23.吊り橋効果 ♡ 火口 → エンカウント

「〝吊り橋効果〟をご存じでしょうかっ」


 聖女が指を立てながら説明する。


「吊り橋の上などの〝危険な状況〟に身を置くと、必然的に心臓が高鳴りますでしょう? そのドキドキを〝恋のどきどき〟と勘違いをし、一緒にいるお相手のことを好きになるという理論ですわ」

「そ、それは分かったけど……!」


 説明を聞いていた勇者はごくりを唾を飲み込む。

 

「これはさすがにんじゃないのーーーーーーっ⁉」


 勇者が叫んだのも無理はない。

 モエネの言う〝吊り橋効果〟を体感しようと連れてこられた場所は。


 世界に名だたる【大火山】の頂上だったのだから。


「きゃっ、あぶない!」


 容赦なく火山弾が近くの地面に落下した。

 火口を見下ろすと深紅のマグマが大波のようにたけりくるっている。

 ここまで届く熱風は暖かいを遥かに通り越して、額からは汗が噴き出した。


「このスリル、たまりませんわね……! ドキドキが止まりませんわ……!」


 しかしこんな状況であっても。

 聖女は両手を絡ませ、恍惚感に浸っていた。


「絶対それ、直近の命の危険からくるドキドキだって! 〝恋のドキドキ〟と勘違いしようがないレベルに至っちゃってるから!」


 勇者は熱気に負けないように突っ込むが、浮かれた足取りの聖女の耳には届いていないようだ。

 まったく、と勇者は息を吐いてから続ける。

 

「で。……肝心の魔王はどうなのよ。こんな状況なら、さすがに焦ったりはしてるのかしら……?」


 一縷の望みをかけて、最後部にいた魔王を振り向くと――

 彼は相変わらずの無表情を浮かべていた。


「って! やっぱり動じてないし!」


 勇者は腕を組みながら困ったようにする。


「うー……吊り橋効果なら、自分だけじゃなくって〝相手〟もドキドキしてないと意味ないじゃないのよ……」

「はっ! そうですわ、旦那様!」


 聖女が魔王のところへと近寄っていく。

 

「ぬ、モエネか。余を連れてきたかったというのはこの場所か?」

「はい……いかがですか?」と聖女が上目遣いで訊く。「は、されませんか……?」


 魔王は一瞬、自らの胸の鼓動を確かめるように目を閉じたが。

 やがてふるふると首を振った。


「そう、ですか……」

  

 聖女は悲しそうな顔を浮かべた。


「そのような顔をするな。貴様が悪いわけではない。ただ――あいにく、余はこのような環境には慣れておったのだ」

「え、慣れてるって……?」と勇者がいぶかしげに聞く。

「たいした話ではない。この山の雰囲気が、ちょうど余が住んでいた城の裏にある山と似ていたのだ」

「裏山が大火山レベルだったの⁉ どんだけエクストリームなご近所環境だったのよ!」


 勇者はすっかり忘れていたが、相手はこれでも魔王だ。

 裏山が火山だろうが、中庭が不帰カエラズの大樹海だろうが、家の前に伝説の剣が埋まっていようが、不思議ではないかもしれない。


「ねえ、魔王。そんなあんたに逆に聞くけど、最近ドキドキしたことってなにかあるわけ?」

「ぬ……そうだな」


 魔王はすこしだけ視線を斜めに泳がせてから言った。


「出先でを閉め忘れていないか不安になってどきどきしたことがあったな」

「スケールちっちゃ! 鍵を閉め忘れたかの不安が大火山のドキドキに負けるってどういうことよ⁉」


 そんな勇者の突っ込みも火山活動の中に飲まれて消える。

 

「ねえ、そろそろ、おわった?」


 ごぽごぽと沸騰する火口の様子を、鬱陶しい羽虫を見るような目で見ていた淫魔が言った。

  

「あついのは、にがて――用が済んだら、はやくかえりたい」


 淫魔は手にした扇子で自らをあおいでいる。

 ふだんでも薄着な淫魔であるが、今日の彼女はいつもに増して露出の多い恰好だった。


「そうですわね」と聖女は肩を落とした。「残念ですが、これ以上この場所に留まっても致し方なさそうですわ。火山活動がこれ以上活発になる前に、帰路へとつくことに――ひゃあっ!」


 言葉の途中で、聖女が足を滑らせた。

 彼女たちがいたのは道とも言えないような岩壁の段差だ。

 一歩間違えれば火口に真っ逆さま――まさにの環境だった。


「っ! モエネ!」


 勇者が叫んだ。

 落ち行く聖女の手を掴んだのは――そのとき近くにいた薄着の淫魔であった。


「なにしてるの。きをつけて」


 淫魔はやれやれといった様子で冷たい視線を向けながらも。

 聖女の腕を握る手に力を入れて、身体を引きあげてくれた。


「あ……ありがとう、ございます」


 聖女はお礼を言った。

 頬はどこか赤くなっているが……その色は火口で唸るマグマの反射のせいだけではなさそうだった。

 ぼうっとした面持ちで、きゅうと心臓を掴むように胸をおさえている。まるでの表情だ。

 

「クウルス、さんっ――どうしたのでしょうか、モエネ、なんだかドキドキして――」

「ちょっと! イケナイ方向に吊り橋効果が働いちゃってるじゃない!」勇者がモエネの肩を掴んで揺らした。

「――はっ⁉」

 

 淫魔のことを見つめていた聖女は我にかえったように首を振った。


「モエネとしたことが、一体何を……!」

「しっかりしてよね」と勇者は肩から手を離しながら嘆息する。「また妙な恋の矢印ができて、恋愛模様ラブコメが複雑化するところだったわよ……」


 そんなこんながありながら、帰路につこうとしていると――

 どおおおおん、と。


 突如として大地が激しく揺れた。

 

「きゃっ! なによ、地震……⁉」


 みると火口の炎の海がぼこぼこと泡立ち、表面が大きく上下しはじめた。


「まさか、噴火⁉」

「いや、違うな」と魔王が冷静に、けれど鋭く言った。「この圧気オーラは――生物、だ」

「生き物⁉ こんなに棲息する生き物なんて、いるわけ――あ」


 震動が極大点に達して――止まった。

 奇妙な沈黙の後に、溶岩の海が大きく盛り上がると、その中心から。


 ――黄金色に輝く巨大な【龍】が姿を現した。


 

「うわーーーーー! ドラゴンだーーーーーー!」


 

 こうして婚活中の勇者一行は、無事にドラゴンにエンカウントした。


 

「……って! 婚活中にドラゴンて! どこが無事なのよーーーーー‼」



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