第三章:指折り数える怨嗟の歌姫

ep1 翌日の朝

――チャプン。


やっと落ち着けた。

なんだか久しぶりに湯船につかっている気がする。

花のような香りがするのは自分の前に使用した人物の残り香だろうか。

高級なシャンプーやボディソープの匂いがこの密閉空間に残っている。


「はぁ。」


やっと落ち着いて考えられる。


「“ストンプ”。」


――バチャン!


水面を衝撃が襲う。

派手に飛び散る水滴がその存在を嫌と言うほど知らしめる。


「本当にスキルが現実で……。」


自分が自分でなくなってしまったかのような実感。

他者よりも上の存在へと進化したかのような高揚感も今では得体のしれない恐怖の方が勝る。


――ガラッ!


匂いが気になって落ち着けない。

部屋に戻っていつものように配信でもしよう。

炎上も治まって、まぁ、せっかくだから顔出しの雑談とかで……。


「フフフ。もうご飯の用意はできてるから食べちゃいましょう?」


帰ってないのかよ。

シャワーを借りて帰るんじゃなかったのかよ?

そんなことを思いながら目の前でニコニコとしている財園を睨む。


「帰るんじゃなかったのかよ!?」


「フフフ、ちょうどいいから朝の配信もしていこうかと思ってね。私みたいな美人は朝のルーティーンだけですごい見られるのよ?」


そう言うと壁に立てかけた自撮り棒を持って体を寄せてくる。


「いや、配信中かよ!?」


「他の女に“私じゃ勝てない”って思わせないと……それに“てぇてぇ”はしっかりファンに供給しないと配信者らしくないでしょ?」


自分は押しに弱いのだろうか……いやそんなはずはない。

家に突撃しかけてきて添い寝して、シャワーを借りて帰ると言ったくせに朝食を用意して、さらにそれを世界中へ配信するような女がそうそういてたまるか。


「そもそも、会社は大丈夫なのかよ?有名人だろ?」


「別にー?警察も法律も社会の平穏を守る為のものよ?公共交通機関も銀行も大規模な工場も手中に収めている私を捕まえて社会に混乱をもたらす意味も無いでしょ?」


「スゲー自信だなぁ……。」


「そのために2年もかけたんだもの。だから今は未来の夫の朝食を用意する良妻アピールに全力なわけね。」


目の前に用意されているのは確かに抜群な朝食だ。

カリッと焼かれたパン、ほうれん草とベーコンの炒め物ポーチドエッグ添え、みそ汁。


「……なぁ、お前わりとヤンデレって属性なんだよな?」


「そうらしいわね、そもそも愛や恋を語るのに冷めた言動である方がおかしいとは思うけど。」


「これ、血とか爪とか混ぜてない……よな?」


その言葉に財園は虚を突かれたかのように笑い出す。


「フフフ。そんなことをして嫌われたらどうするの?そんなのは物語の中のお話でしょ?」


「あ、あぁ。そうだよな、悪い。」


「入れるなら媚薬や睡眠薬でしょ?」


「馬鹿!?最高に馬鹿!?」


ガタッと座りそうになっていた椅子を立つ。

目の前の食事にそんなものが仕込まれていたらと思うと口にする勇気が出ない。


「フフフ。冗談よ?」


そう言って財園は自分の皿に手を付ける。

それを見て椅子に座るもなかなか口に入れる勇気が出ない。


「はい、あーん。」


財園はそれを見かねたのか自分の皿から一口分炒め物を差し出す。


「毒見は済んでいるでしょう?」


確かに彼女の食べた後、安全ではある。

しかし。


「フフフ。あーん。」


“圧”に屈して一口食べる。

朝からこんなにうまいものを食べていいのだろうか。


「別に薬や強引な手段が全てじゃないもの。私の手料理であなたの価値観を塗りつぶして私無しの生活に戻れなくすればいいだけでしょう?」


「……しんどい。この朝食美味いのにしんどい。」


「ほら、次よ。」


今度はパンを押し付けてくる。

ちぎったそれは一口で食べられそうだが。


「いや、もう自分で食べる。」


「だめよ。配信中にファンをがっかりさせるような事はしちゃだめ。」


その細い指で口の中に押し込まれたパンは確かにうまかった。

世界中にこの状態を晒されているということが気にならないくらい、彼女の作る朝食はおいしかった。

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