二 いざ、後宮生活②
使者の話では、皇帝と皇后との対面は急に決まったことだったらしい。どうしても
東宮の中は基本的には馬車が入れないため、移動は
「──ふぅん。あれが例の?」
「ああら。さっそく
「あんなものかぶってるんだもの。当然その気なんでしょう」
「供も連れずに
「仕方ないわ。そんな身分だから『話し相手』なのでしょ」
通りにはやけに人が行き
(初恋相手ということが知られているからかしら。だとしても、
「殿下の後宮にはすでにお妃方がいらっしゃいます。萌春様が話し相手として参内されたこともご存じです。しかしそれは口実で、実は新しい妃だと思われる方もいるのです」
翠鈴は
「じゃあ、あの方たちってみんなお妃さまなんですか……?」
「いえ、お妃付きの
「で、でも、どうしてそんな
「さようです。あの方たちもどこまで本気でいらしたかはわかりませんが……。萌春様の今日のいでたちをご覧になって、信じてしまわれたのかもしれません」
「今日の……ですか?」
使者が言いにくそうにちらりと見る。
「その面紗を、ご
「!」
翠鈴は
(確かにそうだわ……。そこまで考えが至らなかった……!)
婚礼の日、
(わたしは太子様の後宮に入るわけじゃないんです! ごめんなさい
なんとか誤解を解こうと必死に目で
やがて一行は後宮の門の前で止まった。
この先は男性は入ることができないため、輿を降りることになる。
「なんか目つけられちゃいましたけど、
手を取って降りるのを助けながら隼が言った。彼ともここでお別れなのだ。
「さすがに後宮までは付き添えないんで……。まあ、お
「やめて。そんなことしたら目立ってしょうがないわ」
翠鈴は青ざめつつたしなめた。なまじ顔がいいだけに女装もこなせそうだが、別の意味で後宮の住人の目を引きそうだ。第一、男だとばれた時のことを考えただけで
「一応、話の通じる人がいたんで、何かあったら教えてもらいますけど。くれぐれも気をつけてくださいよ」
彼が目をやった先には、後宮の
「すぐには来られないかもしれないすけど……非常の時には呼んでください。飛んでいくんで」
いつになく口調が
使用人ではあるが、彼とは生まれた時から共に暮らしてきた。幼なじみでもあり、
「わたしは大丈夫。なんとかしてみせるわ。……とにかく隼は姉さまのことをお願い」
声を落として念を押すと、隼は
「ご心配なく。引きずってでも連れてきますんで」
翠鈴も
隼や使者らに見送られて後宮の門をくぐると、そこには
それぞれに門があり、宮の名が書かれた
先導の女官は回廊を回り込み、奥へと進んでいく。やがて視界が開け、広い庭園に出た。
橋の
「こちらの
女官の言葉に、翠鈴はまじまじとそれを見上げた。彼女について中に入りながら、胸が高鳴るのがわかった。
(すてき。お庭もきれいだし、こぢんまりしてて静かだし。すごく過ごしやすそう)
それに個人的なことをいえば、お妃たちのいる宮殿から
やがて荷物を運んでくれた女官たちが出て行き、翠鈴は一人、
居間も
(姉さまの好みに合わせてあるみたい。これも太子様のご意向なのかしら)
もし萌春のためにこの離宮のすべてを用意したのだとしたら。太子が
(難しいことを考えたってしょうがない。もうここまで来ちゃったんだから)
両親と自分の身の安全のため。恐れ多くも
「……あと二十日。なんとしても姉さまの代わりをまっとうしなきゃ」
自分を
● ● ●
翌朝。
翠鈴は
何度も
(ええと……。これは一体、どうしたらいいのかしら)
静かすぎるせいで、ぐううぅ、とお
思い起こせば、ここへ来た時から様子がおかしかった。
昨日は荷物の整理を終えるとうたた
その後は夕食が運ばれてくることもなく、入浴や
(
自分の思い込みを
(まさか後宮では朝食もとらないっていう習慣が……? いや、さすがにないわよね)
このままでは昼食にもありつけそうにない。
女官と出くわした時のために耳からの
裏手に回ると離れ家があったが、こちらも無人だ。どうやら
翠鈴は目を
(そっか。後宮では食事も自分で作るのね!)
そうとわかれば話は早い。てきぱきと火を
「……少し緑が欲しいわね」
そういえばここへ来る
門を開けて庭園をのぞいてみる。日差しが降り注ぎ、あちこちに
「あ、
思った通り、あまり人の
当面の食料にしようと、せっせと
振り向いて見ると、誰かが庭園を歩いているところだった。しきりに手元に目をやりながら、どこか
なんとなく見つめた翠鈴は、大事なことに気づくと、ぎょっと目をむいた。
(ちょっと待って。──後宮に男が入ってる!?)
すらりとした長身を
確かめるまでもなく後宮は男子禁制である。翠鈴は青ざめながら木の
(
おろおろしながら観察していたが、引っかかりを覚え、目を
どこかで見たような顔だ。それも、ごく最近。
(──あ! あの人……!)
思い出した
先日街で出会った天然気味の若様、もとい売り上げの恩人の迷子青年だったのだ。
良家の子息のようだったから皇宮にも上がれる身分ということなのだろう。しかしあのうろつく様を見るに、また道に迷ったのか。
(よりによって太子様の後宮にまで
どれだけ方向
この分では誰かに
「ねえ、ちょっと! ──お兄さん!」
急いで
「君は……」
覚えていてくれたらしい。翠鈴は構わず彼の手をつかんで引っぱった。
「だめじゃない後宮なんか入っちゃ! こんなところで何してるの? また迷子なの?」
「えっ? いや、私は」
「早く、こっちよ! 見つかる前に隠れなきゃ」
運悪く、庭園の入り口のほうから人の声が聞こえてきた。お
「急いでッ。ばれたら
ぜいぜい息をつきながら門を閉め、向こうをうかがう。
「はー……。危なかったぁ……」
声が完全に聞こえなくなるまで確かめると、
「
青年が心配そうな顔で手を差し
「何を
青年は
「怒ってるんじゃないのよ。ただ、ひやひやしただけ。後宮に男が入るのは
青年はしげしげと翠鈴を見つめていたが、やっと理解したように口を開いた。
「つまり、私を助けようとしてくれたのか」
「そうよ。今日はどこに行くつもりだったの? 後宮のことはよく知らないけど、方向はなんとなくわかるわ。見せてみて」
手にしている紙は地図だろう。のぞきこもうとしたが、彼はやんわりとそれを隠した。
「いいんだ。一人で行けるから」
「でも、また
「いや……もうわかったから大丈夫だ」
重ねて辞退されてはしつこくするわけにもいかない。気になりながらも、翠鈴は門を少し開けて外をうかがった。
「誰もいないわ。今のうちに、急いで」
「あ……ああ」
「もう迷子にならないでね。外出する時はお供の人をつけたほうがいいわ」
青年は何か言いたそうだったが、さすがにそんな
(……それにしても、あの人……)
彼は一体どこの誰で、皇宮で何をしていたのだろう?
今さらそんな疑問がよぎったが、考え込む前に、はたと思い出した。
「そうだ、お粥!」
ぐぅ、とお
たちまち青年への疑問は
後宮星石占術師 身代わりとなるも偽りとなることなかれ 清家未森/角川ビーンズ文庫 @beans
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