15.臨戦態勢 ♡ 我慢 → 命令

「ま、魔王だとーーーーーーーーッ⁉」

 

 枢機卿の顔が歪む。わなわなと唇が震えていく。


「ななななな! なぜ魔王が市中の舞踏会に紛れ込んでいるのだ! ハッ⁉ その角も、よもや本物とは……!」


 周囲がいっそう慌ただしくなった。

 舞踏会の参加者たちも声にならない悲鳴をあげている。


「何をしている、お前ら!」と枢機卿が声を荒げる。「相手は魔王だ、いつ何をしでかすか分からんぞ! 総員、戦闘用意せよッ」

「お待ちください!」


 混乱し焦り続ける群衆の前に、聖女が進みでた。


「皆様もどうか落ち着かれて。このお方は確かに魔王様ですが――皆様が思うような悪徒ではありませんわ」

「魔王が悪でなくてなんなのだ!」と枢機卿が叫ぶ。

「この魔王様は――としておられますっ」

「世界を……? フン、なにをバカな。信じられるか!」

「信じられます! 信じられるからこそ――モエネは婚約を申し込んだのですっ」

「なにッ……?」


 モエネは視線をまっすぐに枢機卿へと向けた。

 どこまでも真剣なその表情に、枢機卿は『グッ……』と気圧され後ずさる。


「魔王め! あろうことか聖女様をたぶらかしたか!」

「ち、違いますわ!」と聖女は慌てて否定する。「これはあくまでも自分の意志で、どこまでも純粋な恋心ですっ」

 しかし枢機卿は聞く耳をもたない。「聖女様とあろうお方が、魔王などというみ敵をここまで熱心にしたうとは……強力な洗脳魔法の可能性も捨てきれん。お前ら! とっとと魔王を切り捨て、聖女様の目を醒ましてやれッ」


 聖女が擁護したとはいえ……さすがに〝魔王〟の登場には衝撃を受けたのか。

 先ほどまでとは明らかに異なる、ぴりりとした空気が兵士たちの間に満ちていた。

 各々があらためて武器を握りなおし、にじり寄るように魔王との距離を測っている。


「うーん……なんだか大変なことになってるわね」

 

 フロアの中央に勇者が戻ってきた。

 どうやらこれまでは会場の後方で、パニックになっていた参加者たちをおさめていたようだ。


「本来なら何も言わずに逃げ出してきた聖女モエネが悪いのかもしれないけど……」と勇者が続ける。「あたし、今回の聖教会のやり方は気に入らないわ。いくらなんでも横暴がすぎるもの――って、あら? クウルス?」


 ふと見渡せば、周囲の人だかりの中に淫魔の姿があった。

 彼女は腕をもう片方の手で押さえる恰好で、枢機卿たちの一幕を食い入るように見つめている。

 

「そういえばあんた、この場にいたのよね? 魔王側の手助けとか、そういうのしなくてもいいわけ――」


 そこで勇者はハッと目を見開いた。

 クウルスの全身からは明確なが滲み出ている。しかし。

 彼女は下唇を強く噛み締め、わなわなと身体を震わし、今にも飛びかからんとする意志をすんでのところで抑え込んでいるようだった。


「クウ、ルス……?」

「手助けしたいのは、やまやま」とクウルスは音のない世界で荒れ狂う氷河のような声で言った。「だけど、魔王さまと、約束した。暴力は、使わない」

「で、でも……」

「約束した」とクウルスは繰り返す。「もし、約束をしていなかったら。あいつら、ぜんいん――


 クウルスは瞳の中で静かなる炎を激烈にたぎらせて言った。

 勇者の背筋がぞくりと震える。間違いない、と勇者は思った。もしも彼女が魔王と〝非暴力〟の約束をしていなかったら、きっとすべてを消し炭にしていただろう。彼女が内側に持ちうる〝想像を絶する力〟を開放して――


「うー……そうね。確かに今のあんたをそのまま解き放っちゃったら大変なことになりそうかも……かといって、この状況は放っておけないわ」


 勇者はやれやれといった様子で首を振って。

 緊迫した空気の中へと進みでた。


「はいはい、ストップ! 争いはやめましょう?」

「なんだ、お前はッ⁉」と枢機卿が顔をしかめた。「部外者がしゃしゃり出て来るな!」

「部外者じゃないのよねえ、これが……」と勇者は溜息交じりに言って仮面を外した。

「『なっ⁉』」

 

 ふたたび周囲がざわつく。


「お前は……勇者か!」


 もはや驚愕以上の〝混乱〟に近い感情が空気を支配しているが。

 さきほどから登場人物が『聖女』『魔王』『勇者』といささかが続いており、それも仕方がなさそうだった。


「フ、ハハ! なぜゆえ勇者がここにいるかは知らんが……それであれば逆に話が早い。とっととそこの魔王を――叩き殺せ!」


 枢機卿が腸詰めソーセージのように丸々とした指を魔王に向けて言った。

 

「ぬ……」と魔王が眉を跳ねさせる。

「シルルカ、さん……!」と聖女が困ったように胸の前に手をあてる。


(はあ。魔王を倒せ、ねえ……)

 

 そんなものは勇者である限り当然のことだ。

 だからこそ彼女は、はじめて魔王に出逢ったとき剣を向けた。


 だけど、と勇者は思う。

 

 ――もしも今もう一度、魔王に出逢うことがあるとすれば。

 

 彼と少しでも関わり合い、その〝世間一般の魔王像とはほど遠い〟思想や性格に触れた今だったら。

 彼にばっちりとダンスをリードされた今だったら。


(きっと。結果は変わってたかもしれないわ。だから――)


「何をしている、勇者よ! 怯まず剣を抜き、憎き魔王を――」


 そう鼻息を荒げる聖教会の枢機卿に向かって。



「いやよ!」



 と。ひとこと。


 勇者は胸を張って言い切ってやった。

 


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