第28話 決裂の日
呼び出しを受けたマコトは、ハルトフォード家の当主であるジェラルドの執務室に向かった。
マグナ・ハイランド内でも政治に関わる重要な部屋ばかりが並ぶ中枢の区画に、目的地はある。
三男であり、家中で疎まれてきたマコトがほとんど訪れたことのない場所だ。
目標である、廊下の突き当たりに位置する両開きの大扉が見えてくる。
扉の前には、警備兵以外に、男が一人立っていた。
「遅かったな。まあ、お前の住処とこの執務室までの距離を考えれば、無理もないが」
マコトよりも5歳ほど年上の男は、侮蔑的な笑みを臆面もなく浮かべている。
ハルトフォードの象徴である灼熱の赤髪と黄金色の瞳を持っており、端正な顔立ちと高身長は女性からの人気が高いと聞く。
ハルトフォードの将官が着用する軍服を身に纏っており、胸には彼が戦場で大きな功績を立てた証である勲章が何個も付いている。
大陸最大の名家、ハルトフォードの長男であるアーサーだ。
「一週間も寝ていたし、腹が減ってるんだ。無駄話はなしで、早く用を済ませたい」
相手はマコトより格上の人間で、敵対的だが、相手にする必要はない。
アーサーに構わず、横を通り抜けて執務室に入ろうとする。
マコトの態度に、アーサーの張り付いた笑顔が一瞬崩れるが、すぐに平静を装った。
「……リリィとは、もう会ったのか?」
「どこぞの当主が呼びつけてくれたおかげで、まだだ」
マコトの発言は、ハルトフォードという家を、軽んじている。
この家の後継者であることに固執するアーサーなら不快に思ってもおかしくないはずだが、何故か満足げだった。
「では、代わりに俺が彼女の様子を教えてやろう」
「どうして貴方に聞かないといけないんだ」
「お前は寝ていたから知らないだろうが……最近、俺はリリィとよく会っているのでな」
「貴方の女好きは、ハイランドに暮らす人間なら誰でも知っている。どうせ作戦の説明だとか理由をつけて、押しかけているだけだろ」
「かもな。だが、最近はそうでもない」
アーサーが浮かべる、勝ち誇ったような笑み。
マコトには真意が見えず、不快だった。
「……さっきから、何が言いたいんだ」
「ふむ。まともな教育を受けていない三男坊でもわかるように言うのであれば……この先、リリィのことはお前が気にするべきではない、ということだ」
「貴方に言われる筋合いはない」
「そうかな?」
アーサーは面白がるように、眉根を吊り上げる。
依然として会話の意図が見えずにいるマコトに対し、アーサーは続けた。
「リリィよりも、お前が今後気にするべきは、ブラシュタットのお姫様の処遇だな」
「アザレアのことは……それこそ、僕が気にするようなことじゃないだろう」
「確かに、お前は家の政治に関わる立場になかったから、戦で捕らえた他家の重要人物の扱いなど、把握する頭がないだろうが……今回に関しては、相手が相手だ」
「……貴方は、何を知っている」
含みのある言い方を繰り返すアーサーに対し、マコトは疑問を口にする。
「焦らなくていい。無駄話はこれくらいにしておこう。お前にも、父上からすぐに下知がある」
アーサーは答えることなく、執務室の扉を指した。
○
当主、ジェラルド・ハルトフォード。
ハルトフォードが革新的な魔法技術を手にしたのも、覚醒者部隊が編成されたのも、この男に代替わりしてからの二十五年で起きた出来事だ。
わずか二十五年で、ハルトフォードは版図を三倍に広げ、他国よりも高い文明水準と豊かな暮らし、強大な軍事力を手に入れた。
客観的に見れば、偉大である男の執務室。
マコトにとっては父の仕事場だが、この部屋に来るのは初めてだ。
執務机と書類、その他仕事に関わる設備に加え、応接用のソファがある程度で、全体的に飾り気がない。
それ以上部屋を観る間もなく、執務机の前に鎮座するジェラルドが口を開いた。
「フォルランとその騎士を殺した件については、罪を不問とする」
ジェラルドの年齢は定かではないが、50を超えながら白髪の一つもない。
爛々とした灼熱の髪と、黄金の瞳で真っ直ぐとマコトを見据える様は、威厳に満ちている。
子であるはずのマコトやアーサーを前にしても、感情が窺い知れない。
「本来ならありがたがって当主様に頭を下げるべきなんだろうが、あれは正当防衛だ。感謝はしないよ」
マコトはジェラルドと会話したことはおろか、顔を合わせる機会もここ数年はなかった。
どのように接するか迷ったが、ハルトフォードに対する敬意や、父に対する情は生憎と持ち合わせていない。
故にマコトは、相応の態度で接した。
「お前……!」
横でアーサーが苛立ちを見せていたが、構いはしない。
意に介していないのは、ジェラルドも同様だった。
「四天王を倒した功績についても、高く評価している。あの件は、ブラシュタットの信用を掴み、油断を誘う結果に繋がった。故に、褒美を与えよう」
「褒美だと……?」
マコトは過去にもハルトフォードに属する覚醒者として多大な戦果を上げてきた。
しかし、その功績に見合った評価を受けたことは一度もない。
だから今更褒美を与えると言われても、不信感が強くなるだけだった。
「マコト・ハルトフォード。お前をハルトフォードの名の下に旧ブラシュタット領を統括する総督に命ずる。加えて、ミュールパント及び周辺地域をお前の領地として封じ、アザレア・ブラシュタットを妻として与える」
「は……?」
淡々と告げるジェラルドに対し、マコトは開いた口が塞がらなかった。
それでもすぐに、目的を察する。
ハルトフォードが、アザレアを傀儡にしてブラシュタット領を統治するというのは、マコトが予想した通りだ。
(だがまさか、僕に目をつけてくるとはな……)
ブラシュタットの遺児であるアザレアを、ハルトフォード家の人間であるマコトの妻とすることで正当性を主張しながら、支配を進めていくつもりなのだろう。
理屈は、まあ分かる。
しかしマコトにとって、到底受け入れられる内容ではなかった。
「ミュールパントに加えて、あの美人までくれてやるなんて、お前にはもったいない話だが……ブラシュタット全体をハルトフォードの手中に収めるためには、ハルトフォードとブラシュタットの血を引いた後継者が必要だ。しかし俺は長男だから、ハイランドを離れるわけにはいかない。他に適任がいない以上は仕方がないことだ」
小馬鹿にするような笑みを張り付かせながら、アーサーがそう語る。
マコトのことを疎ましく思っている割に、こうもあっさりと出世とも言える待遇を受けることを認めるとは。
やはり、何かがおかしい。
「大規模な戦闘は、緒戦だけに留める。後は調略によって歴史ある名家を切り取り、版図に加えればよい」
「最小限の損失で、最大限の成果を……か」
ジェラルド・ハルトフォードらしい絶妙な手だ。
当人であるマコトや、アザレアの意思など、省みていない部分も含めて。
それでいて、他者の心理を理解した上での策であるのが腹立たしい。
婚姻によって、ハルトフォードがブラシュタットを支配下に置いていると示した上で、ブラシュタット家に忠実だった諸侯に対してアザレアを実質的な人質として扱うことで従わせる。内通者や立場を明確にしていない者たちは、アザレアに仕えるという大義名分の下、ハルトフォードに恭順する。
「元々、お前はアザレアと婚約の話も出ていた。元鞘に戻るようなものだ。他に適任はいない。故に、お前に任せることにした」
「都合の良い言い方だな。他に使える駒がなかったから、逃亡者の僕を担ぎ出しただけだろう」
「お前の解釈など、問題ではない」
ジェラルドはそう切り捨てると、アーサーへ視線を移した。
どうやら、マコトへの話は終わったらしい。
「アーサー・ハルトフォード。ミュールパントを陥落させた功績を認め、正式にハルトフォード家の正式な後継者と定める」
「ありがとうございます、父上」
そのやり取りに対して、マコトは何の感慨も浮かばなかった。
アーサーがハルトフォード家の後継者であることは、誰が見ても明らかだった。
むしろ、まだ正式決定していなかったことに驚いたほどだ。
「アーサーを後継者と定めるに際して、正式な妃を決める必要がある」
「まあ、次期当主である以上、特定の相手は必要ですからね」
ジェラルドの宣言に、アーサーは肩を竦める。
アーサーは優秀な軍事指揮官であると同時に、無類の女好きとしても知られている。
戦利品のついでに敵対する名家の美女を愛妾として連れ帰ったり、身の回りのメイドに手を出すといった話が後を絶たない。
「かねてから申し出のあった通り、リリィ・シトロエンをアーサー・ハルトフォードの正妃とする」
「申し出を受けていただき、感謝します」
ふざけたやり取りが、マコトの前で繰り広げられていた。
「勇者にして最強の戦力であるリリィ・シトロエンを家中に引き入れ、その血筋を引く者がハルトフォードを継いでいくことは、当家にとって計り知れない利益です。戦力以外の面で見ても、彼女の他に次期ハルトフォード家当主の正妃としてふさわしい女性はいないでしょう。社交界の華であり、民衆からも慕われていて教養も深い」
上機嫌に、アーサーが語る。
聞こえよがしに言っていると感じたのは、マコトの気のせいではないだろう。
「そんな話を、リリィが了承するはずがない」
「彼女の了承は必要ない。元々、シトロエンから送られてきた人質だ」
マコトの異論を、ジェラルドが一蹴した。
更に、アーサーが口を挟んでくる。
「それに、リリィも断っていないしな。俺は他でもない、ハルトフォードの正式な後継者だ。俺の妻となり子を産めば、その子が次の当主となると共に、彼女自身も計り知れない栄光が手に入ると理解しているのだろう。どこぞの三男坊が相手では得られない、栄光をな」
「リリィが断れない理由を、僕が知らないとでも思っているのか」
「さて、何のことかな」
リリィに拒否権がない理由を、マコトは知っている。
先ほど、ジェラルドが口にした言葉がまさにそうだ。
その理由とは、リリィがシトロエン家から送られてきた人質であることに起因する。
大陸最強と称される戦力でありながら人質でもあるリリィを、ハルトフォードが何の制約もなくあちこちに行かせる愚を、犯すはずがない。
ハルトフォードは、人質の逃亡や裏切りに対し、周到に対策している。
絶対にリリィがハルトフォードに逆らうことのできない、仕組みがあるのだ。
故に、リリィの意志は関係なく、ハルトフォードが結婚相手を定めたのならその人物と婚姻を結ぶ他ない。
「マコト・ハルトフォード。お前への用件は済んだ、退出しろ」
「……確かに、これ以上お前たちと話していても、意味はないな」
マコトはそう言い残し、執務室を出た。
扉に背を向けて、思う。
マコトやリリィの意思を知った上で、それに反する行為を、父や兄にあたる人物が行う。
そう考えると余計に腹が立つが、同時に呆れてしまう。
(アザレアに対して、名家の政略結婚に個人の意思は関係ないと言い聞かせたのは、僕だったな)
自分のことになった途端に苛立ち、反発する。
マコト・ハルトフォードとは、都合の良い人物だと、我ながら思う。
だとしても、彼らの都合でリリィと離れるつもりは、全くない。
異なる二つの都合が対立し、折り合いが付かないなら、後は衝突するしかない。
(まあ、元々分かっていたことか。この家が、僕とリリィにとって、敵であることくらい)
だから、マコトが決断するまでに、時間はかからなかった。
彼らがマコトが唯一望んだ居場所を奪おうとするのなら、排除するまでだ。
血を分けた存在であろうと、例外ではない。
ハルトフォードに、反旗を翻す。
しかし、大陸最強にして最大の勢力であるハルトフォードと戦うには、彼らに拮抗するだけの力と準備が必要だ。
(幸い、足がかりとなる広大な領地を、向こうから用意してくれたんだ……存分に使ってやる)
そうと決まれば、まずは会うべき人物がいる。
他でもない、リリィ・シトロエンだ。
◇◇◇◇◇
どうもりんどーです。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回はまあ、ストレスの溜まるかもしれない要素がありつつ、この作品らしさが出でいる回なのかなと思っています。
次回以降、叛逆に向けてマコトがえげつないことを色々とやっていきますので、お楽しみに!
とりあえず次はリリィとのいちゃいちゃ回です。
最近ストックが尽きて、そろそろ毎日更新に限界を感じていますが、何とか頑張ってます。
今後も頑張れよと思ってくれる方はぜひ☆での評価をいただけると幸いです。
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