2.故郷
「エリック、今どうなっている」
観測所へと戻ったロキが最初に向かったのは、観測所の屋上、つまり巨大な壁の上だった。
そこには事前に森の見回りを命じていた部下、エリック・ハードンがいる。彼は設置されている観測用の望遠鏡から目を離し、振り返るとロキへ敬礼した。
「所長が観測所を離れてすぐでしたから、そろそろ一時間が経つ頃かと」
「俺があの子を連れて離れるのを待っていた、ってわけだな。あの野郎……」
望遠鏡を覗かなくても、その異常は見ればわかる。
森の中心、泉の周辺が炎に包まれているのだ。
それも、泉がある広場だけで、その周りにある森には炎が広がっていない。まるでそこだけ目視できない壁があるかのように泉周辺のみが燃えさかり、黒煙が立ち上っている。
が、唐突に炎が消えた。
ロキが縁から身を乗り出す。その横でエリックがすぐさま望遠鏡をのぞき込む。
「……確認できました。泉の中にいます」
壁の上から見る森は、いつもと同じ深緑色と静けさが広がっている。
つい先程まで燃えていたのが幻覚だったかのように、燃えた痕も、煙すら残さず。
それをロキは険しい顔で見つめる。そして感情を殺すように、ゆっくりと長く息を吐いた。
「――警戒態勢を解除する。俺は現場を確認してくるから、エリックは皆に知らせに行ってくれ」
「わかりました」
ばしゃり、と音を立てながら身を起こす。
濡れて顔に貼りつき、視界を遮る白髪から、ぽたぽたと水滴が落ちていく。
それをじっと見つめる。数秒してから自分が呼吸をしていないことに気付き、息を吸い込み、空気を吐き出しながら強ばった体から力を抜く。
と、ずきり、と胸から背中にかけて痛みが走った。せっかく再開した呼吸を詰めて、手を動かして胸を抑える。
もうずっと、この痛みに耐えている。
詰めた息を改めて吐き、のそのそと泉の中で立ち上がれば、少し離れたところでぽしゃんと水紋が発生して広がった。
一瞬だけ、魚のような尾が見える。
青年は溜め息を吐いた。
×××
川に落ちた際の、体の痛みを思い出す。
それだけで自分は死んだものだと思っているのに、意識はまだあって脳が混乱する。体は生存本能に突き動かされてもがこうとしているが、激しい流れに揉みくちゃにされるだけ。すぐに呼吸が苦しくなり、僅かだけ肺に残っていた空気をすべて吐き出してしまう。
だが、次の瞬間、唐突に体が楽になった。
目を開けた。
目の前に、大きな魚が。
「――っ!」
チガヤは飛び起きた。
急に起き上がった為か、鼓動がどくどくと響き渡るかのように早い。呼吸を荒上げながら目を動かし、部屋を見渡し、自分を見下ろし、そして、ゆっくりと、肩の力を抜いた。
「はぁ……夢……」
思わず呟いた後、チガヤは首を横に振る。
あれは夢ではない。実際にこの身で経験したことのはずだ。あのような生々しい痛みの記憶が、夢で終わってなるものか。
でも、だとしたら、おかしい。どうして自分はここにいるのか。
――と言うか、ここは一体、どこだっけ。
「チガヤさん、起きていらっしゃる?」
「っ、ひゃいっ」
ふいにノック音と共に声が聞こえ、肩が飛び跳ねる。
おまけに変な声が出てしまった。それが返事になってしまったようで、慌ててベッドから抜けだそうとしたところで扉が開いてしまう。
「あらあら、お寝坊さんね。よく眠れたかしら」
扉を開けたのはプリシアだった。彼女はベッドであたふたとしているチガヤを見て、ふんわりと笑う。
寝起きで見る美人はより一層輝いて見える。思わず見とれそうになるが、同時に自分が今どういう状況でこの屋敷にいるのかを思い出し、辺りを見渡した。
もしかして、やけに部屋が明るいのは、日が昇っているからなのか。
「えっ、朝……えぇっ、わ、私、あのっ」
「大丈夫よチガヤさん。昨夜はあまりに疲れた様子だったから、あえて起こさなかったの。体調はどう? 食欲はある?」
「え、えと、食欲……」
チガヤが呟けば体が思い出したようで、くぅ、と小さく腹の音がなる。
思わず顔を真っ赤にするチガヤに、プリシアはくすくすと朗らかに笑った。
「朝食にしましょう。これ、わたくしのお下がりで少し大きいでしょうけれど、良かったら着替えに使ってちょうだい。お手伝いした方がいいかしら?」
「い、いえ結構ですっ、自分で着替えられます!」
「そう、ふふ。朝食を用意しておきますから、着替え終わったら一階の食堂にいらしてね」
笑顔で部屋を後にするプリシアに何度も頭を下げつつ見送り、恥ずかしさで火照った頬にぱたぱたと手で風を送る。
そして腹部に手をあてた。昨日は疲れ切っていて感じなかったが、よく考えれば一日中、何も食べていない。
それに――と、チガヤは自分の体を見下ろす。五体満足で自由に動かせる手足があり、どこにも痛みがない。川の水面に叩きつけられたはずなのに、打ち身の痕すら残っていない。
あんなに高い場所から川に落ちて、激流に揉まれて、苦しかったはずなのに。
「……そういえば、あの時……」
意識が遠退く直前に見た、大きな魚。
魚、だと直感的に思ったが、本当にそうだったのだろうか。魚にしてはチガヤの身長よりも大きかったような、水の中で輝いていたような。
そんなことを考えていると、再び腹の音がくぅと鳴った。
「……生きていたら、お腹も空く、か……」
ぽそりと呟く。
すぐに頭を横に振って、プリシアから受け取った着替えを手に取った。
エルドラン邸には奥方であるプリシアと、長年エルドラン家に仕えているという使用人の夫妻しかいないようだった。
立派な屋敷故にもっと人がいるのかと思っていたチガヤだったが、拍子抜けするほどに屋敷の中は静かだ。大勢の見知らぬ人に囲まれることはないようで、ホッとしながら朝食を頂くことができた。
「とても美味しかったです」
「あら嬉しい。お口に合ったみたいで良かったわ」
自分で食器を下げに行くと、プリシアがキッチンで仕事をしているところだった。
聞けば、料理は彼女が作ったらしい。元より料理が趣味だったそうで、この家に嫁いできてからは毎日の食事を彼女がするように自ら名乗り上げたそうで、思わず尊敬の眼差しで彼女を見つめてしまう。それほどに美味しかったのだ。
「あの、ロキさんは……」
「早朝に一度帰ってきたのだけれど、すぐに仕事に戻ってしまったわ。あの人に何かご用だったかしら?」
「あ、いえ、その、私の故郷を調べてくださっているみたいなのですけれど、私、昨日はぼんやりしていて、うまく話せなかったので……」
「それなら昼頃にまたこちらに帰ってくる予定だと言っていたから、それまでゆっくりしておいてちょうだい。それとも、何かやっておかないと落ち着かないかしら?」
微笑みかけられて、チガヤは正直に頷く。 何か、手を動かしていないと心が落ち着かない状態だった。今は居候の身であるが故に、余計に何かしていないと到底ゆっくりなどできそうに無い。
プリシアがチガヤの顔を覗き込んでくる。輝くような美女に思わず目を瞑りそうになるのを堪えていると、彼女はくすりと笑った。
「顔色は大丈夫そうね。それなら、少しお出かけしましょうか。貴女の身の回りの物を揃えないとだわ」
「え、え」
「あぁ、オルドさん、お買い物に行ってきます。主人が帰ってきましたら待って頂くようにお伝え願えるかしら」
「え、プリシアさん? ちょっと、ま」
たまたま通りすがった使用人に声をかけ、プリシアはチガヤの背を押す。
断る間もなく、チガヤは強引に屋敷の外へと連れ出されたのだった。
×××
それからプリシアとの買い物は二時間に及んだ。
にこにこと満足げな笑顔で帰宅したプリシアと、おろおろしながら荷物を抱えているチガヤを、少し前に帰ってきていたロキは少々呆れた様子で出迎えた。
「またえらく買い込んできたな」
「えぇ、久しぶりに良いお買い物でしたわ」
プリシアの後ろにはチガヤが抱えている荷物以外にも買い込んだものが大量にあり、それらを使用人夫妻が苦笑を浮かべながらせっせと部屋に運び込んでいる。
チガヤはおそるおそる頭を下げた。
「あの、私、お金を持っていないのですが……」
「気にしなくて良い。俺にはよくわからんが、女性には必要なものなのだろう? 必要経費だ」
「で、ですが……うう……はい……」
チガヤとしては、かなり遠慮したのだ。しかし「ついでの買い物だから」とプリシアが次々と商品に手を伸ばし、チガヤが断れば断るほどに買い込んでしまう為、止めることができなかったのである。確かに、ほとんどが着替え等の生活必需品ばかりではあるが、それにしては量が多すぎないだろうか……チガヤは申し訳なさで項垂れる。
そんなチガヤに対して、ロキはそんなことよりも、とチガヤを見据えた。
「チガヤ。君の故郷の場所が判明した」
ベールと共に流れ着いていた花が、特定の地域にしか咲かない固有植物だということが判明したらしい。その地域内に流れる川を調べ、縁沿いを辿れば、村を見つけるのは簡単だったという。
「といっても、地図に記されているものを調べただけで、現地調査はこれからだ。最寄りの軍駐屯所に何か情報がないか問い合わせてはいるが……地図を見る限り、かなりの山奥だからな。期待はできない。待つだけ無駄だろう」
エルドラン邸内の執務室にて、ロキは地図を広げて指し示す。
チガヤはまじまじと地図を見つめる。が、すぐに我に返ったように地図から目を離すと、頭を下げた。
「あの、すみません、私、昨日はちゃんと話せなくて、お手数をおかけして……」
「いいや。昨日は話したくても話せなかったんだろう? 大雑把にノースフィナンド方面だということはわかっていても、村の正確な位置を、君は知らなかったんじゃないか」
「……」
図星だった。
驚いて何も言えなくなるチガヤを、ロキは真っ直ぐに見据える。
「村を出たことがないんだろう。まぁ、山奥の小さな村で、麓の町に頻繁に行ける距離でもないようだから、わからなくも無い。が、それにしては人の視線を気にするし、大勢の人間に囲まれると怯える節がある。小さな村では人と人との交流が命取りになるケースが多々あるはずなんだが、どうも君にはその辺りが欠如しているように見える……そこから推測するに、君は住んでいた家屋からすら、一歩も外に出たことがないんじゃないか?」
「……」
何も言い返せなかった。
チガヤは俯き、両手を組み、握りしめる。
「どうして、わかったのですか」
「俺の仕事柄そういったことばかり気にして観測しがちということもあるが、まぁ、俺でなくても不自然に思う者はいただろうな。君は君自身のことを口にしなさすぎる。大抵、そういう場合はやましいことがあるか、それとも自分でも知らないか、だ。そして君の場合は後者。知らない故に話すことができず、自分のことで他人に迷惑をかけてしまっている故に、必要以上に謝罪しようとする」
「…………仰る通りです」
顔を上げられない。
そんなチガヤを、ロキはじっと観察する。 暫しお互いに口を閉じ、静けさが部屋に満ちた頃、ロキはふぅと息を吐く。
「明日、現地調査に向かう。君の村までは車を使えば一日で着くだろうから、往復で最短二日間ぐらいか……チガヤ。一緒に来るか」
「え」
顔を上げた。
ロキはまっすぐに少女を見つめていた。
「君を村に帰すわけではない。それは君も望んではいないだろう。ただ、君としても故郷がどうなっているのか、気に掛けているんじゃないか? こちらの条件をのんでくれるのであれば、俺たちの調査に君を同行させよう」
少女は少しだけ、ホッとしたような顔をする。
が、続けて告げられた条件に、再び表情が曇った。
「君が着ていたあの白いドレス。あれは、ここに置いていけ」
×××
フィナンド国のノース方面は、山岳地帯が広がっている。
おとぎ話が語られるよりも以前の世界では、この辺りは水神信仰が栄えていた土地であったそうだ。山から流れてくる豊かな水源を求め、沢山の人が集まっていた形跡があちらこちらで見られるらしいのだが、世界崩壊後はいくつかの小さな農村が残っているだけで栄えてはいない。
そしてそれは、故郷がある山の麓も同じであった。道中は整備されていない悪路が続き、ただでさえ人生初めての長距離移動であったチガヤにとっては苦痛でしかなく、山の麓にある町についた頃にはぐったりとしてしまっていた。
そんなチガヤを、調査に同行しているアルテが甲斐甲斐しく世話をしてくれた。
「暫く休憩ですって。ほら、座席で横になっていて」
「うぅ……すみません……足手まといになって……」
「大丈夫、私たちのことは気にしないで。チガヤちゃんはもうちょっと甘えてくれても良いぐらいよ」
車は麓にある町の手前で停車し、ロキが部下をつれて町の様子を見に行っている。その間、後部座席で横になったチガヤの背を、アルテが手を伸ばしてさすってくれた。
頭がくらくらとして胸が苦しく吐き気を感じるのは、アルテ曰く、車酔いなのだそうだ。初めての感覚と気持ち悪さを堪えながら、チガヤは別のことを考える。
今回の調査メンバーは、ロキとアルテ、そしてエリック・ハードンが同行している。
エリックはライフル銃を背負っており、ロキも何か杖のような棒を持ち込んでいた。さらにはアルテの腰にも小さな拳銃が装着されているのを見つけ、チガヤは横になったままアルテにそれらのことを問いかける。
「ああ、これのこと? ちょっとした護身用……と言うには、エリックの装備が説明つかないわよね。実をいうとね、事前調査によれば、この辺りは野党が出るという報告があったのよ」
「野党……危険な人たちなのですか?」
「確実に物騒な奴らではあるでしょうね。過去に軍用車を襲ったという事例もあったみたいだし、用心するに超したことはないわ」
「そ、そうなのですか……」
無論、チガヤはそれを知らなかった。
故郷の周りは危ない地域だったのか。窓から眺める村は、いつも穏やかな雰囲気だったのに。
と、ぼんやり考えているところにロキとエリックが帰ってきた。
二人の表情は固い。戻って早々、ロキが重々しく口を開く。
「状況が悪そうだ。チガヤはここに残った方が良いのかもしれない」
「えっ」
思わず声が出た。
慌てて身を起こすチガヤに、ロキは溜め息を一つ。顔を顰めながらも、誤魔化さずにはっきりと言葉を告げた。
「二日前、火事があったらしい……チガヤ。君の故郷の村が、燃えたそうだ」
村は全焼していた。
無理を言って連れてきてもらったチガヤは、その光景を目の当たりにして、崩れるようにへたり込んだ。
家屋は全て焼け落ち、村の入り口にある門だけが辛うじて原型がわかる程度に残っている。この門は、チガヤが部屋の窓からいつも眺めていたものだ。故に、元の形がわかる分、ここが故郷で間違いないのだとチガヤに知らしめる証明になってしまっている。
火は消し止められているものの、未だ残り火が燻っているのか焦げ臭く、人の気配は一つもない。
「……村の、人たち、は……」
震える声で、チガヤが呟く。
その呟き声を拾ったのはロキだった。
「麓の町に逃げ込んで救助された住民は何人かいたらしいが……全員が無事だったかは、聞けなかった」
「……」
それ以上、何も聞けなかった。
黙り込んでしまったチガヤを見下ろし、小さく息を吐いたロキは、すぐに思考を切り替えてエリックとアルテに指示を飛ばす。二人の部下が辺りを警戒しながら村の中へと進み、ロキは持ち込んだ細長い棒に手を添えながら素早く周囲を見渡した。
村は崖沿いにある。崖の下にはチガヤが落ちたという川が流れているのだろう、ごうごうという激しく流れる水の音が微かに聞こえている。村の規模としては地図で見た通りに小さく、家屋もここから目視できるだけでも五、六件ほどしかない。
そしてその家屋全てが、火事によって倒壊していた。すぐに消し止められないほどの火の勢いだったのだろう。が、しかし、村の周辺に密集している山の木々には火の手が及んだ形跡は見られない。
ロキは眉を顰める。
既視感を覚えるような、火事の跡だ。
まるであの泉の――観測対象である、あの青年が起こす炎を、模しているかのような。
「私、の」
ふいにチガヤが呟いた。
ロキが思考を止めて視線を向ければ、少女は両の瞳からぽろぽろと涙が溢れてこぼれ落ちていた。
「私のせい、でしょうか」
「チガヤ、君は」
「私が、ちゃんと役目を果たせなかったから……水神様の元に行けなかったから、罰が下ったのでしょうか」
涙を溢しながら青白い顔をする少女は、何かに怯えるように身を震わせている。
予測はしていた。その予測が当たっていたようで、ロキは溜め息を吐く。
「やはり君は、水神に捧げられた生贄だったか。君が着ていたあのドレスは、水神の元に身を捧げるという意味の花嫁衣装だったんだろう」
少女が泉に流れ着いた時の状況を思い返せば、その予測は簡単につく。
レースやフリルがふんだんに装飾されていた真白のドレスと、少女が自分のものだと言っていたベール。それらは花嫁が身につける衣装だ。おそらく、あの真白のドレスを着て頭からベールを被り、その上から花冠をしていたのだろう。ベールに引っかかっていたと思われる花は、花冠の名残だ。
更には、あの時の少女の言動。川に落ちて溺れたと自覚していたというのに、それに対して取り乱していなかった。少女の表情はただひたすらに困惑していただけで、溺れたのに助かったという安堵ではなく、「なぜ死ねなかったのか」と焦るような、そんな戸惑いの仕方をしているように見えたのだ。
花嫁衣装に、己の死を覚悟していたような振る舞い。
つまり少女は、川に落ちたのではない。
自分の意志で、おそらく崖上から、川に身を投げたのだ。
かつてこの地で栄えていたという、水神信仰。その古いしきたりに従って。
だが、しかし。
ロキは少女から視線を逸らし、焼けた村を見渡す。
「君が生贄にならなければいけない必要性があったのかを確認したいところだが、この状況は君のせいではなさそうだぞ。それどころか、君は村の者たちに、生贄という体で助けられた可能性がある」
「……え?」
チガヤが顔を上げる。
ちょうどその時、偵察に行っていたアルテとエリックが戻ってきた。二人はそれぞれ拳銃とライフルをいつでも使えるように構えている。
二人からの報告を受ける前に、ロキが結論を口にした。
「やはり人為的な火事か」
頷いたのはエリックだった。
「燃料を使った形跡がありました。その上で、山にまで火が回らない細工の跡も。人為的かつ計画的な火事で間違いないかと」
エリックに続き、アルテも発言する。
「ですが、家屋内が荒らされた様子はありません。火事場泥棒というわけでもなさそうです。そうなると、ただの野党の仕業と考えるには――」
アルテの言葉が途切れる。
次の瞬間、ロキが突然チガヤの肩を押し、地面へと押し倒した。
と同時にチガヤの耳元で何かが空気を切り裂く音がし、さらに一瞬遅れてエリックがライフルを構えて発砲する。
銃声音が、立て続けに二つ、鳴り響く。それまで静寂を保っていた山に響き渡り、鳥たちが驚いてあちこちの木々から飛び立つ。
「……え」
チガヤには何が起きたのか、すぐに理解ができなかった。地面に倒れたままロキを見上げる。
ロキの頬には一筋、じわりと血がにじみ出していた。
「エリック、当てたか」
「いえ、外しました」
「お前の腕を持ってしてもか?」
「所長はオレのことを過大評価しすぎです……が、相手もどうやら、やり手のようです。所長が動かなければ今頃、彼女の後頭部を確実に撃ち抜かれているところでした」
ロキとエリックの会話を聞いて、うっすらとチガヤにも状況がわかってきた。
つまり、チガヤは撃たれるところだったらしい。耳元で聞こえた空気を切り裂く音は、チガヤの頭に当たるはずだった銃弾が外れて通り過ぎる音、だったのか。
「なるほど。確かに、ただの野党ではないな」
すぐにロキが立ち上がる。そして持っていた棒をまるで剣のようにして構えた。と同時に、周りの木々からガサガサと騒音が聞こえ始める。
チガヤには何が起こっているのかわからない。ただ、駆け寄って手を貸してくれたアルテに、思わずしがみついた。
「チガヤちゃん、立てるわね?」
「え、は、はい、あの」
「話は後。ほら、足に力入れて」
急かされて、立ち上がる。
その時、周りの騒音がより一層大きくなったかと思えば、何人もの人間が一斉に姿を現した。
どこかの民族衣装なのか、全員が赤色を基調とした服装で統一しており、顔に面をつけている。その面で表情は見えないが、各々が刃物や鈍器といった物騒な物を持っていることから、歓迎されていないのは明確だ。
と、瞬間的にチガヤは思い出した。いつも部屋の窓から眺めていた村の門、その前で、村人とよく何か口論をしていた団体が、確かこんな服装をしていたはずだ。
「この人たち、見たことがあります」
思わず声に出したチガヤに、アルテが素早く反応する。
「チガヤちゃん、それは本当?」
「は、はい。でも、村の人たちと交流があったわけじゃなくて、村に入らないように、いつも言い争っていたような……」
「それはそうだろうな」
チガヤの言葉を拾ったのはロキだ。彼はじりじりと距離を詰めてくる団体を睨み付けながら、口を動かす。
「こいつらは『赤の使徒』とか呼ばれている邪教信者だ。過激な思考のやつらで、まぁ見てわかるとおり、自分たちの信仰をまかり通す為には暴力も犯罪も厭わない狂信者どもだ……この様子を見る限り、過去に軍用車を襲った野党というのも、こいつらの仕業だろうな」
ロキは冷静にそう分析する。
つまりは、話が通じない相手ということだ。それを証明するかのように、リーダー格らしき大柄な男が一歩前に出て、面越しに声を発した。
「赤毛の女をこちらへ寄越せ。であれば、お前達は見逃してやる」
チガヤは肩を跳ねさせた。この場に赤毛の髪を持つのはチガヤしかいない。アルテが素早く自分の背にチガヤを隠し、ロキが呆れたような声を出す。
「さっき彼女を撃とうとしたのはお前達だろう、なのに彼女を早々手放すと思うか? 目的は何だ。聞くだけ聞いてやる」
「生まれつきの赤毛は生贄の証拠。村の連中は水神に捧げるつもりで女をどこかに逃がしたようだったが、その女は我らが崇める邪神様への供物にするべき存在だ」
邪神。
と、狂信者は口にする。
それをロキは鼻で笑った。
「ハッ、赤い髪だと生贄の証拠? 邪神への供物? 邪神がそれを求めているとでも? ――巫山戯るな」
途端、ロキの声質が一段と低くなる。
「アイツはそんなこと、微塵も求めちゃいない」
冷気を帯びたロキの怒気混じりの言葉は、狂信者たちを怖じ気つけさせるには充分だった。何人かが一歩、後ろへと足を引く。
が、リーダー格の男だけは怯まずに手にした鉈を振り上げた。
「や、やはり、軍が邪神様を捕らえて私物化しているという噂は本当なんだな?! なんたる不敬か! 女と共に邪神様の供物にしてやる! そして邪神様が司る炎で浄化されるがいい、この村と同じようにな!」
リーダー格の男が叫べば、周りの信者たちも勢いを取り戻したようだ。
信者たちの奇声や怒声が聞こえる中、ロキは呆れ果てた様子で息を吐き出した。
「自らこの村を燃やしたと自供までするなんて、馬鹿なのかこいつらは……さて、チガヤ。君はどうしたい?」
急に話を振られて、チガヤはビクリとしながらロキを見る。
ロキは振り返らずにさらに問いかけた。
「奴らはああ言っているが、君の意志は尊重するべきだろう。奴らに捕まり供物にされて死ぬか、水神の生贄として死ぬか、それとも――生きたいか」
「……っ」
チガヤは強ばった表情で前を見た。
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