最終話 咆哮(その⑤)
蟇田の声が聞こえてきた。スマホではなかった。変貌の際、スマホはどこかへ失くしてしまっていた。脳に直接、響いているのだった。
《あなたの〝願いごと〟……叶えてあげましたよ》
《蟇田っ!》
怒りの叫びが、蠢く触手で隠れた口から咆哮となって放たれた。それは、衝撃波となって眼前のビルの窓ガラスを一枚残らず破砕した。砕けた大小無数のガラス片は鋭利な刃物となって逃げ遅れた歩道の人々に降りそそぎ、阿鼻叫喚を生じさせた。
《何を怒ってるンです? あなたの〝願いごと〟を、心の奥底に隠していた〝願望〟を、かたちにしてあげただけなのに》
《こんなこと望んでない!》
奴に向かって言葉を想念として発すると、すぐさま心に浮かぶように答えが返ってきた。
《いいえ、あなたは望んでいた。あなたを取りまく、この世界を……壊したいとね》
《⁉》
この世界を壊す。
その言葉には――。
背筋をぞくりとさせるような、魅惑的な響きがあった。
俺は思った。
今のこの、日本社会の現状、というヤツをだ。
例えば――身近なところで、景気についてなんてどうだ?
政府発表では景気は上向きになっているというが、俺たちのような非正規雇用の労働者は相変わらず増加の一途をたどっているし、生活が楽になったという実感もなかった。貯蓄ゼロ世帯や独身女性と子供の貧困率が増えているとも聞いた。全世帯の三分の一が三百万円以下の低収入という結果も出ていたはずだ(※)。
富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっている。
そんな、広がる一方の格差に、自己責任だの努力が足りないだのと咎め、生活苦に陥った人々を、簡単に切り捨ててしまっていいものだろうか。
心の奥底に、熾火のごとく燃えるものがあるのに気づいた。
確かに――。
奴の言う通りかも知れなかった。
こんな、腐った糞ったれな世界ならば――全てを壊し、一切を焼き払った方がいいのではないか。
そして、秩序の取れた新しい世界――理想郷を創り上げた方がいいのではないか。
《沢渡サン……あなたは本当に……最後まで自己欺瞞の人ですねぇ》
※『平成26年度 国民生活基礎調査』による。
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