだから。 


                fin











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