序章 英雄の輪廻編

第一話「黒き英雄」


 西暦不明 12月16日 日本 地域不明



 白く冷たい無数の粒が少女の視界をさまたげる。周囲の建物や地面は既に白く凍てつき、手袋が意味を失う程に両手が悴む。手入れした長めの黒髪も徐々に冷気を纏っては凍りつく。


「はぁー、はぁー」


 感覚を失った指先に息を吐く。やってく内に若干温かくなってる気がした。でも実際は温もりは微塵も感じない。ただの脳の錯覚だ。


「寒いよぉ……」


 何でこんな日に限って吹雪くんだろう。さっきまで友達と遊んでて楽しい気分だったのに。別れた瞬間に身体も心も一気に冷めては凍てつく。この気温差が本当に嫌いだ。


「うぅ……早く帰りたいよ……」


 歩いても歩いても、目の前の景色は変わらない。まるで無限回廊にいるかのようだ。震える両足で頑張って一歩を踏み出し、少しずつ家までのルートを進んでいく。


 ――そんな時だった。


「痛っ……!」


 下を向きながら歩いていたからか、目の前に人がいるのに気づかずそのままぶつかった。少女は雪道に尻餅をつき、ふと見上げる。そこには全身を黒く染めた人型の怪物が少女を睨みつけていた。


「てめぇ……どこに目ぇつけてんだっ!!」

「っ……!?」


 怪物が人語で少女に怒りだす。対して少女は怖気づき、身体が硬直して動けなくなってしまう。


「あ? 俺にぶつかってくるとは随分生意気だなこのガキ……ぶっ殺してやる!!」

「ぁ……ぁああっ……!」


 恐怖のあまり涙が零れ落ちる。やめてと首を左右に振るも、無論怪物は右手で少女の頭を掴んで顔の前まで持っていく。


「これからされる事……分かってるよな?」

「や……やめ……え……」

「んだと? てめぇからぶつかってきたくせに俺には何もするなってか。ふざけんじゃねぇぞ! あーイライラするぜ、てめぇはもうここで死ね。安心しろよ、ついでにてめぇの家族も連れてきてやるからよ」

「ごめ……なさっ……!」

「今更謝っても意味ねぇって事くらいてめぇの脳みそでも理解出来てんだろ。言っておくが恨むならぶつかってきたてめぇ自身を恨むんだな。これが俺を苛つかせた奴の宿命なんだよ!!」


 掴まれた頭に圧が加わる。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。怪物の右手の爪が5本とも刺さって流血する。圧が加わる度に鮮血が徐々に傷口から宙を舞い、地面に飛び散る。


「ああああああっ!!!」

「ギャーギャーうるせぇな! いいからさっさと死ねや」


 頭蓋骨が悲鳴を上げる。折れる前兆だ。そして死は既に目前にまで迫ってきている。


(パパ、ママ……ごめんね。私、パパとママの分まで生きれなかった……よ)


 少女の頬を伝う涙が、雪道に落ちては若干溶かした――






 ――刹那、頭部に加わったはずの圧力が一気に抜けていった。



「がっ……!?」


 瞑っていた目をゆっくりと開けた時だった。少女の頭を掴んでいた怪物の右手が突然肘から真っ二つに切断されていたのだ。


「え……」


 あまりにも突然且つ瞬間的な出来事で少女は思わず息を呑んだ。そしていつの間にか少女は黒のローブを羽織った謎の青年に抱えられていた。


「てめぇ、何処のどいつだっ……!?」


 怪物が話している間にも関わらず、青年は凄まじい速さで左腕を斬り落とす。怪物の両腕から激しく鮮血が噴き出す。


「くっ……どいつもこいつも生意気だな……今すぐまとめて殺してやる!」


 怪物は斬られた両腕を再生させ、剣状に変化させる。


「……俺から離れるな」

「……!」


 青年が静かな低い声で少女に呟く。フードを深く被っているから顔までは見えないが、きっとこの人は助けてくれる……そう信じて少女は抱える青年の左腕をぎゅっと抱く。


「ここで塵となって死ね!『双刃波空斬エアロディヴィジョン』!!」


 怪物の両腕の刃から繰り出された無数の斬撃波が瞬時に青年へと迫り、爆発に近い音と同時に巨大な土埃が舞い出した。が、しかし。


「傷一つ……ついてねぇだと!?」


 青年には一切攻撃が当たっていなかった。少女の方も先程の頭の傷以外全くついていない。


「ふざけやがって……!」


 今よりも更に多く、速く斬撃波を繰り出す。対して青年は右手に持つ黒剣でそれを一つ一つ確実に斬り払っていく。最後の一撃を斬り払った刹那、目の前の土埃から怪物が突進しては右腕の刃を勢いよく振り上げる。


「これで……死ね!」

「っ……!」


 少女が再び恐怖に怯える中、刃は青年を捉えて斬り、同時に青年は刃を捉えて宙返りして避ける。斬り上げと回避はほぼ同じタイミングだった。


「ちっ、あれを読まれるとは……!」


 幸い間一髪で避けたものの、被っていたフードが縦に斬られ、中から若々しい黒髪の顔が姿を現した。


「――何処のどいつだ……って言ってたよな。教えてやる」


 しっかり着地して先程の宙返りを完璧に決めながら青年はぼそっと呟き、剣を右に振り払う。青白い光が刀身を覆う。


「俺はかつて人界を焼き払い、厄災と言われ恐れられていた竜――今となっては人の皮を被って英雄気取ってるだけの贖罪者だ」

 

 話し終えたその瞬間、青年は既に怪物の間合いまで接近し、捉えていた。青年の右目は充血しているかのように赤く滲み、流血しているのがはっきりと見えた。


「その右眼……その剣……まさかてめぇが――」

「察しの通り、『黒き英雄』八岐大蛇とは俺の事だ――『終無之剣ラストソード』」

 

 怒り以前に感情が一切乗っていない程の低い声で呟いた直後、人間の眼力では決して見えないレベルの凄まじい斬撃が怪物の全身を斬り裂く。その間僅か2秒も満たない。


「この……『人殺し』がっ――!!!」


 2秒で微塵切りにされた怪物は猛吹雪の風向きに乗って勢いよく吹き飛ばされていく。


(……人殺し、か。あれを人と呼ぶには無理があるが、そう言われた事もあったな)


 何とか退治出来てほっと一息ついてから、大蛇は左手に抱えていた少女に視線を向ける。


「おい、無事か……って――」

「うっ……ひっくっ……怖かったぁあああっ!!!」


 少女は恐怖からの解放されたあまり、大蛇の胸に顔を埋めて泣き出した。突然の事で思わず青年は動揺してしまう。


「……こういう時はどうすれば良いんだ」


 これまで戦う事しかしなかった男に泣き出した子供を泣き止ます術など持っていない。だがそうも言ってられない。このままこの寒さの中で少女を苦しめるわけにはいかない。早く泣きやまして彼女を家へと連れていかねば。


「……もう敵はいねぇ。仮に現れたとしても俺が何とかする」

「ぐすっ……」

「随分と身体冷えてるな。仕方ねぇ……お前の家まで送ってやる。道分かんねぇから案内頼む」

「うぅ、ぐすっ……くちゅんっ!」

「ちっ、まずは身体温めねぇとか……」


 はぁ……とため息をつきながら、大蛇は少女を降ろして左腕から離す。すぐに上着の右ポケットから財布を取り出しては100円玉2枚を近くの自動販売機の中に入れ、適当にコーンスープのボタンを押す。ガコンッ、という音と共に温かい缶のコーンスープが落ちてきた。


「……しばらくこいつで我慢しろ」

「ありがとっ……ぐすっ」


 取ったコーンスープを少女に手渡す。少女は嬉しそうに、でも弱々しく微笑みながら缶を両手で持って指先を温める。


「あった……かい」

「……冷める前にさっさと帰るぞ」


 はぐれないよう少女の右手を左手で優しく握り、家まで送る事となった。


 しばらく歩いてはコンビニ等で暖をとってを繰り返して約1時間――ようやく少女の家へと辿り着いた。


「ここ……私の家。やっと帰れた……!」

「……あまり外暗い中出歩くんじゃねぇぞ」


 少女と繋いでいた手を離し、俺もアジトへ戻るべく振り返って歩き去ろうとした刹那、背中の裾を引っ張られ、歩く足を止めた。


「……何だ。俺はもう行くぞ。寒いからお前は早く中に入れ」

「あ、あの……また、会えるかな……」


 顔を赤らめながら少女は呟く。また泣きそうな表情を浮かべながら俺の顔をじっと見つめる。


「……もう会う事はねぇよ」

「……そっか」


 少女はまた寂しそうな表情を浮かべる。今のは嘘でも「いつかまた会えるよ」って言ってあげるべきだっただろうか。だが会える確率なんて限りなく低い。再会の余地などほぼ無いに等しい。


「……だが」


 そんな俺の思考とは裏腹に、無意識に口が滑る。今はただ少女を安心させたい……その気持ちが思考より先に出てしまっていた。


「もしまた会う時があるとしたら、さっきみたいにお前が助けを求めている時だ」

「……じゃあ、毎日私が助けを求めたら?」

「あるわけねぇだろ、んな事……まぁ、万一その時があったら毎日お前を助けては守る事になるな」

「……そっか」


 今度は嬉しそうに微笑む。まさか今の言葉を信じてるなんて事は無い……とは思うが。


「――じゃあ、私がまた危ない目に遭ったら……絶対、助けに来てね」


 いや、前言撤回。こいつは完全にありもしない事を信じてるやつだ。だがそれを信じ込ませてしまったのは、他でもない俺だ。せめてその責任は果たさないといけない。だが……


「……そんなのいつ起こるか分かんねぇよ」

「分かるよ」


 少女が突如俺の右手を優しく両手で包み込む。その刹那、猛吹雪の風景から桜吹雪が踊り舞う晴れ晴れとした風景に一変した。


「は……?」


 少女の手が触れた途端、世界が変わった。世界だけじゃない。少女の身長も何故か伸びており、服装も巫女服に変化しており、桜色の長髪をなびかせながら優しく微笑んでいる。



 何処だここは。何が起こっているのだ。まさかそういう魔術なのか。


「だって私は――――」

「……!」


 いや、違う。魔術なんかじゃない。これは紛れもない現実……俺の中の記憶が、今目の前にいる少女を知っていると悟っている。



「――君を、愛しているんだもん」


 

 言い終わりと同時に視界が歪み、一瞬で世界は元に戻る。直後、容赦ない吹雪が再び襲いかかる。


「い、今のは……」


 寒さすら気にもせずに、少女に今の現象について聞こうと思って正面を向くと、そこにはもう少女の姿が無かった。


「――って、いつの間にかいなくなってる……」


 何が何だか分からなくなり、俺は一先ず忘れようと頭を左右に振る。


「……忘れよう。どうせ再会なんてあるはずねぇんだからよ」


 目の前に見える少女の家に背を向け、俺はアジトへ帰るべく歩き出した。



 謎の少女との出会いと、ありもしない再会の約束――それらが俺の運命を歪ませる事になるというのは、まだ先の話である。

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