第37話 アーサー・ハルトフォードの急転
アーサー・ハルトフォード。
この大陸でハルトフォードと関わって生きる人間の中で、その名を知らない者はいない。
アーサーは幼い頃から、ハルトフォードの正統なる後継者としての自負を持って生きてきた。
屈指の頭脳を持ち、剣術の天才であり、女性なら誰もが見惚れる容姿を持つと称され、次期当主としての将来を期待されて育ってきた。
実際にアーサーはその期待に答えるだけの努力と才能を兼ね備えており、十代半ばの頃には指揮官として戦場に立ち、数々の勝利を手にすることになる。
今やアーサーは、ハルトフォードの版図を十年前の倍近くまで拡大させた第一の勲功者となった。
稀代の名将であり、大軍を率いさせたら右に出る者はいない。
時に正面から、時に奇策で、あるいは戦うことすらなく策謀を持って敵を制する。
アーサーの得意分野は、軍事面だけではない。
政治的な手腕においても、後継者として当主の元で着々と覇道の男たるかを学んでいる。
女癖の悪さが玉に瑕だが、ほとんど欠点のない完璧に近い人間だ。
血筋、財力、権力、名声、女。
他者が一生かかっても得られないあらゆる喜びを、アーサーは手中に収めてきた。
少なくとも、アーサーを知る人々はそう考えている。
しかし、当の本人は満ち足りることなく、アーサーの心は常に渇いていた。
アーサー・ハルトフォードにも得られないものがある。
例えば、覚醒者としての力。
例えば、勇者としての称号。
例えば、世界最高の美貌を持った少女。
それらは全て、自分と血の繋がった、腹違いの弟が持っていたものだ。
マコト・ハルトフォード。
側妃出会った母が政争で殺され、家中で孤立し、誰も味方のいない少年。
それでも、ハルトフォード家当主の息子だ。簡単に殺すことはできないし、次期当主としてのアーサーの地位を脅かす可能性は皆無に等しく、取るに足りない。
当初、アーサーにとってのマコトはそんな認識で、興味の対象ですらなかった。
認識が激変したのは、一人の少女が現れてからだ。
リリィ・シトロエン。
アーサーが生まれて初めて本気で欲した存在は、初めて会った時には、既にマコトのものになっていた。
それだけでも度し難いというのに、取るに足りない存在だったはずのマコトは、気づけば覚醒者としての才能を開花していた。
アーサーの持っていない力を、マコトは持っている。
しかし、覚醒者は一騎当千の力を持っていると言えど、最前線に投入される危険な役割だ。一方のアーサーは、覚醒者に指示を出す指揮官だ。
マコトを過酷な戦場に送り込んで、死ぬまでこき使ってやればいい。
そう思っている間に、マコトは最強の覚醒者として名を馳せていった。
疎まれていただけの三男坊は、結果を出し続けることで、周囲の人間を惹きつけていく。
挙げ句の果てに、マコトは勇者に選ばれた。
取るに足りない存在だったはずの少年は、変わりの効かない存在へと登り詰めたのだ。
あの時は本当に鬱陶しくて仕方がなかったが、マコトはすぐに力を失った。
勝手に転落してくれたのだ、これ程滑稽な話はない。
「本当に、目障りな奴だったが……あいつはもう無力だ」
マグナ・ハイランドの敷地内には、ハルトフォード家の重要な式典が行われる際に利用される大聖堂がある。
聖堂内の、控え室にて。
アーサーは、勝利の余韻に浸っていた。
今日はアーサーが自らの正妃を娶る、挙式の日だ。
相手は、リリィ・シトロエン。
マコトが執着していた相手であり、ハイランドだけでなく大陸でも屈指と称される美少女だ。
今日、アーサー・ハルトフォードの正妃となる女性でもある。
「結局、マコトは来ていないらしい。せっかく招待状を送ってやったのに……」
アーサーは、純白のドレスを着て鏡の前の椅子に座る花嫁に、話しかける。
本来新郎と新婦の控え室は別で、ここはリリィの控え室だが、構うことはない。
メイドなどは全て人払いしたので、二人しかいない。
「……」
「どうやらあいつは、怖気付いたようだ。兄と幼馴染の晴れ舞台だというのに、薄情な奴だと思わないか?」
「さあ、どうなんですかね」
アーサーはリリィの隣に立って、楽しげに語りかける。
リリィは真っ直ぐと前を見て、視線を合わせようとしない。
「つれない態度をしていられるのも、今の内だぞ。どうせすぐ、お前は俺以外の男のことなど考えられなくなる」
「そうですか」
リリィがどれだけ無愛想でいようと関係ない。
彼女は既にアーサーの手中にあるからだ。
ベールの下から伸びる銀髪に、アーサーは指を通す。
少しだけ表情が不愉快そうに動くが、抵抗はしない。できないからだ。
結局のところ、制約魔法がある限り、彼女はアーサーの意のままだ。
これまで手を出さずにいたのは、楽しみを後に取っておいただけのこと。
「反抗的でいるのもいいが……あまり度が過ぎるようなら、今から躾けてやってもいいんだぞ?」
「……っ」
アーサーはリリィの首筋を、後ろから撫でる。
リリィの肩が、強張っているのが見て取れた。
「まあ、お前はハルトフォードの正妃となる女だ。挙式の場に乱れた姿を晒すのは、さすがに当家の威信にも関わるか」
すぐにアーサーは手を離した。
リリィの緊張が、弛緩する。
彼女がマコトの存在をあてにしているのを、アーサーは知っている。
しかし、あの男に何ができるというのか。
運よく魔軍の幹部である四天王の一人を倒したらしいが、それだって信憑性に欠ける。
リリィもその場にいたという話を聞くし、彼女がマコトに手柄を譲った可能性すらある。マコトは覚醒者としての力を失っている上に、勇者の力は剥奪されているのだから。
おまけにハイランドから遥か遠方のミュールパントで、お飾りの総督として傀儡のお姫様を当てがわれ、身動きが取れずにいる。
今のマコトには個で状況を打開する力も、後ろ盾もない。
唯一の味方だったリリィ・シトロエンすら、間もなく失う。
「ああ、そう言えば。シトロエン家の当主夫妻……つまりお前の両親が、ハイランドに来る途中で事故に遭ったと聞いたぞ」
「……事故?」
「命に別状はないらしいが、怪我を負って挙式には間に合わないそうだ」
「そうですか」
実の両親が事故に遭った割には、リリィは平然としている。
人質として親元を離れてからかなりの年月が経っているのだから、反応が薄くても無理はない。
万が一リリィが変な気を起こした際に、人質としてシトロエン家の人間を利用できるかと思っていたが、当てが外れた。
(挙式に現れなかったのは計算外だったが……リリィ自身が気に留めていないなら不在でも問題ないだろう)
今日は自分の権威が確固たるものとなる日であり、疎ましかったマコトの敗北が確定する。
アーサーにとって、これほど気分のいいことはなかった。
○
挙式本番。
ハルトフォードに与する主だった面々が勢揃いする、大聖堂の中心にて。
アーサーが隣にリリィを連れて、教会から派遣された司祭の前で式をとり行おうとしていた、その時。
大聖堂の天井が、爆音に合わせて崩落した。
参列していた人々の頭上に、瓦礫が降り注ぐ。
「きゃあああ!!」
「何事だ、これは……!?」
「わ、私の妻が、瓦礫の下に……」
ハルトフォードの次期当主と正妃となる女性の婚姻を祝う場が、一瞬にして惨劇の舞台に変わった。
悲鳴が怒声が聞こえてくるが、天井が崩れた際の粉塵で、状況が把握できない。
(だが、これはまさか……!?)
この突発的な状況に、アーサーは心当たりがあった。
ハルトフォードの指揮官として、戦場で覚醒者に命令を出していた経験から分かる。
これは、覚醒者による強襲突撃だ。
圧倒的な膂力と魔力を持って少数で敵の拠点に突撃し、壊滅的な打撃を与えて制圧する。
よりによって今日、この場所に、大陸最強の名家であるハルトフォードの本拠に対して、これほどまで大胆な奇襲を仕掛ける。
そんな馬鹿げた思考を持っており、実現しうる可能性を持った人物を、アーサーは一人しか知らない。
「やはり、お前か……!」
煙が晴れた後、瓦礫と屍の上に。
アーサーが想像した通りの人物が立っている。
マコト・ハルトフォードが、襲来した。
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