第二話「二度の死、巡る輪廻」

 ――その日の夜、偶然ながらも無事に少女を助けた俺は、とある一軒家の玄関に足を踏み込む。ここは養父であるアズレーン・シューベル博士の家であり、訳ありでここに住ませてもらっている。その対価として博士が職場から頼まれた依頼を代わりに遂行している。


「……今戻ったぞ」 


 ガチャッというドアが開く音が俺を日常へと引きずり込む。仕事による束縛から解放される。お陰で肩が軽く感じた俺を出迎えるべくドタドタと足音をたてながら白髮の青年が走ってくる。


「お、やっと帰ってきたか! 遅せぇぞ大蛇! もう風呂沸いてんぞ!」

「……アレス、いちいち出迎えしなくていい。お前は新婚ほやほやの妻か」

「あ、飯も出来てるから先そっちにするか?」

「だから妻かお前は」

「いや、俺らはパートナーだろ?」

「……それはそうだが勘違いを招く言い方やめろ」



 帰宅早々玄関で漫才のような会話を交わしているのは、親友であるアレス。彼も俺と同じく訳ありでこの家に住んでいる。俺とは真逆で荒っぽい性格で、戦いになると自我を忘れて暴走する。

 それでも本人曰く、住み始めた頃よりはマシになってるらしい。俺から見てもこうして出迎えてくれたり他愛の無い話をしてくれたりという人間らしさも徐々に現れるようになったなとは思う。


 そんなアレスと玄関で立ち話をしている中、リビングのドアが開くのと同時に白衣を着た男が姿を現した。彼こそがこの家の主であり、俺とアレスの養父のアズレーン・シューベルである。主に魔術研究の仕事をしていながらその組織のトップに君臨する、凄い人であるが故に忙しい博士である。



「おかえり、大蛇。今日は遅かったな。早く上着脱いでお風呂に入ってくるといい」

「……博士もいちいち出迎えてくるな」

「ほんとは嬉しいだろ?」

「嬉しくねぇから言ってんだよ」

「その地味な外見とは裏腹に強がりだな! そんなんだから女にモテねぇんだぞ!」

「余計なお世話だ。風呂入るからそこどけろ」

「へいへい、相変わらず大蛇は冷てぇな……」



 今日もこうして他愛たあいもない話をしながら食事をしたり、ゆっくりお風呂に浸かって身体の芯を温めたり、ひんやり冷たい布団を体温で少しずつ温めながら夢に落ちては朝を迎える……そんな時間が今の俺の数少ない生きがいである。



 ――こういう時に限って時間というのはどうしても早く過ぎていくものだ。


「ふぅ……」


 お風呂から上がって、気づけばもう20時を過ぎていた。そろそろ夕食に入ろうとキッチンに移動する途中にふとテレビに目を移した時だった。



「ここで速報が入ってきました。今日午後7時15分頃、5歳の女の子が突如行方不明になったと警察に通報がありました。繰り返します――」

「……は?」


 すっ頓狂な声が無意識に口から出る。今目の前のテレビに映っている行方不明の少女とは、先程助けたあの少女だったのだから。


(嘘だろ……さっき助けた時ちゃんと少女の家の前まで送ったはずだ。周囲には俺と少女以外誰もいなかった。まさか突然見失った時――俺が変な夢を見てた時に誰かが攫った……いや、まさかな)


「……大蛇? そんな驚いた顔してどうしたんだ? あのニュースがどうかしたのか?」

「悪いアレス、俺の夕飯そのまま冷蔵庫の中入れといてくれ」

「ちょ……おい、どこ行くつもりだ!」


 家の玄関に右足を踏み出そうとしたその時、アレスが力強く俺の右腕を掴む。こんな暗い時間に外に出るのは危険だと言いたいのだろうか。


「……あの少女を助けに行く」

「少女って……まさか今ニュースでやってる行方不明のやつか!? 馬鹿かてめぇ! そういうのは警察に任しときゃいいんだよ! 万一任務依頼が出りゃ行けばいいんだよ! それにわざわざお前が行く必要ねぇ――」

「あの少女は、さっき俺が助けた迷子の子だ」

「は……? さっきって、まさかお前……」

「一度助けた人を死なせるわけにはいかねぇだろ」


 俺は直ぐ様アレスの掴む手を解き、ドアを開けてすぐに背中から翼を生やして羽ばたく。


(くそっ……まだ死ぬんじゃねぇぞ)



 身体が空を切る。そのせいかとても寒く感じる。飛んでいるうちに身体が震えてきた。夜だから余計に寒く感じるだけだろうか。


「一度救った命を、死なせるわけにはいかねぇ……『黒き英雄』だろうと無かろうと関係ねぇんだよ」


 何としてもあの少女を助ける。危ない目に遭った時は必ず助けると――さっき約束したばかりなんだ。



 その誓いを胸に刻んでいるのも束の間、少女を探しながら上空を飛んでいる途中で空気が一瞬にして変わった。


「これは――」


 息を呑む俺の視線の先にある現象――山の頂上にそびえ立つ、巨大な遊園地であった。そこは全体が濃く霧がかっていた。しかし今も吹雪いているからか、雪なのか霧なのかよく分からない。


 だが、上空から見ると観覧車のようなものがかすかに見える。



「は……? 何で山の頂上に遊園地がっ……!」



 普段からは微塵も感じない、途轍とてつもない違和感……もしかしたらあの少女の行方不明と関係があるかもしれない。

そう思って俺は中の様子を確認するべく下降する。徐々に霧の中から観覧車やジェットコースターのレールがはっきりと見えてきた。



「……嫌な予感がする。こんなのが元からあったなんて思えねぇしな」



 間違いなく何かある……と、俺は警戒しつつ慎重に夜の遊園地の中に広がる霧を払いながら歩いていたその時――


「っ……!!?」


 突然俺の全身にしびれがしょうじ、あまりの痛さに全身がうずくまる。


「なっ……! 体が急にっ……、痺れて……っ!!」



 俺が霧による謎の痺れに苦しむ中、中から三人の人影が現れた。二人の子供を連れている。きっと俺と同じように気になって入ってきたんだ。


「おい、あんたら早く逃げろ! 霧を吸ったら死ぬぞ……って――」

 

 しかし三人は逃げる様子もなく、何故か俺の方へ近づいてくる。左右の少女の空いた手にそれぞれ見覚えのある少女の分断された身体を引きずりながら。


「っ……!!」


 その遺体からは痛々しい程に大量の血が地面を一直線に塗りつぶしていた。腹から横に真っ二つにされており、全身に多くの痣が出来ていた。


 そして何より、その遺体があの行方不明の少女であった事に気づいた刹那、俺はとっくに正気を失っていた。ふとした時には身体が痺れ始め、まともに身体を動かせない状態になっていた。



「うっふふふ。辛そうな顔をしてお可愛いこと。遅かったねって言いたいとこだけど、まさかここまで来たとは思わなかったわ」

「そうだね、! おまけにこっちの心配までしてくれて……ほんとに優しすぎるよね〜、英雄って。 いや〜それにしても、まさか君が助けたはずの少女の家がここに繋がってるなんて普通思わないよね〜」

「は…………??」


「こら、! 勝手に私の名前とせっかく考えた仕組みを言ってはいけないわよ! あのお方から機密事項だって言われてるでしょ!」

「は〜い、ごめんね〜」


 もう俺の脳内は遊園地の仕組みなんてものは頭に入ってこなかった。ピコとマコ……二人の手に持つ半分にされた遺体があの子だと確信した事へのショックが今も俺を苦しめる。


 誓ったばかりの約束を早速果たせなかった罪悪感と己への無力さと憎悪が更にショックを加速させ、俺を沈める。


「ごめんね、『黒き英雄』さん。彼女はの命令でどんな手を使ってでも殺せって言われたのよ。

 だ・か・ら、もう何しても意味がないよ〜。だって、死んでるもん」


 ショックと麻痺で身体の感覚が無くなった後から急激に眠気が襲ってきた。きっと俺もここで同じように殺すのだろう。


 全身が石のように動かない。いや、俺の身体が動くのを拒否しているのだろうか。もう、分からない。


「でもぉ……君がこれまでしてきた事に比べたら、まだ可愛い方だよ。これは私達人間が君に与えた罰。君の不条理で死んでいった者達の怨念。受け入れ、苦しんで、絶望に堕ちたまま死んで」

「ぁ…………ぁ……」


 『黒き英雄』たる俺が、たった一人の少女の死でそれを簡単に受け入れようとしたのが無様に見えたのか、三人は高笑いをしながら霧の中へと消えていく。


「……」


 不条理だ。この世界は不条理で満ち溢れている。たった小さな女の子が無事家についた途端変な場所に迷っては殺されるんだ。絶対守ると誓った約束すら、呆気なく散り果てる世界なんだ。


 俺がさっき助けた少女は死んだ。それと同時に俺が少女と誓った約束も死んだ。全部、あいつらに殺されたんだ。


「……す」


 あいつらは俺の全てを殺した。約束も、その先の未来も。そして……俺自身をも。


「……殺す」


 ――運命。これが俺に降りかかった人生の終着点なのだろうか。否、それを降り注がせたのはあいつらであり、同時に俺自身だ。決して神や仏では無い。


「お前ら……だけはっ……!」



 もうそれを変えられないなら、その運命が約束されてしまったのなら、それでいい。だったらその元凶を殺すまで。

 

「……跡形も無く葬ってやる」


 ――ごめん、アレス、博士。こうなった以上、俺はもう引き返せない。この憎悪に、憤怒に耐えられなくなった以上は。


「っ……!!」


 全身の痺れに歯を食いしばりながらも右手から漆黒の剣を召喚して柄を握る。その後ゆっくりと両足を地面につけて立ち上がる。


「あ、生きてっ――」


 ピコが後ろを向いて俺が立ち上がる所を見た刹那、両目に一閃の斬撃が襲った。鮮血が地面に落ち、両手で目を抑える。

 

「ピコっ……! よくも……ピコをっ……!」


 マコの鋭く冷たい視線が俺を睨む。しかし俺にはその怒りなど全く感じなかった。


「……何、お前らが俺にした事を真似ただけだ。生きてるだけ軽い方だろ」


 直ぐ様俺は地面を蹴って凄まじい速さで突進し、マコの間合いに踏み込む。


「ここまで来たら俺もお前らも……もう人殺しには変わんねぇよ」

「っ……!!」

 

 瞬きする間に目に見えない速さで斬撃を繰り出す。僅か0.3秒でマコの身体が斬り刻まれ、爆発するように鮮血が飛び散る。


「ぐっ……マコっ……!」

「殺す……『竜抉爪テュルフィング』」


 剣を左手に持ち替え、空いた右手でマコの左胸を貫く。


「がっ……ぁあああ!!」


 中で大きく脈を打つピコの心臓を掴み、引きちぎりながら握り潰す。


「あああああああ!!!!」

「ピコっ……!」


 先程斬撃を喰らったにも関わらず、地面に落ちたピコの元へと行くマコに目掛けて俺は剣を逆手に持って頭部目掛けて投げつける。


「うぐぁっ……!」


 ドスッ、と鈍い音と共にマコの後頭部を刃が貫く。それとほぼ同時にマコの目の前まで回り込み、殴打と蹴りの連撃を喰らわせる。


 まずは右拳で殴り、反動で回転しながら左の裏拳、更に軽く跳んで空中で一回転してからの左足で踵蹴りを繰り出す。


「ぐっ……げほっ」


 口から血を吐き出しながら吹っ飛ぶマコに容赦なく連撃を繰り出す。そして後ろに回り込んではトドメに先程後頭部に当てた剣を持ち、そのまま真っすぐ顔面上部を縦に斬り裂いた。


「ぁ…………」


 マコは至る所から鮮血を噴き出しながら地面に転がって倒れた。そんなマコを殺した俺の目の前には、さっきまでずっと二人の間にいた、謎の黒フードの人物が姿を現していた。


「……次はお前――」


 黒フードの人物を殺そうと地面を蹴ったその時、突如俺の四肢が切断された。


「……!」


 黒フードの人物がゆっくりと近づく度に俺の身体が更に斬り刻まれる。音を立てるたびに、無数の見えない斬撃が俺を襲いかかる。


「――300……この数字が何を表すか、君は分かるだろう?」

「がっ……」

「遥か昔、君が焼き尽くした日本で焼き払われた子供の数……そして、私が今君に放った斬撃の数だよ」


 たった3歩しか歩いてないのにも関わらず、この人物は300もの斬撃を俺に全て命中させ、斬り裂いたのだ。


「この罪は永遠に消えない。何度生まれ変わろうと、それは君の運命の歯車に深く錆び付くように消えないだろう。たとえ人類がその伝説を忘れようとも、私だけは決して忘れまい……君を絶望の深淵に陥れ、地獄の輪廻が永遠と続き、朽ち果てるその日までは――」


 四肢を斬られ、全身をマコと同じように斬り刻まれた今の俺に意識などとうに無かった。既に死ぬ寸前の俺に黒フードの人物は右手を下から上に振り上げる。


「『フォルテ』」


 ザシュッ――と、俺の身体を縦に一刀両断した。そこからは意識が途絶えた。痛みも何も無かった。ただ虚無なだけだった。ショックから解放され、いつもの日常から……明るい未来から突き放されたような感覚だった。


「………………」



 俺――八岐大蛇の運命はここで終わった。







 ――そう思っていた。






 …………。



 ………………………。



 …………あぁ、まただ。あの時と同じだ。俺は死んだんだ。


 何も見えない。誰もいない。どこも動かせない。まだ霧による麻痺が効いているのか。


「――チ」


 アレスは今どこで何をしているのだろうか。勝手に家を出た俺を憎んでいるのだろうか。遊園地で会った三人組もきっと、こんな俺を見て『ざまぁみろ』って言いながら嘲笑わらっているだろう。


「――ロチ」


 アレス、博士、ごめん……きっと今も俺の帰りを待っているだろうな。そう考えると余計に罪悪感が湧いてくる。


「――オロチ」


 名前も知らない、あの時助けた少女……もし最初からお前を助けなければお前が死ぬ事も、こうして不条理から逃げ続ける人生を送る事も絶対に無かったというのに――





「――オロチ!!」

「はっ――」

       

 刹那、誰かに起こされたような気がして俺はふと目を覚ました。いや、覚まさせられた。


「ここはどこだ……」


 俺は仰向けになりながら辺りを見回した。だが何も無かった。視界に入るは四方八方真っ白な風景。流石に誰もいないだろうと判断し、一先ひとまず意識と身体の感覚があるので動かしてみる。


「身体が動く……まさか天国に来たというのか? いやまさかな」

「ふふっ……大蛇さん、ようやく目を覚ましたのね」

「っ――!?」


 突然右から声をかけられ、振り向くと巫女のような服装をした少女が現れた。今まで人の姿なんて見えなかったのにどうやって現れたんだと疑問が浮かぶ。


「お前は……」

(あの巫女服の少女……前に見たことがあるような。誰だったっけ。もう覚えてないか。というか……会った事があるかももうはっきりと覚えていない……)


「ふふっ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。私はアカネ。ここであらゆる命を護る者よ。……って、この巫女服はただ私が気に入って着てるだけなんだけどね! ふふっ!」


 アカネと名乗る巫女服の少女は底抜けに明るく俺に話しかける。対して俺は俯きながらぼそぼそと呟く。


「あらゆる命を護る者……か」

「そう、貴方は今回で二度死んで、またここに来たと言うのも全て分かるのよ。もちろん、貴方が辿ったこれまでの人生も、ね」

「――!」


 ならつまり、あの遊園地で二人の子供を殺し、謎の黒フードに殺されたのもアカネという少女は全て把握済みだというのか。何て恐ろしい女だ。


「だからこそ言えるってのもあるけど、貴方はこれまで尋常じゃないほど多くの人を殺してきたのね……生前だけでも三百人は殺してるわ」

「さっ……!?」


 アカネが深刻そうな顔をしながら俺にそう言った。自分でやってしまった事だが、胸が痛くなる。


 でも事実だ。その数字だけははっきりと覚えている。何の数かは覚えていないが、竜だった頃の俺は天界のみならず国一つを焼け野原にしたのだ。それを含めれば、殺めた人の数なんてものは数値化出来ない。


「そうだ……俺は数多の命をこの手で殺した。だからこんな所で寝かせてないで早く地獄に落とした方が良いんじゃないか?」

 

 今から俺の人生を振り返ろうとも、遅かれ早かれ閻魔えんま大王がここから現れて、天罰として俺を地獄に叩き落とすのだ。どうせこの運命は決まってるようなものなのだから、落とすなら早くしてほしいところだ。それで俺に殺された人々の無念が少しでも報われるなら。


 

 しかし、やってきたのは予想だにしない答えだった。


「何言ってるの? 貴方を地獄なんかに落とすつもりは一切ないわ」


 その答えに俺は起き上がりながらアカネの顔を見て言った。


「そっちこそ何を言ってるんだ! 俺は人を殺したんだぞ! それに……俺は一度誓った約束を一日足らずで破ってしまった」

「約束……?」

「……吹雪の中、化物に殺されかけた少女を助けた時に約束したんだ。『もしまた危険な目に遭った時は必ず守れ』ってな。でも、守れなかった。

「……!」

「今になって深く後悔してるさ。あの時からずっと傍にいてやれれば、こんな事にはならなかった……てな」

「そんなっ……!」

「あまりにも残酷だったさ。ピコとマコ……二人の瓜二つの少女の右手と左手でそれぞれ半分にされたその子の遺体を引きずられて……今でもよく分からねぇけど、一度助けたはずの子が死んだ事へのショックは大きすぎた……故に、俺はその二人を殺した」

「そう……だったんだ」


 アカネは悲しそうな表情を浮かべながら俺の話を聞いていた。その後、何故か微かに口元に笑みを浮かべた。


「――やっぱり、君だったんだ」

「え……?」

「あ、なな何でもないよっ! ただの独り言……だからっ」


 アカネは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、何事も無かったかのように咳払いをする。


「コホンッ……そ、そっか。それは……すごく、辛かったよね。せっかく約束したのにすぐ破る形になっちゃって、終いには自分さえも死んじゃって……これ以上無いバッドエンドだよね」


 アカネが再び悲しそうな表情を浮かべながら呟く。まるで自身もそれを体験したかのような口調で。


「……だからもう、これでいい。こんな小さな約束すら守れなかった俺はもう英雄じゃねぇ。それに、もう『黒き英雄』なんていう十字架を背負って生きるのはもう飽き飽きだ」


 ため息混じりに本音を吐き出す。もうこれ以上同じ真似を繰り返したくないからこそ、その元凶である俺は消えるべきなのだ。



「そう言うと思ったよ――」


 突然アカネが右の人差し指で俺のおでこに触れた瞬間、二人の周囲を桜の花びらが螺旋状らせんじょうに舞い上がった。


「な、何をっ……」

「こんな一度の失敗だけで自分は死んでいいなんて言う君にはお仕置き――」



 桜が舞う中、俺の本心をアカネの一言が真っ向から否定する。


 刹那、パチンッとアカネが指を鳴らすと、桜吹雪が止んでは無数の花びらが白紙の世界に彩りを与えた。それだけではない、今目の前に広がっているのは白紙の世界では無く、神社の庭を彷彿ほうふつとさせるような風景だった。


「……!」

「ねぇ、大蛇さん――」

 

 優しい風が桜色の髪をなびかせ、頬を撫でながら、アカネが俺の目をじっと見つめながら呟く。



「君には、もう一度生きてもらいます。生きる事の幸せを感じてもらいます。そして――

「……!」


 ふわりと微笑みながらアカネが俺に判決を下す。その柔らかい笑顔が、生前約束した少女の面影と一致する。


(――まだ地獄そっちに行くのはまだ早い、と言っているのか。しっかり自分の役目を果たし終えてから落ちろと言う事か……)



 ここで新しく生を授けても、結局変わらないかもしれない。でも、約束を果たして生涯を全う出来た時には――そんな微かな希望を抱きつつ、アカネの目をよく見ながら芯の通った声で言った。


「――分かった、もう一度だけ賭けてみる。約束を果たすために……俺自身の罪を償うために、そしてそれを阻む運命を変えるために」

「大蛇さん……」


 俺の全てが込められた強い意思に、今度はアカネが目を見開き、直後ふにゃりと顔を綻ばせて笑った。

 

「ありがとう。貴方がそれを果たせるまで、私はずっと応援するし、見守ってるよ」

「……心強い」


 そうだ、運命はまだ動き出したばかりだ。そして俺自身が折れない限り終わらない。なのに自分勝手に終わらせようとしていた。


 この輪廻やりなおしを機に、そんな自分とはもうお別れにしたい。



「……よし! じゃあ大蛇さん、再びここに仰向けに倒れて」


 アカネの言われる通り、先程目覚めた所に再び仰向けに倒れる。


「じゃあ、そのまま目をつむって……」

 

 俺は突如出現したベッドのような柔らかい物体に身体を預ける。


「――!!!」


 刹那、身体の感覚が一気に持っていかれる感触に陥った。まるで幽霊にでもなったかのようだ。


「……いってらっしゃい、大蛇さん。今度会う時が最期になる事を願ってるよ」

「――もうここに来るのは勘弁だからな」

「ふふっ――」


 アカネの最後になるであろう笑顔を見ている内にあらゆる感覚が再び無くなる。全身がまた花吹雪に囲まれ、光に溶けていくように感じる。



 約束、贖罪しょくざい、そして運命への復讐。数ある使命を果たすための物語が、俺の魂に眠る時計の針を動かし始めた――







「……行っちゃったな。これでまた全てやり直しになっちゃったけど、きっと君なら出来るって信じてるから。

 頑張ってね、あの時私を助けてくれた、たった一人の英雄ヒーローさん」


 少し寂しそうに、だけど少し嬉しそうにアカネは呟いた。また会いたいなという希望を抱きながら――

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