5.弁当に入ってる漬物

 自室でテーブルの向かいに誰かが座っている光景を見たのは、随分久しぶりな気がする。最後に客として訪れたのは義姉だっただろうか。

 普段は仕舞っている折り畳み式の椅子を出し、桜太朗さくたろうと二人での最後の晩餐をおこなっていた。すくなくとも陽斗あきとは最後の機会であってほしいと願っている。

「陽斗でもコンビニの弁当なんて食うんだ」

「なんで?」

「今日、朝メシ用意してくれてたじゃん。すげーちゃんとしてたから、健康志向?なんかなーって思った」

 桜太朗は弁当をかきこみ、炭酸飲料で奥へ流し込む。その食べ合わせをどうかと思うくらいには、陽斗は普段健康的な食事を意識している。バランスの良い食事は、より美味しく感じる気がする。舌を始め、体全体が喜んでいる気がする。

 それに何より、陽斗は刺激物やジャンクフードを好んでいるため、たまに食べるそれらのために、普段の食事に気を遣っているところが大きい。体に悪い食事を楽しむために、体に良い食事を心がけている。空腹は万能の調味料と言われるが、背徳感はそれに次ぐ。陽斗の持論である。

その時々の気分によるが、同年代に比べて自炊はそれなりにこなしている自信はあった。

「食わねえよりは。冷蔵庫に何もねえし」

「作り置きの総菜とかありそうな顔してるじゃん」

「どんな顔だよ。今は切らしてる」

「普段はあるんだ」

 桜太朗が笑う。

 笑う時に、黒目がちの大きな瞳の、目じりが少し下がって、反対に大きな口の口角が上がる。人懐こそうな笑い方は、話し相手の緊張感を和らげるだろう。

 陽斗は桜太朗に同調することを恐れて、意図的に笑顔を見せないようにしていた。深入りされたくない。この先関わっていくための突っかかりなんて見つからないまま、夜が過ぎればいい。

「なあ陽斗―。俺さ、聞いてほしいことがあって」

「…なに」

 かしこまった様子で、何を話し始めるのだろうか。陽斗は身構えるが、その話の内容がどうであれ、興味のないフリをすればいいと、内心で開き直る。

「弁当のさー。意味わかんないくらい少ない量の漬物あるじゃん」

 桜太朗は弁当のプラスチック容器の端に備えられた、僅かに総菜が入る穴を箸で指す。

「ああ」

 桜太朗はうっとりとした表情で、宙を見つめる。

「俺、この意味わかんない量の漬物が大好きなんだよな」

「何言ってんだお前?」

 反射で言葉を返した。

「何を俺に聞いてほしかったんだよ」

「いや、なんか際立つじゃん。少ないからこそ価値を感じるっつーか。たかが漬物のくせにさ。コンビニ弁当のだけはめっちゃ美味く感じね?」

「わかるけど」

「わかんのかよ。陽斗お前サイコーだな」

 反射的に出たツッコミに続いて、思わず素の言葉を並べてしまっている。笑ってしまいそうになり、水の入ったコップを口に運んだ。

「…尾根田、先にシャワー浴びてくるわ」

 目を合わせず、席を立った。

「ん、わかったー。ゴミ捨てとくね」

「ああ」

 衣装ケースから、着古したシャツと短パンを取り出し、浴室に向かった。

 戸を閉めて、汗をかいた服を洗濯機に放る。

 下着を下ろすとき、閉まった戸の向こうでフローリングがきしむ音がした。反射的に手を止め、足音に耳を澄ます。足音は通り過ぎ、トイレの戸が開く音がした。馬鹿らしくなり、乱雑に下着を取った。

 浴室で、鏡に映った自分の裸体を見つめる。小麦色に焼けた肌。180㎝に僅かに届かない背は、このアパートの浴室ではやや窮屈だった。髪はサイドを短く刈り上げ、精悍な顔つきは不機嫌そうな眉間の皺を緩めれば、いつものように老けて見られることも少なくなるだろう。

 水栓を捻ると、冷水のシャワーが勢いよく体を濡らし、陽斗は小さな悲鳴を漏らした。

 情けない表情をした自身が鏡に映る。

 疎ましくなり、湯が温まるまで鏡に冷水を浴びせ続けた。

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