4.七月の肉まん
飲食店が多くを占める商店街のため、僅かに日を跨いだ今の時間帯でも、人通りが多く賑わっている。
歩くたびに7月の夜の空気が、生温く湿ってまとわりつき、妙な心地良さを覚えた。
陽斗がバイトをしている居酒屋から一番近いコンビニの軒先で、
横断歩道を渡っている途中で、桜太朗が陽斗に気づいた。薄い煙を吐きながら、こちらに手を振る。まだ10メートル以上離れているので声は聞こえないが、陽斗に向けられた溌溂とした笑顔だけで、おつかれー、と労っているのが伝わる。
「吸うのか」
陽斗から声をかけた。
「尾根田、吸うイメージ無かった」
「んー、吸わないな」
今まさに吸っていながら、意味が呑み込めない。
「コレはね、なぜか俺の鞄に入ってたの。たぶん原口のやつなんだけど、酔ってたから覚えてねーんだよな。せっかくだから吸わせてもらってる」
桜太朗は、ビニール袋を提げた左腕をポケットに突っ込み、中から煙草の箱を取り出した。メビウスの1ミリ。陽斗は煙草を吸わないため銘柄に明るくないが、同じ白箱を客の忘れ物で見たことがある。
「ライターまで入ってたのか?」
陽斗は桜太朗の風上に立ち、白フェンスに背を預ける。
「いや、それは買った。せっかくだから」
「わざわざ?勿体ねえな」
「いいんだよ、せっかくだから」
「なんなんだよ。その“せっかくだから”って」
「ウケるなー」
桜太朗がケラケラと笑う。そのとき煙が妙なところに入ったらしく、噎せだした。吸いなれていないのは本当らしい。
「つーかお前、一緒に晩飯食おうって言っときながら、俺のバイト先で食い終わってんじゃねえか」
不満をぶつけると、桜太朗は咳き込みながらなお笑い続ける。
「あー、あれほとんど食ってたの
「ならあいつ食いすぎだろ」
回収した皿の量を思い出す。二人分は下らないはずだ。
結局あれきり桜太朗たちのテーブルに戻ることはなく、尊とは話さないまま別れていた。
「酒で満腹中枢バグる奴っているよなー。美味そうに食うから、ずっと見てられたよ」
「カノジョかお前は」
「尊、陽斗によろしくーって言ってたよ。店出てすぐバイバイした」
「勝手なヤツ」
「あの店を教えてもらったのは、陽斗と一緒に帰ろーと思って。今から晩飯食いに行くのもいいし、なんか買って帰ってもいいよ」
桜太朗は半分ほど吸い残した煙草を灰皿に捨てる。
この時間から入れる飲食店は、この一帯には吐いて捨てるほどあるが、その場合桜太朗は酒を飲むだろう。対面する時間を長引かせたくないし、それにバイトで疲れた体が重く感じる。
「…もう疲れてねみーから、帰るわ。弁当買ってくるけど、お前は?」
「りょーかい。俺もそうする」
コンビニに入り、廃棄の近い割引弁当を選んだ。
桜太朗は弁当の他に、炭酸飲料、替えの下着などを籠に入れていた。そういえば今身に着けている下着などは、昨日から替えていないはずだ。家に入れないのは不憫だと思うが、そうまでして鍵の紛失を大家に隠したいだろうか。
激怒する大家を想像してみた。背は低いが尊大な態度を崩さず、こちらを指で指しながら、金切り声でまくしたててくる。
桜太朗の気持ちがわからないでもない、と思った。
先に店を出た陽斗が、スマホで夏休みのシフトを確認していると、桜太朗が手に2つ包みを持って出てきた。湯気を放っている。
「なんそれ」
「肉まん。歩きながら食おーぜ」
「この季節に?」
中華まんと言えば冬だと主張する視線を桜太朗にぶつける。
桜太朗は肉まんを陽斗に押し付けた。
「宿代!今日泊めてもらうお礼!」
「肉まんが?」
「つーかもう腹減りすぎて倒れそう。食べよ」
「勝手だな」
「今に始まったことじゃねーだろ?」
「開き直んなよ」
陽斗は受け取ったそれに口をつけようとし、寸前で止める。桜太朗のことは好かないが、礼儀を欠いて良いわけではない。
「…いただきます」
「ははっ」
薄暗い通りを、肉まんを食べながら並んで帰った。
桜太朗はその間、夏休みにどこに行くのか、バイトを入れ過ぎたことなど、自分の話をしていた。陽斗は肉まんを頬張りながら、桜太朗の話に適当な相槌を打ち続けた。
季節外れの肉まんは悪くなかったが、食べ終わるころには、二人とも額から汗を流していた。
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