32.サンドバッグ ♡ 飛空艇 → 爆発

 

『グ、オオオオオオオオオオオオ――っ‼』

 

 もう何撃目か分からない。

 巨漢きょかんは魔王に向かって拳を振り下ろす。

 魔王は吹き飛ぶ。爆音。激しい衝撃。

 その中から立ち上がってくる魔王。


 ふたたび拳を振り上げて。

 殴る。吹き飛ぶ。激突。


 その繰り返し。


「…………」


 そして魔王は。今回もまた無言のまま――立ち上がる。

 

 身体も。衣服も。

 見ただけではっきりと分かる。ボロボロだ。


「………………」


 しかしどれだけ拳を振るわれようとも。

 打撃を喰らおうとも。

 

 魔王はひとつも抵抗をしなかった。


「もう、やめて……っ」

 

 台にはりつけにされたままの勇者が悲痛な声でいった。


「お願い。このままじゃ死んじゃう! ねえ、魔王……もう、あたしのことはいいからっ……」

 

 そんな切実たる懇願があっても。

 巨漢の狂戦士はふるう拳を止めない。しかし――


『……っ!』


 よくみれば、巨漢の身体は微かに震えていた。呼吸も乱れている。

 

 幾度と攻撃を加えようとも。

 苦悶の声ひとつあげず、ただただ無言で立ち上がってくる魔王に対して――


 巨漢は混乱を越えて、もはやの感情すら覚えるようになっていた。


『ウ、ウウ、ウウウ……ウガアアアアアアアアッ⁉』

 

 そんな恐怖を振り払うかのように叫び、ふたたび魔王に一撃を加える。

 それでも事態は変わらない。

 魔王はただ、ただ、何度も、何度も――


 身を起こして、もとの場所へと戻ってくる。


「ク、ウ……! ばかな、ありえないッ……堅牢けんろうな城壁すらをも砕く拳を……十、百……何度受けた……⁉ それでもなお立ち上がるなど、考えられんッ――うん?」

 

 枢機卿が歯ぎしりをしながらみると、巨漢は次なる攻撃の手を止め躊躇ためらうようにしていた。


『…………っ』

 

「な、なにを戸惑っている! 相手は無抵抗の〝サンドバッグ〟なんだぞ⁉ 躊躇う必要はない、とっととそいつをくたばらせろ‼ さもないとお前は――になるぞッ」

『ウ、ガアアアアアアアアっ‼』


 巨漢は枢機卿の言葉にびくりと反応し、意を決したように叫んだあと大拳を振り上げた。

 その瞬間。

  

「………………」

 

 それまでただただ攻撃を受け入れていた魔王が目を見開き――瞳で巨漢を射抜いぬいた。

 

『……ウオ⁉』

 

 びくん。巨漢が振り上げた拳が、ぴたりと空中で静止した。

 魔王はただ何もせず、ただ巨漢をだが――

 その得体の知れない迫力に、思わず後ずさってしまう。

 

『ウ、ア……!』

 

 ボロボロの身体のまま、魔王は言う。


「ぬ――どうした? 余の息の根を止めるのではなかったのか?」

『ウ、ガアアアアアアッ……⁉』

 

 ついに巨漢は震える手で頭を抱え、その場に崩れ落ちた。


「な、なんだッ……⁉」


 枢機卿は絶句し顔を歪める。


「こ……これでは、どちらが追い詰めているか分からないではないかッ……!」

 

 その呟きと同時に、時計の砂が落ち切った。

 

「ぬ――約束の時間が過ぎたようだ」


 魔王はなにもなかったかのように淡々と言う。


「これで勇者を助けてくれるな?」

「……ッ!」

 

 枢機卿はしばらくたじろいでいたが――

 やがて吹っ切れたように高笑いをはじめた。


「フ、ハハハハハハハ! 馬鹿め! 解放などしてやるものか‼」

「なっ⁉ 約束が違うわよ!」


 とたまらず勇者が叫んだ。


「魔王は、あんたの言うことを信じて命がけで……!」

「ええい、うるさいッ! ここで魔王の息の根を止めるという計画は失敗に終わったが……ひとつ良いことも知れた。魔王にとって〝勇者の存在〟は想像以上にであるらしい。一方的で理不尽な暴力を黙って受け入れるほどにはな――ならば、ますます勇者を解放するわけにはいかぬッ!」

 

 そこまで言い切ると枢機卿は壁側に近寄って、そこに仕掛けられたスイッチのようなものを押した。

 その瞬間、ごごごごご、と低い地響きのような唸りとともに教会全体が震動を始める。


「きゃっ、なにっ⁉」

 

 やがて床が大きく割れて、中から巨大な【飛空艇ひくうてい】がせり上がるように現れた。


「フンッ。まさか奥の手こいつまで使うことになるとはな……お前ら、準備をしろッ!」

『『は、はいっ!』』

 

 一斉に聖兵や側近たちが飛空艇に乗り込んだ。

 やがて数多の魔法陣が展開され、飛空艇は空へと浮かんでいく。

 

「なによ、これ……! きゃっ⁉」

 

 勇者は台座ごと抱えられるように兵士たちに連れられ、船へと乗り込んだ。

 そして飛空艇はごうごうと大きな音を響かせながら、空へと向かって飛翔をはじめる。

 

「ぬ――」

 

 魔王も船に飛び乗ろうと試みたが――


『グ、ガアアアッ……!』

 

 先ほどの巨漢が、最後の力を振り絞るように魔王の足を掴んできた。

 その間に飛行艇はさらに高度をあげ、とうてい到達できないような空中にまで飛び立った。


「フハハハハハ! 魔王といえど、ここまで来れば追ってこれまいッ」


 枢機卿が高らかに言った。


「そして魔王よ――これでオサラバだッ」

「な、何をする気……⁉」

 

 枢機卿は飛び立った地である大教会に向かって手をかざすと――

 どごおおおおん。と。

 天をもつんざくような激しい光とともに、大きなが起きた。


「――え?」

 

 遅れて激しい爆音と爆風が、勇者たちのいる飛行艇にまで届いた。


「クク、ハハハハ! そうだ、これでいいッ! 魔王は強がり平然ぶってはいたものの……狂戦士の攻撃でダメージがゼロだったワケでもあるまいッ。この爆発でトドメだッ‼」

「魔王ーーーーーーーーっ!」

 

 空に向かって立つ光の柱のような爆発痕ばくはつこんを見ながら、勇者が叫んだ。


「う、ううっ……! 最低よ、あんたたちっ。なにが聖教会よ……あんたたちなんて、もう人間じゃ、ないわ……」

「クハハハハ! 人間じゃない、か。それはまさに【魔王】に対して言うべきセリフではないか?」

 

 枢機卿は勝ち誇ったように厭らしく頬をあげた。


「う、うう……魔王……っ」

 

 勇者のつんとした瞳から大粒の涙がこぼれはじめる。

 枢機卿は高笑いを続けている。

 

 そんな中で。


「うん? なんの音だッ……?」

 

 ピイイイイ、と甲高い音が空に響き渡った。

 なにやら〝笛〟の音のようだった。


「聞こえるのは……大教会があった方角だな。んんッ⁉」

 

 枢機卿が目を見開いた。

 笛の音が聞こえた方角――未だもうもうと煙が立ち上る爆発の中心地から。

 大きな翼をはためかせて【ソレ】はやってきた。


「な、な、な……⁉ ド――だとおおおおおおおおッ⁉」

 

 まさしく。

 空を飛空艇に向かって駆けてくるのは、黄金に輝く龍だった。

 その背中には他ならぬ魔王その人が乗っている。


「し、しかもあれは、龍種の中でも最上位の力を持つ黄金龍……⁉ ふざけるなッ! そもそもプライドの高い龍種がその背に人を乗せるなど、聞いたこともないぞッ……!」

「あ……もしかして」


 勇者が気づいたように言った。

 

「あいつはあのときの――魔王のペット!」

「ペットォォォォ⁉」


 枢機卿が目を飛び出させて叫んだ。


「笛を吹いたらいつでも駆けつけるって言ってたけど……本当に来てくれたのね……!」

 

 龍はと飛空艇の距離はみるみるうちに縮まってくる。


「な、なにをしている! 速度をあげろ! このままでは追いつかれるぞ!」

 

 枢機卿が混乱しながらも指示を出すが――無駄だった。

 龍はあっという間に飛行艇に追い付くと、その背中から魔王が船の甲板かんぱんへと飛び降りた。

 

『ヘヘ――旦那、これで良かったですかい?』


 飛行艇に並走するように飛翔する黄金龍が言った。


「うむ。助かったぞ」


 魔王は視線を向けながら返す。


『旦那にそう言われりゃ光栄でさあ! またいつでも呼んでくだせえ! いつだって駆けつけますぜ……!』

「ああ――頼りにしている」

 

 魔王が軽く手を掲げると、黄金龍は満足そうに瞳を輝かせ巨体を空でひるがえすと、白くぶあつい雲の中へと消えていった。

 

「い、一体、なんなのだお前はッ……⁉」

 

 一連の龍とのやり取りを信じられないように見ていた枢機卿が、震える声で言った。

 

「そもそもッ! お前はナゼあの爆発を受けてぴんぴんしているのだ……⁉ あれはもしもの時に備え大教会の地下にほどこしていた【集団聖魔法】――その威力は、小国であればたやすく滅するほどであるぞ……⁉」

「ぬ? ああ。そうだな」

 

 しかし魔王は。そんなことを聞いてもなお。

 やはりなんてことのないよう淡々と言うのだった。


「たしかに――国が滅びるかと思うほどの衝撃だったな」

「……っ⁉」

 

 もはや絶句するしかない枢機卿に向かって。

 魔王は堂々と言った。



「さあ――勇者を返してもらうぞ」



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