1-3

 ――ラナール南、国境の門。


「仕事が早い」


「トロールがいりゃあな」


 ロイは破壊された門の修復が、たったの数日で完了しそうなことに感心していた。瓦礫がれきと化した石壁は高く積み上がり、あとはアーチ状の穴に木造の扉をめるだけ。今は昼休憩中らしく、トロールが横になってイビキをかきながら寝転がっている。


「とはいえ、結界までは無理だ。あんたは魔法は使えるのか?」


 オークのボスが尋ねた。ロイは両肩をすくめる。


「防御系統は専門外だ」


 魔法の武具を製造するのはドワーフ族が得意としている。壊される前には結界が張られていたと聞いているから、この門を造るのにドワーフを雇ったのかもしれない。


「まあ、結界なんか無くてもコイツと、あのメイドがいれば十分だけどな……しかし、あんたも変わった男だな。占領しようとしている敵を迎え入れるなんざ、無謀むぼうにもほどがある。俺達の気分次第じゃあ、近隣の町が蹂躙じゅうりんされるかもしれないのに」


「利害が一致しただけだ、人手不足なんだ。それに彼女の強さを知っていれば、そんな気も起きんだろ」


「あんたもバケモンだしな。とはいえ、これ以上のタダ働きはゴメンだ。聞いた話だと、貧乏で金がないらしいが」


「金は、ない。だが、いい場所だろ? これからの発展を見据えれば、やりがいはある」


 ロイはオークの肩をポンと叩いた。彼は、へっ、と苦笑いをしている。


「それで、一つ聞きたいことがあるんだが……ここ最近、子連れの女性が通らなかった?」


「女性? あ~、なんかいたな。女子供だから放っておいたが……あっちに行った気がする。道沿いから外れた、林の方だ」


「ありがとう。それで、どんな外見だった?」


「子供は……いろいろ混ざってた。女は褐色かっしょくのエルフ。かなりの上玉だったぜ」


 ラナールは盆地になっていて、国境と接するのは南側だけ。まさか子供を連れて山越えをしようとは思わないだろうから、南西部に広がっている牧草地帯の、湖の近くにいるのかもしれない。あの辺はサイロが点在しているし、果樹園もあった気がする。


「お~い、領主さんよ! まさか、手ごめにしようってのか~!?」


 去り際に、背中から声が投げられた。「バカ言え」とロイは返事をする代わりに、首と手を左右に振っておいた。


 街道を北へさかのぼり、道中で領民に挨拶あいさつをされて、もらったリンゴをかじりながら道をそれた。東側と品種は違うが、牛に似ている動物がモシャモシャと草を食べている。なるほど、ここは牧歌ぼっか的には違いない。近隣諸国からもっと遠い場所にあれば、のんびりとした領主暮らしが待っていたかもしれないのに。


「はい、小屋を貸していますよ。今は使っていないから」


 酪農らくのう家の主婦が教えてくれた。ひどくおびえていたから気の毒に思って助けたのだと言う。だけど、ずっとかくまっているわけにはいかないので、彼女と相談して領主に手紙を書くことにしたらしい。


「……!? どなたですか?」


 確かに彼女は怯えていた。ロイが小屋に入るなり後ろの壁にまで後ずさって、子供達の前に立ちはだかった。


「心配ない、ここの領主だ」


 ロイは両手で、どうどう、と馬をなだめるような仕草をした。そんなに怪しい外見なのかなと内心ではショックを受けている。帰ったらヒゲはろうと思った。


「領主……さま……ですか? ああ、良かった! ごめんなさい……その、強そうな男性を見ると、人さらいではないかと」


「……なるほど」


 人さらいに見えた、というキーワードが更なるショックを呼び起こす。頭の中でセリアスが、「だから言っているでしょ。だらしないんですよ、服装が」と言っている。ダボついたTシャツと、カーゴパンツの腰に剣を刺しているだけだから、とても貴族には見えないのは間違いない。でも、これが動きやすい。着替えも楽だ。かばんすらも邪魔だから持ちたくないのに、よろいとかマントとか絶対に身につけたくない。


「お手紙を読んでくださったんですね!?」


 女性は黒髪の、褐色かっしょく肌のエルフだった。歳はおそらく二十と少し。服は白のワンピースだけで、ところどころが破れている。ミュールを履いているようだがひもが切れていて、腕や脚も傷だらけだった。


 そばにいる子供は三人いて、泥にまみれて、髪はボサボサ。左から白人のエルフの少年と、人間の少女と、もう一人は――


「リザ、と申します」


 先に大人の女性が頭を下げた。髪を後ろからつかまれたのだろうか、後頭部に地肌が赤く目立つ部分が痛ましい。さらに、胸の上から肩まで破れたワンピースからのぞく肌には、円形の焼き印が押されている。


「よく……連中から逃げられましたね」


「……必死でした。私と、この子達が同じおりで運ばれて、夜のうたげしゃくに呼ばれて、酔わせてから走ったんです。私の他にも……何人かいたのですが、みんな、途中ではぐれてしまって……今はどうしているか……分からなくて……」


 リザは静かに、肩を震わせて泣きだした。ロイは家主に借りた毛布を彼女の肩にかけて、「……あなた方だけでも助かってよかった。あなたの勇気ある行動をたたえます」と、穏やかに告げた。


「……いえ……私なんて……とても……さあ、みんな、領主様に挨拶あいさつして」


 リザは目尻をぬぐってから、脚にしがみついている子供達に催促さいそくした。


「この子はアレンといいます。ラマダに、それから――」


「メイア!」


 薄紫髪の少女が大きな声で言う。目力の強い女の子だった。


「もしかして君は――」


「そうだよ。だけど、悪さなんか、しないんだから」


 少女を見つめていると、ずっと前に初めてベアトリスと出会った頃の情景が重なった。


 だとすれば、少々、厄介なことになりそうだ。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 リザと子供達を屋敷まで招待した。幸いなことにこの広い屋敷には三人しかいない。食料も十分にある。ここなら安全にかくまえる。


「これは呪縛じゅばく印に、間違いありませんね」


 セリアスは、少女メイアの首元に付けられた印を観察していた。メイアに付けられた印だけは、他と違っている。円の中に複雑な紋章が刻まれている。


「アマルティアの糸と呼ばれていまして、追跡のためにほどこします」


「なぜ……この子だけが……」


 リザが愕然がくぜんと肩を落とした。これで助かったと、やっと安寧あんねいの地に辿り着いたと思ったのに。


「彼女が魔族、だからですよ。あまり良い表現ではないかもしれませんが、レアなんです。商売道具として見なしていますから、奴隷としての価値が桁違いです」


「……それでは、追手がここに来るのでしょうか?」


「間違いありません。おそらく既に奪還屋に連絡がいっているでしょう。彼らにとっての、有事の際の保険というわけです。追跡に多少の金を払ってでも、十分に見返りがあると考えてのことです」


「どこの連中が来ると思う?」


 ロイが尋ねると、「そうですねぇ……」と言いながらセリアスは少女の首元にルーペを当てた。


「右下に十字を刻むのは……天使が好みますね。おそらくは『黒い羽』でしょう。特徴的な印に見覚えがあります」


「なんだ、東側コッチにまで手を伸ばしているのか」


 このやり取りの間、魔族の少女メイアはずっと下唇をんで恐怖を抑えていた。強がって、大人達に弱気を悟られまいとしているが、リザはメイアの肩が震えているのに気が付いて、メイアをぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫……私がいるから……絶対に見捨てたりしないから」


 つぶやいてから、ロイの方へ振り返った。


「どうも、ありがとうございました」


「……何のことでしょう? まだ、何もしていませんが」


「いいえ、私達に食べ物をくださって、着替えまでいただいて、領主様には感謝しかありません。ですが、これ以上、ご迷惑をお掛けするわけにはいきません。この御恩は決して忘れません。本当に、ありがとうございました」


 リザはもう一度、頭を下げると、子供達に手招きをして、一列に並ばせて、「皆さんにお礼を言いなさい」と言った。


「そういうことです、


 セリアスがわざとらしく言う。ちょっと笑っているようにも見えた。


「言われなくても分かっている。領民を守るのは、領主の勤めだからな」


 こういう言い方をしたのは、ロイの照れ隠しだった。


「リザさん。どうか安心してください。奪還屋におびえているようでは領主は務まらないのですよ。私も、ここにいるメイドも多少は腕に覚えがありまして、奪還屋ごときに負けはしません。なあ、ベアトリス。今日は夜食を用意してくれるか? どうも夜勤になりそうだ」


「はい」


 ベアトリスが寄ってきて、少女メイアの頭にポンと、優しく手を置いた。


「ですが、領主様が自ら、残業なさる必要はありません。これは同じ魔族としての、私の勤めでもありますので――私が排除いたします。念のために国境の門番には素通りさせるように指示しておきます。ここで出迎えた方が被害がなくて済むでしょうから」


 そうして夜が更けて。


 月明かりの下で、不穏な風がラナールに吹いた。


 十二時を過ぎて、虫の声すらも鳴き止んだ頃、キイッっと微かに屋敷の表門が開いた。庭を照らす微かな明かりに、影が、一つ、二つ、と増えていく。


「例の娘だけをさらいなさい。他に一切の興味はありません」


 集団の真ん中に立っている、チョビ髭の男が小声で指示をする。彼が手を振り降ろして合図をすると、ササッと、漆黒しっこくの装束に身を包む集団が音を立てずに庭園を抜けていく。


「……あの……ジャン=ピエ殿」


 一人の男が、屋敷の正面で立ち止まった。


「玄関前に、誰かいます。メイド……のようですが」


「……おやまあ、本当にメイドさんですね。まさかこんな夜更けに庭掃除とは、予想外でした。いいでしょう。丁重ていちょうに、どいてもらいなさい」


「ようこそ、お越しくださいました」


 玄関扉の前に立っているベアトリスは、彼らをずっと待っていた。ぺこりと頭を下げて、顔を上げて、冷たい視線を彼らに向けた。


「ですが、もう夜も更けております。今日のところは、お引取りくださいませ」


「ん~、どうやら私が把握している営業時間とは違うようですね」


 ジャン=ピエは上向きに跳ねたヒゲを、ピンピンと指で伸ばしている。


「大事な用がありましてね、少女が一人、こちらに来ているはずです。薄紫色の、髪を探れば角もあるはずです。実は私の娘、でして、ちょっと話をさせてもらえませんか」


「天使から悪魔は生まれません。どうか、お引き取りを」


「……そういう事情を既にご存知でしたか。では、もっと単刀直入に言いましょう。今すぐに、どきなさい。邪魔をしなければ見逃してあげましょう。もし断ればあなたも、ここの領主も命を失うことになります」


 ジャン=ピエの要求に、ベアトリスは顔を少し横に傾けてから、ニコッと微笑んだ。


「皆様はラナール領主館へのご来訪は初めて、でいらっしゃいましたよね?」


「当然でしょう。聞くまでもありません」


「そうですか。せっかくお越しいただいたのに、ろくなおもてなしもできずに申し訳ありません。皆様の訪問は今晩で最後になります。せめて安らかに、眠れますように」

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