第3話 やっぱり僕は、今でもお前を殺したいよ

 酒場でリリィと別れてから数時間後。

 日付が変わり、夜もすっかり更けた頃。

 マコトは堅牢な要塞のような造りをした実家……マグナ・ハイランドに帰ってきた。

 祝宴の熱が冷め、静まり返る城内に裏門から入ると、廊下やら庭園やらを抜けてひたすら歩く。

 その先、巨大な城内でも外れの一角にある物置のような小部屋が、マコトの部屋であり、家中における彼の立ち位置を象徴している場所だ。


(……流石に飲み過ぎたか)


 部屋の扉に手をかけるマコトの足取りは、酒のせいで少しおぼつかない。

 軽い頭痛を感じながら部屋に戻ると、薄暗い室内に誰かいた。

 

「リリィ……?」


 月明かりだけが照らす部屋の中でも、見間違えるはずがない。

 この後ろ姿は、先ほどまで一緒にいた幼馴染だ。


「ふむ、ようやく戻ってきたか。遅かったの」


 振り向いたリリィの様子は、酒場で会った時の天真爛漫な雰囲気とは異なっていた。

 同じ顔ではあるが、普段の彼女なら見せることのない、妖艶な表情。

 今、マコトの前に立っている少女は、彼のよく知るリリィ・シトロエンであって、そうではない。

 リリィの中には、もう一つの人格が存在する。

 いわゆる二重人格というやつだ。

 リリィが二重人格であるという事実は、マコト以外知らない。リリィ自身含めて、だ。

 マコトですら、これまで彼女と接してきて時折違和感を持つことはあったが、違う人格が存在するとは最近まで認識していなかった。

 この事実をマコトが知ったのは、魔王城で全てを失ったあの日だ。

 そう、彼女こそが、人々から魔王と呼ばれて恐れられている、諸悪の根源だ。


「それにしても、奇妙な話よな」


 リリィの見た目をした魔王は、薄手の寝巻き姿でベッドに腰掛ける。


「よりによって、わらわが依代にしているこの女子おなごが、他でもない魔王わらわを倒す勇者に抜擢されるとは」


 くくくっ、と魔王は楽しげに笑う。普段のリリィとは違う笑い方だ。

 こいつがリリィの中にいるから、マコトは魔王を討てなかった。

 魔王を討ち果たすことは、リリィの命を奪うことと同義。

 そんなことは、それだけは、できるはずがなかった。


「巷では、お主が使命を果たせなかったせいでこやつが勇者としての役目を背負うことになった、と同情的な声が多かったぞ? 負けたのだか裏切ったのだか知らないが、先代のせいで代々受け継がれてきた勇者の権能が失われたという不利な状況で、危険な役割が回ってきた……とか。お主はもう、散々な言われようじゃ」

「言わせておけばいいさ。結局僕が何もできなかったのは本当だ」

「じゃが、奴らも勝手だと思わんか? お主は裏切ったのではなく、ただこやつを救うための行動を取っただけなのだから」


 リリィの姿をした魔王は、自らの胸に手を当てながら、語る。


「世界とリリィを天秤にかけて、リリィの方を選んだんだ。僕の事情に関係なく、彼らの批判は妥当だよ」

「しかしのう? 勇者の権能にしたって実際には失われてなどおらぬ。正当な形できちんと、勇者の体に受け継がれたのじゃぞ?」

「……その体に、お前が居座っているのが問題なんだろ」


 マコトの言葉に、魔王はまたしてもくくくっ、と笑った。


「ま、そういうことじゃ。これはわらわの体でもあるからの。掠め取って配下にくれてやるのは容易かったわ」

「権能を魔軍に分け与えたのか……」


 権能とは、神から勇者に与えられた、七つの特殊な力だ。

 人の身でありながら、神の力の一部を扱うことができる、勇者だけに与えられたはずの特権。

 それが勇者であるリリィの中に潜む魔王に渡った結果、権能は本来とは真逆の目的で使われることになったらしい。


「うむ。今の配下どもは、四天王などと大層な称号を名乗っていても、地力が物足りぬ新顔ばかりだからの。長年に渡って魔軍の中核を担ってきた猛者どもは、皆おぬしが殺してしまったから」


 魔王は残念そうな表情を浮かべる。


「敵が弱体化しているなら、リリィの旅も安全そうで何よりだ」


 そんな調子で軽口を返していて、マコトはふと思う。

 なんで僕はこいつと馴れ合っているんだ、と。

 黙り込むマコトに対し、魔王は相変わらず、リリィの顔で妖しげな笑みを向ける。


「……それで。お前はわざわざ何をしに来たんだ。まさか、くだらない世間話をしにきただけじゃないだろう?」

「いや何。こやつは夜が明けたらおぬしの元を旅立ってしまうのじゃぞ?」

「だからどうした。別れの挨拶なら済ませたよ、一応な」

「ふむ。まあ、わらわも見ておったが……別れがあのような辛気臭いもので良いのか?」


 魔王は問いを投げかけると、部屋主の許可もなく、仰向けにベッドへ身を投げ出した。

 とても領主の息子が体を休めるのには相応しくない、安っぽくて狭いベッドだ。


「……じゃあ、どうしろと」

「今のうちに、奪っておかなくてよいのか、と思ってな」


 魔王は肢体の輪郭を強調するように手でなぞりながら、挑発的な視線をマコトに向ける。


「奪う……って」


 薄着のせいで、程よくメリハリのあるリリィの体つきが、はっきりと分かった。

 寝巻の隙間から、白い肌が所々露わになっている。

 今は魔王の人格が表に出てきていると理解していても、愛する人の無防備な姿から、目が離せない。


「こやつは類稀な容姿を持っている上に名家の娘で、勇者だからの。世界を旅していれば、取り入ろうとする男も多いであろう。そうなれば、心変わりすることだってあるやもしれん。しばらく会っておらぬ、遠い場所で待つ約束の相手より、目の前の優男の方がよく見えるなど、ありふれた話だからの」

「……それはまた、下らない話だな」

「こやつの心を信じて疑わぬか。しかし、勇者ともなればしがらみも多かろう。必ずしも、心のままに選択できるとは限らぬと思うぞ?」


 名家に生まれた人間なら、政略結婚はよくある話だ。リリィに限ってあり得ないと思っても、こいつの言い分を完全には否定しきれない。

 

「……だとしても、寝込みを襲うような真似はしない」

「わらわはこうして起きておるぞ?」


 魔王はそんなことを言いながら、寝返りを打つ。

 寝巻から覗く胸の谷間が、姿勢のせいで強調された。


「リリィは今、寝ている。だからお前が表に出てきて、好き勝手振る舞っているんだろう」

「確かに、わらわが自由にできるのは、こやつの意識が眠っている間だけ。少女ながらに世界最強と言われるだけのことはあるの。このわらわが、18年も費やして肉体を完全に掌握することができぬとは」


 魔王が無防備に転がるせいで、寝巻がはだけそうになっている。

 マコトとしてはリリィのために直してやりたいと思う反面、寝ている間に無断で彼女に触れるのも気が引ける。


「ともあれ、そんなか弱いわらわだからこそ、間隙を縫うようにしておぬしに夜這いを仕掛けているわけだ。改めて聞くが、抱く気はないのか?」


 魔王は艶っぽい視線で、マコトを見つめる。


「わらわが言うのもなんだが、こやつの容姿は人間の女子の中でも類を見ぬほどに愛らしく、美しい見た目をしておると思うのだが」


 ……全く、魔王というのはたちが悪い。

 人の気持ちや欲望を知り尽くした上で、絡めとろうとしてくる。


「仮に、魔王を抱いたとして。僕は一体、どれだけの対価を払わされるっていうんだ?」

「わらわの下僕、もとい右腕となれ」


 魔王からの要求は、意外なものだった。


「こう見えてわらわは、おぬしのことを高く評価しておる。何せ、誰よりも近くからおぬしの活躍を見届けてきたわけじゃからな。この依代と、同様に」


 魔王はベッドから立ち上がると、ゆっくりとした足取りでマコトに近づく。


「今の僕は魔力を全て失って、戦うことのできない抜け殻だ。そうなった理由は、お前が一番よく知っているだろう」

「使命を果たせなかったことによる、神罰ペナルティか。巷ではこれを、わらわが奪ったように言われておるのはどうも気に食わんが……魔力など、おぬしの強さにおいては所詮うわべの部分にすぎぬだろう?」


 マコトは不意に、殺気を感じ取る。

 魔王の腕の筋が動いた、と認識した瞬間には、手中には聖剣が握られていて。

 寸前までマコトが立っていた場所を、神速の域で斬り裂いていた。

 要するに、魔力を失ったはずの最弱マコトは、恐らくは転移魔法の類によって剣を召喚して不意を突いてきた魔王の一撃を、回避していた。


「……ふん。ただの雑魚なら、今の一撃で死んでおる」


 魔王は憮然とした表情でいて、どこか満足げな声で言う。


「やはり皆、分かっておらんな。民もこの家の人間も、皆おぬしの力を理解せず、功績を忘れた上で蔑む。極め付けはこの依り代じゃな。幼馴染という立場で長い年月を過ごしてきたはずなのに、おぬしが魔力を失った途端、不要だと宣った」


 魔王は埃の被った姿見の前に立って、続ける。


「おぬしは勇者として魔軍と半壊せしめ、この家の人間として他国との領土戦争に貢献し、たった一人愛した幼馴染のために剣を振るい続けた。その果てに得たものはなんじゃ? 何もない。挙句、全てから見捨てられた」

「それは……」


 魔王のくせに、耳の痛いことを言ってくる。 


「……おぬし、何のために生きておる?」


 ともすれば、刺のある言葉。

 だがその口ぶりは、かつて自分に歯向かった者を煽り見下しているというよりは、どこか哀れんでいるようにも見える。

 ……気のせいだ。リリィと同じ顔をしているから、変に好意的にとらえてしまうだけだ。

 そう、マコトは割り切る。


「随分な言いようだけど……少なくとも、リリィは違う。捨てたなんて表現は、お前が都合よく脚色してるだけだ」

「じゃが、かつてのようにこやつと戦場で並立つことはできない」

「だとしても、僕は」

「おぬしがどうあろうと、依り代はそれを望んでいない。こやつにとって、おぬしはもはや対等ではないのだから」


 一言一言が、マコトが抱える悩みを、暴いていくように刺さる。


「確かに勇者じゃなくなったし、リリィから戦力外扱いもされたけど……やっぱり僕は、今でもお前を殺したいよ」

「ふっ。わかっておるじゃろう、できないくせに」


 その笑顔はいつものリリィのように妙に優しげで、寂しげにも見えて。

 ……魔王のくせに、どういうつもりなんだと思う。


「さて、わらわは行くが……別れのキスでも、しておくか?」

「やめとくよ。それをしたら、自動的にお前の配下として契約させられそうだ」

「ふん、いくじなしじゃな」


 魔王は不満げにそう言うと、部屋を出て行った。

 

 一人残されたマコトは、思う。


 ……今までは、ただリリィのために生きてきた。

 そのために力をつけたし、死力を尽くしてきた。

 そして明日からも、力の大半を失ったとはいえ、隣で手助けをするつもりでいた。

 けどそれも、リリィに自ら、戦力外だと告げられて。

 今の僕に、リリィに対してできることはもう、何も残っていない。


 なるほど、確かに……何のために生きているのだろう。

 そう問われた時、今の僕には答えがない、とマコトは思う。


 かつての最強は今、生きる目的を失った、ただの脱け殻になっていた。

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