第一章 元英雄、地方領主になる

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 ロイ=フェルディナンドは英雄だった。


 大陸の西側全土を巻き込んだ『大陸戦争』において、帝国の将軍として各地で奮戦し、皇帝から『永遠の友』として同等の待遇を許された英傑えいけつだった。


「お前には感謝をしても、しきれまい。望みはあるか?」


 群雄ぐんゆう割拠かっきょの争いに終止符を打ち、引退を望んだ英雄ロイは、平穏な生活を求めて大陸の東側への移住を申し出た。ひっそりと、一人で、のんびりと暮らしたいと、かつての仲間たちに別れを告げて――


 しばらく、独りで旅をした。


 だが、ロイは英雄でも、私生活はだらしなかった。


「サイルゲン港からの船に乗れないんだが?」

「あれは事前予約制ですが」


「ルーペンシアを抜けれないぞ」

「当たり前でしょう、あそこは原則、入国禁止です」


「……宿の飯が、すごくマズイ」

「ケチると、たいてい、そうなります」


 金銭の管理も、町から町への移動も、何をするにしてもいちいち手続きが面倒くさい。だから軍師のセリアスとだけは連絡を頻繁ひんぱんに取り合っていた。


「そろそろ目的がないとつまらないでしょう。東方のラナールが新しい領主を募集しているそうですよ。あそこなら顔も知られていないし、気楽でしょう」


 軍師セリアスの言うことにも一理ある。ロイはラナール地方の領主になることを承諾しょうだくした。


「ロイ様。どうして私から離れるのですか? 私をお嫌いになったのですか? 私とロイ様が離れることは、決して、あってはならないことだと思います。ラナールに行くのですね。ご一緒します」


 なぜかベアトリスには居場所がバレていたので、彼女の正式な帯同たいどうを許した。彼女はできるだけ目立たないようにメイドとしてそばで仕えると言った。


「お待ちしておりました、新しい領主様。以前の領主様が逃亡して……いえ、お辞めになったので、住民代表として歓迎します」


 不穏な一言が気になったものの、ラナールの自治組織は大いにロイ達を歓迎してくれた。これでやっと、落ち着ける。ここでは温泉地で宿泊し続けるような暮らしが待っているのだと、ロイは心をおどらせた。


 だが、いきなりトロールが攻めてきた。


 とり急ぎ、ベアトリスが素手でトロールを吹っ飛ばした。


 一連の騒動で領民からの信頼を勝ち得たが、本当は目立ってほしくなかったのに、すごく、目立ってしまった。


 その翌日。


 ロイは謎の昼食を前にして、食べようか、止めておこうか、悩んでいた。


 玄関ホールからすぐ右に大きな部屋があって、その先が食堂になっている。ロイはテーブルの中央に座って、不安気に無精ヒゲをチクチクとさわっていた。茶色の髪に、凛々りりしい目鼻に、無精ヒゲ。伝説の英雄とはいえ、彼はまだ若い。三十にもなっていない。だから領主として威厳いげんも必要だろうと、この二週間、あえてヒゲをらなかった。


 今日の昼食は、スパゲッティ・ミートパイ、というらしい。


 皿に乗ったパイの天井から玉ねぎが一個、突き出ている。パイの中ではスパゲッティがグルグルとうずを巻いて、フォークを入れると生のニンニクが刺さる。これを作ったのはベアトリスで、さっきから後ろで食事を終えるのを待っている。食べたくないが、食べねばならない。早く料理人を雇わないと下痢げりになるとロイは確信した。


「人を余分に雇う予算なんて、ありませんよ」


 セリアスがコーヒーを飲みながら言う。金がないと言うのに、彼の飲んでいるコーヒーは、そこそこに良い豆だった。


「そんなバカな。帝国時代の貯金は? これでも将軍だったのに」


「貯金なんて、していなかったではないですか。しかも引退する時に何ももらわなかったのですから。先代の皇帝との会話を思い出してください。『何を望む?』『自由です』、つまりは自由をいただいたのですから、お金はありません。どうして『自由と大金が欲しい』と言わなかったのですか? 今は私達三人のほどよい贅沢ぜいたくと、領主としての維持管理費でピッタリです」


「いや、しかし……領主なんだから、税収があるだろ?」


「独立したばかりの小国家ですからね、後ろ盾がありません。役場の方々の給金と、税収とでプラマイゼロです。だから今回のように門の修繕しゅうぜんが必要になると、タダ働きか借金になりますが――借入先がないのです。なぜなら、国交が全方面と断絶しているからです」


 ロイは、早くも心が折れてきた。


 領主って、ただの代表者のようなもので、もっと楽な立ち位置だと考えていた。


 巨大な国家に属して地方の政治を任されている立場の領主ならまだしも、実は、ここラナールは闘争に嫌気が差した人々が自ら独立を宣言した、弱小中の、弱小国家だった。近隣からの侵略行為に備えて、領内のインフラを整備し、商業を推進すいしんしつつ、住民の生活を維持しなければならない。


 そんなに甘い話では、なかったのである。


 もちろん、セリアスは政治的な実情を知っていたが。


「そういう場所でないとゼロから領主になんて、なれません。安定しているところは大抵、世襲せしゅうですからね。それこそ領地を強奪しないと無理です。でも、やりがいはありますよ。ラナールの人々は苦しい立場に置かれているようですから、我々が一肌脱ごうと、こういうことです」


 これはセリアスにしてやられた。


 セリアスは運動は苦手でも、性格は肉体派寄りで、要するにスパルタ思考だから、上司であるはずのロイにも人生ハードモードを要求してくる。ただ、住民が困っていると言われては断れない。ロイはサボり癖のある男だが、お人よしでもあった。


「分かった、料理人は諦めるとするか……だが、壊された門はどうしようか。タダで修理してくれて、ついでに門番もしてくれるような……あ、そうだ」


 ロイは、ベアトリスに手招きした。


「オーク連中は、全員、逃げたと言ってたな。そいつらは何処を根城にしていた?」


 メイドのベアトリスは、食堂の壁に飾ってある大きい地図を指し示して、


「この辺り、ですね。隣国との中間で、森の手前で川が合流している地点です。集落ごと移住しているようですが、まだしばらく、ここにいるでしょう」


 当たり前のように尾行の実績を述べた。ベアトリスは将軍とはいえ自ら最前線の最前列に立ち、偵察ていさつ、即、殲滅せんめつという電光石火の特攻を得意としていた。ただ、さすがに今回は殲滅せんめつまではしていない。ロイと軍師セリアスの許可がない限り、過剰かじょうな破壊行為は極力、ひかえるようにはしている。


「それじゃあ、ちょっと行ってくる」


「これから、ですか? 連中を始末するなら私が行きますが」


「いや、むしろ交渉したい。最初から穏便な話し合いにはならないだろうが……もしかしたら、労働力になるかも」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ラナール国境から南方へ、オークの小集団の仮集落にて。


 ロイは剣すらも持たずに、敵から奪った棍棒こんぼうだけでまたたくく間に制圧した。木造小屋の下に車輪を付けた移動式住居に、石で囲ったカマドから煙が出ている。オーク達は食事の最中に襲撃されて、数十人のオークが腹を抱えてうずくまったり、足を抑えて倒れていたり、死んだふりをしていた。


「何者だ……お前は……」


「ラナールの領主をやっている。最近、代わったところだが」


 ロイは、ボスと思われるオークの腕をつかんでいた。


「こんな化け物が領主だと? ……俺達を……殺しに来たってのか?」


「そこまでする気はない。また町を襲う気なら否定しないが……話がしたい。お前達が破壊した門についてだ」


「何だ……直せってのか」


「それもそうだが、もっと良い提案がある。もし、移住先を探しているのなら――どうせなら門の中に住め。町の手前に広場があってな、門番の代わりとして勤めてくれたら、今回の騒動は見逃してやろう。さらに生活の場所を提供しよう。結構、良い場所だと思うが……どうだ?」


「……あ?」


 冗談かとオークは思ったが、ロイの表情があまりに真剣なのと、彼の持つ独特の、穏やかな尊厳そんげんとも評すべきやわらかな雰囲気を前にして――


 この男は信頼できそうだ、と感じた。


 何よりも、つかんでいる腕を早く離して欲しい。


 こうして、翌週から――


 オークの小集団と、一匹のトロールが門番の代わりになった。

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