第3話 ことわざ

 祝日もあって男は昼に近い時間まで寝ていた。寝ぼけ眼を擦りながら部屋を出た。待ち切れない腹が催促するように小さく鳴った。

 キッチンに入ると冷蔵庫に向かう。隣り合った食器棚に意識が傾く。急に怪訝けげんな顔となった。

 ガラス越しに食器が見える。コップに挟まれた丸皿の上に小豆を纏った物が置かれていた。

「……おはぎだよな?」

 呟いた途端、周囲に目を走らせた。人の姿はない。隠れるところもないので表情を和らげた。

「なんで、おはぎがあるんだ?」

 一人暮らしの独身もあって思い当たることがない。

 男は棚にあった丸皿を取り出し、丸っこい物体に鼻を寄せる。

「小豆だな」

 人差し指で表面をえぐると中に収められた白い物が見えた。

「餅か。やっぱり、おはぎか」

 人差し指に付着した小豆を口に含む。軽く噛んで、良い甘さだ、と感想を言った。

「なんで、おはぎなんだ?」

 疑問は解消されない。


『……違う』


 その声に男は驚いて丸皿を落としそうになった。頭の中に、直接、重々しい声が響いた。

「な、何が違うんだ!? おはぎだろ!」


『そうではない』


 頭の中の声は否定した。男は訳がわからない状態で語気を強めた。

「違わないだろ! おはぎじゃなかったら何なんだよ!」


『棚から……』


 問い掛けるような声音に変わる。男は小首を傾げながらも答えた。

「おはぎだよな?」

 瞬間、丸皿からぼたもちが消えて男に幸運が訪れることはなかった。

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