回想1 二人の出会い

 マコト・ハルトフォードが初めてリリィ・シトロエンと出会ったのは、8歳の頃。

 マコトの母が陰謀に巻き込まれて事故死した一年後のことだった。

 当時のマコトはまだ、マグナ・ハイランド内にある離宮で暮らしていた。ハルトフォード家当主の側妃である母に割り当てられていた宮だ。

 家中の誰からも気にかけられることなく、親も友人もいない。

 関わりがあるのは、身の回りの世話をするメイドくらいだ。

 かと言ってマコトは、今の境遇を変えようという気持ちはなかった。

 変え方を知らないという理由もあったが、子供ながらに、達観していたのだ。

 しかしどこか物足りなさというか、心の中に隙間が空いたような気分で日々を過ごしていた。


 その日も特にやることもなく、離宮の庭園にある東屋のベンチに座ってボーッとしていた。

 いつもと同じ、何の変化もない一日を過ごす。その時のマコトはそう思っていた……生垣の合間を塗って、女の子が這い出てくるまでは。


「わっ! やっと草から出れた……ってどこだろ、ここ」


 マコトと同年代と思われる、艶めく長い銀髪を持った女の子だ。高級そうなドレスを身に纏って着飾っているが、葉っぱや土が所々に付いて、綺麗な髪も乱れている。


「あ、こんにちは!」


 マコトの存在に気づいた女の子は、乱れた姿そのままに、たたた、と駆け寄ってくると、元気よく挨拶する。


「こんにちは」


 挨拶するのも、人と目を見て会話するのも、母が死んで以来、マコトにとっては久しぶりのことだ。

 人に忘れ去られた自分の家にいきなり誰かが現れた場合、どんな言葉をかけるべきか……まずは、名前を聞くべきだろう。


「……君は誰?」

「わたしはリリィ・シトロエン! きみの名前は?」


 リリィと名乗るこの女の子は、どうやらマコトのことを知らないらしい。

 マグナ・ハイランドの離宮に住む黒髪の子供と言えばマコトの他にいないのだが。


「僕は、マコト・ハルトフォード」

「よろしく、マコトくん!」


 名前を聞くと、リリィは笑顔を向けながらマコトの隣に座った。

 肩と肩が触れ合うような距離感。

 母以外に今まで、これほどマコトの近くに踏み込んでくる人はいなかった。

 だからだろうか、もっと話してみたいと思ったのは。


「君……リリィは、どこから来たの? ここには何しに?」


 何気なく、マコトが問いかける。

 リリィの笑顔が、少し曇った気がした。

 

「えっと、わたしはここじゃない、遠い所から来て……あれ?」


 歯切れの悪い言葉を口にする中、リリィの頬を一筋の雫がこぼれ落ちた。

 空色の澄んだ瞳から、涙が溢れ出してくる。


「こんなはずじゃ……わたし人質としてがんばるって決めたのに……」

 

 リリィは涙を手で拭おうとするが、止まる様子はない。

 人質。

 その言葉で、マコトはなんとなく事情を把握した。

 リリィはきっと、ハルトフォードに恭順を誓った家から、マグナ・ハイランドに差し出されてきたのだ。

 彼女もまた、この場所で一人ぼっち。


「泣かないで。その、僕がいるから」 

 

 マコトは涙を流す女の子を前にして、何か言葉をかけたいと思った。

 自分と境遇が似ているからか、他の理由があるのか……何か、考えがあったわけではない。

 どうしたらいいか分からないが、泣いているこの子をどうにかしたい。


「ううっ……うわーん!」


 マコトの言葉に、感極まったのだろうか。

 リリィはマコトに勢いよく抱きつくと、その胸で思い切り泣き出した。

 背中に回された手は縋り付くように力強く、温かい。

 まだ8歳で対人経験の乏しいマコトは、いきなり女の子に抱きつかれて戸惑った。

 しかし彼女の背中が震える気配を感じ取ると、恐る恐る、そっと撫でた。



 少ししてリリィが泣き止んだ後、改めて彼女の話を聞いた。

 リリィはハルトフォードと国境を接する都市国家の領主であるシトロエン家の娘だ。

 シトロエン家が実質的な服属という形でハルトフォードと同盟を結ぶにあたり、人質として今日、少数の家臣だけを連れてマグナ・ハイランドに送られてきた。

 マコトの父であるハルトフォードの当主と謁見するために着飾って準備していたが、抜け出して城内を探索していたらしい。

 逃亡ではなく、好奇心で。

 見た目や雰囲気通りではあるが、リリィはかなり活発な女の子らしい。


「ところで、マコトくんはハルトフォードの人なんだよね?」

「まあ、うん。一応ね」


 隣に座るリリィの質問に、マコトはおずおずとうなずく。

 離宮に放置されているマコトがハルトフォード家の一員として認められているのかは自分でも分からないが、少なくともその姓を持っていることは確かだ。


「そっかそっか!」

「……どうしたの?」


 マコトの答えを聞いて、何故かリリィは嬉しそうだ。


「じゃあわたし、マコトくんのお嫁さんになるね!」


 満面の笑みで、リリィはいきなりそんなことを言い出した。

 ……離宮の書斎に置かれた小説で読んだことがある。これは、プロポーズというやつなんだろうか。


「いきなり、どういうこと?」

「わたしはハルトフォード家の人のお嫁さんになるために、人質としてここに送られてきたって聞いたから! マコトくんがハルトフォードなら、マコトくんのお嫁さんがいい!」

「僕たち、会ったばかりだし……そもそも、僕なんかでいいの?」


 人質というものが、相手を選べる立場なのかという疑問はこの際置いておくとして。

 シトロエン家の立場とか、リリィ自身の将来を考えたら、マコトではなく兄たちの誰かと結婚した方が得するだろうということくらいは、8歳のマコトでも分かる。


「うん! だってわたし、マコトくんのこと好きだから」

「えっ」

「マコトくん、かっこよくて優しいから……一目惚れしちゃった」 


 これまで通り眩しい笑顔で話すリリィだったが、照れ臭そうに頬を赤く染めていた。


 母以外に、誰かに好きだと言われたことはあっただろうかと、マコトは振り返る。

 間違いなく、この時リリィに言われたのが初めてだ。

 これが、誰かに認められるということなんだろうか。

 後から振り返って思えば、この時からだ。

 マコトがリリィのことを好きになったのは。

 そして、まだはっきりとした自覚はなかったけど。

 マコトの生きる道が決まったのは、この瞬間からだ。

 

 マコトとリリィがまだ8歳だったこの日。

 きっかけは、まさしく子供どうしの戯れのようなやり取りだった。

 そんな戯れは、マコトとリリィにとっては運命的な出会いであり。

 この先の二人の運命と、世界の行く末が、決まった瞬間だった。

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