二 いざ、後宮生活②



 使者の話では、皇帝と皇后との対面は急に決まったことだったらしい。どうしてもむすの初恋相手と話がしたい、しかしせい殿でんぎようぎようしくするのははばかられるということで、車を着けやすい建物に場をしつらえたとのことだった。

 ぜんを辞した後、翠鈴は再び馬車に乗って移動し、とうぐうへと案内された。太子の住まうきゆう殿でんである。

 東宮の中は基本的には馬車が入れないため、移動は輿こしか徒歩になる。せっかくだから輿にしておけと隼が言うので、しやまく付きのものに乗せてもらうことになったのだが。

「──ふぅん。あれが例の?」

「ああら。さっそくきさき輿こしでご登場? まだじゆだいしたわけでもないくせに」

「あんなものかぶってるんだもの。当然その気なんでしょう」

「供も連れずにまつな行列だこと」

「仕方ないわ。そんな身分だから『話し相手』なのでしょ」

 通りにはやけに人が行きっており、そのだれもがこちらを注視している。ささやき合う声も心なしかとげとげしい。

(初恋相手ということが知られているからかしら。だとしても、こうの目ならまだしも、これじゃまるできらわれてるみたいだわ)

 げんに思っているのがわかったのかどうか、使者が咳払いして声をひそめた。

「殿下の後宮にはすでにお妃方がいらっしゃいます。萌春様が話し相手として参内されたこともご存じです。しかしそれは口実で、実は新しい妃だと思われる方もいるのです」

 翠鈴はぎようてんした。嫌われてるみたい、などとのんに不思議がっている場合ではない。

 しやまくしによく見てみると、れいな身なりの女性たちがこちらをにらみながらひそひそ話している。ほぼ全員の目に敵意がこもっているのに気づき、めまいがしてきた。

「じゃあ、あの方たちってみんなお妃さまなんですか……?」

「いえ、お妃付きのじよです。お妃方は後宮からお出になることはあまりないので」

「で、でも、どうしてそんなかんちがいを? つうはお妃になられる方ってもっとはなやかに入られるものなんじゃありません? ちゃんとしきをしたりとか」

「さようです。あの方たちもどこまで本気でいらしたかはわかりませんが……。萌春様の今日のいでたちをご覧になって、信じてしまわれたのかもしれません」

「今日の……ですか?」

 使者が言いにくそうにちらりと見る。

「その面紗を、ごこんれいの折の衣装を模したと思われたのやも」

「!」

 翠鈴はこうちよくし、やがてがっくりとかたを落とした。

(確かにそうだわ……。そこまで考えが至らなかった……!)

 婚礼の日、はなよめあざやかな布を頭からかぶるのだ。しんろうにそれを取ってもらうまで顔を隠しておくのがならわしである。道理で東宮のみなさんの視線がこわいわけだ。

(わたしは太子様の後宮に入るわけじゃないんです! ごめんなさいはいりよが足りなくて!)

 なんとか誤解を解こうと必死に目でうつたえたが、悲しいかな誰にも通じた様子はなく、輿は彼女たちのもとを通り過ぎてしまった。

 やがて一行は後宮の門の前で止まった。

 この先は男性は入ることができないため、輿を降りることになる。

「なんか目つけられちゃいましたけど、だいじようすかね」

 手を取って降りるのを助けながら隼が言った。彼ともここでお別れなのだ。

「さすがに後宮までは付き添えないんで……。まあ、おじようさまがやれってんなら女装でもなんでもしてついていきますけど」

「やめて。そんなことしたら目立ってしょうがないわ」

 翠鈴は青ざめつつたしなめた。なまじ顔がいいだけに女装もこなせそうだが、別の意味で後宮の住人の目を引きそうだ。第一、男だとばれた時のことを考えただけでおそろしい。それこそ言い訳無用でけいになってしまう。

「一応、話の通じる人がいたんで、何かあったら教えてもらいますけど。くれぐれも気をつけてくださいよ」

 彼が目をやった先には、後宮のによかんらしき女性がほおを染めて立っている。先ほど荷物をわたしたついでに口説いた──もとい、話をつけたらしい。さすがのはやわざだ。

「すぐには来られないかもしれないすけど……非常の時には呼んでください。飛んでいくんで」

 いつになく口調が真面目まじめだ。ひようひようとして軽口ばかりたたいている隼だが、やはり心配してくれているのだろう。

 使用人ではあるが、彼とは生まれた時から共に暮らしてきた。幼なじみでもあり、きようだいのようなあいだがらでもあるのだ。だからこそ翠鈴もしんらいしている。

「わたしは大丈夫。なんとかしてみせるわ。……とにかく隼は姉さまのことをお願い」

 声を落として念を押すと、隼はまゆをあげてみせた。

「ご心配なく。引きずってでも連れてきますんで」

 翠鈴もしんけんな顔でうなずく。今はその言葉をひたすら信じるしかなかった。



 隼や使者らに見送られて後宮の門をくぐると、そこにはかいろうつながれた広大な宮殿が広がっていた。

 それぞれに門があり、宮の名が書かれたへんがくがかかっている。一つ一つに妃が住んでいるのだ。どこからか楽しげな声や楽の音が聞こえてきて、華やいだ空気が流れている。

 先導の女官は回廊を回り込み、奥へと進んでいく。やがて視界が開け、広い庭園に出た。

 橋のかる大きな池を中心に、梅林やとうえんたんの園などもあるようだ。その奥に小さな門と建物があった。

「こちらのきゆうをお使いくださいとのことです」

 女官の言葉に、翠鈴はまじまじとそれを見上げた。彼女について中に入りながら、胸が高鳴るのがわかった。

(すてき。お庭もきれいだし、こぢんまりしてて静かだし。すごく過ごしやすそう)

 それに個人的なことをいえば、お妃たちのいる宮殿からはなれているのがいい。あちらだったらますます生きたここがしなかったにちがいない。

 やがて荷物を運んでくれた女官たちが出て行き、翠鈴は一人、に座り込んだ。

 居間もしんしつも、やはり皇宮らしく最高級の調度品が並んでいる。けれども、皇帝にえつけんした部屋に比べると色合いは落ち着いていて、きらびやかなものはあまりない。

(姉さまの好みに合わせてあるみたい。これも太子様のご意向なのかしら)

 もし萌春のためにこの離宮のすべてを用意したのだとしたら。太子がはつこいの相手を心から大切に思っているのはちがいないようだ。

 げるように去って行った後ろ姿を思い出し、しばし考え込んだが、かぶりった。

(難しいことを考えたってしょうがない。もうここまで来ちゃったんだから)

 両親と自分の身の安全のため。恐れ多くもこうていと皇后の期待にこたえるため。そしてできれば太子の心をなぐさめる一助となるためにも。

「……あと二十日。なんとしても姉さまの代わりをまっとうしなきゃ」

 自分をするようにつぶやき、ひとまず荷物を整理することにしたのだった。


● ● ●


 翌朝。

 翠鈴はなやみながら部屋の中を行ったり来たりしていた。

 何度もろうをうかがい、時には外へ出てみたりもしたが、なぜなのかまったく人の気配がしないのだ。離宮の中は物音一つなく静まりかえっている。

(ええと……。これは一体、どうしたらいいのかしら)

 静かすぎるせいで、ぐううぅ、とおなかが鳴る音が悲しいほどひびく。

 思い起こせば、ここへ来た時から様子がおかしかった。

 昨日は荷物の整理を終えるとうたたしてしまい、気づいたら夕方になっていた。ところが、室内がうすぐらくなったというのにだれあかりをつけにやってこない。しばらく待ってみたがおとがないので、真っ暗になる前に種火を見つけ出し、自分でつけて回った。

 その後は夕食が運ばれてくることもなく、入浴やしゆうしんの準備をしに誰かが来ることもなく。完全放置されたまま一日が終わってしまったのである。

きゆう殿でんって女官の人たちがいたれりくせり世話を焼くものだと思ってたけど、そうじゃないのね……。お妃さまじゃないんだから、おに入るのもしんだいを整えるのも、そりゃ自分でやらなくちゃね。夕食だって後宮では食べないっていう習慣なのかも)

 自分の思い込みをじつつ朝をむかえ、さて女官に後宮のしきたりを聞いておかねばと待っていたのだが──。

 ひる近くなろうというのに、相変わらず、人っ子一人訪ねてくる様子がないのだ。

(まさか後宮では朝食もとらないっていう習慣が……? いや、さすがにないわよね)

 このままでは昼食にもありつけそうにない。しびれを切らし、こちらからさぐりに行ってみることにした。

 女官と出くわした時のために耳からのめんしやを付け、廊下へ出る。しゆりの柱が並ぶ回廊伝いにとびらを片っぱしから開けていったが、やはりどの部屋にも人の姿はなかった。

 裏手に回ると離れ家があったが、こちらも無人だ。どうやらちゆうぼうのようで、かまどなべ、調理に使う道具がきれいなまま並んでいた。

 たなを探してみると、米とや塩などの調味料、それに干し野菜なども置いてある。

 翠鈴は目をかがやかせ、思わず手を打った。

(そっか。後宮では食事も自分で作るのね!)

 そうとわかれば話は早い。てきぱきと火をおこし、おかゆを作ることにする。家では母といつしよすいをしているので、の厨房でも特に困ることはなかった。

 わんさじも用意し、き上がった粥をごうとしたが、ふと手を止めた。

「……少し緑が欲しいわね」

 そういえばここへ来るちゆうの庭園に薬草園のようなところがあった。さすがに勝手に使ったらおこられるだろうが、みちばたに生えている野草なら構わないだろう。

 門を開けて庭園をのぞいてみる。日差しが降り注ぎ、あちこちにいた若芽がきらめいていた。庭園自体は門で区切られているわけではないので、後宮の住人なら誰でも入れるようになっている。人目につく前にと、翠鈴はそそくさと野草を探した。

「あ、きくそう。──車前草おおばこも!」

 思った通り、あまり人のみ入っていないような場所にぽつぽつと生えている。

 当面の食料にしようと、せっせとんでかごに入れていると、何かが視界をかすめた。

 振り向いて見ると、誰かが庭園を歩いているところだった。しきりに手元に目をやりながら、どこかたよりなげな足取りでうろうろしている。

 なんとなく見つめた翠鈴は、大事なことに気づくと、ぎょっと目をむいた。

(ちょっと待って。──後宮に男が入ってる!?)

 すらりとした長身をほうに包み、かみかんむりにまとめた姿は、明らかに男のものだ。

 確かめるまでもなく後宮は男子禁制である。翠鈴は青ざめながら木のかげかくれた。

とかせんじゆつ官とかお許しがあれば入れるみたいだけど、そんな感じでもないし……。誰かが手引きしてこいびとを引き入れた? それとも押し入ったろうぜき者? ど、どっちにしろ危険だわ。見つかったら何をされるか……でもほうっておくわけには……ん?)

 おろおろしながら観察していたが、引っかかりを覚え、目をらした。

 どこかで見たような顔だ。それも、ごく最近。

(──あ! あの人……!)

 思い出したしゆんかん、翠鈴は口元を押さえていた。

 先日街で出会った天然気味の若様、もとい売り上げの恩人の迷子青年だったのだ。

 良家の子息のようだったから皇宮にも上がれる身分ということなのだろう。しかしあのうろつく様を見るに、また道に迷ったのか。

(よりによって太子様の後宮にまでつう迷い込む? うそでしょ……!)

 どれだけ方向おんなのかと信じられない思いで見つめたが、彼は確かにそこにいる。時折首をかしげたりきょろきょろしたりしながら行ったり来たりしている。

 この分では誰かにとがめられるのも時間の問題だ。翠鈴はたまらず木陰から飛び出した。

「ねえ、ちょっと! ──お兄さん!」

 急いでけ寄ると、青年がはっとしたように振りむいた。面紗を付けていたのを思い出し、翠鈴がそれを取ってみせると、彼は目を見開いた。

「君は……」

 覚えていてくれたらしい。翠鈴は構わず彼の手をつかんで引っぱった。

「だめじゃない後宮なんか入っちゃ! こんなところで何してるの? また迷子なの?」

「えっ? いや、私は」

「早く、こっちよ! 見つかる前に隠れなきゃ」

 運悪く、庭園の入り口のほうから人の声が聞こえてきた。おきさきの誰かが散歩にでも出てきたのかもしれない。

「急いでッ。ばれたらけいになっちゃうわ!」

 けいはどうあれしんにゆう者の男と手をとりあっている現場をもくげきでもされたらおしまいである。翠鈴は必死の形相で青年を押しやり、きゆうへと駆け込んだ。

 ぜいぜい息をつきながら門を閉め、向こうをうかがう。さわぎになっていないところをみるとなんとか見られずに済んだようだ。

「はー……。危なかったぁ……」

 声が完全に聞こえなくなるまで確かめると、あんのあまりへたり込んでしまった。

だいじようか?」

 青年が心配そうな顔で手を差しべる。翠鈴はため息をついてそれを見上げた。

「何を他人ひとごとみたいに言ってるの。危なかったのはあなたなんですからね。こんなところでまで迷子になるなんて」

 青年はまたたいてこちらを見ている。翠鈴は彼の手を借りて立ち上がった。

「怒ってるんじゃないのよ。ただ、ひやひやしただけ。後宮に男が入るのははつだってあなたも知ってるでしょ。狼藉者なら通報しなきゃだけど、あなたは恩人だもの。お役人に売るわけにはいかないじゃない」

 青年はしげしげと翠鈴を見つめていたが、やっと理解したように口を開いた。

「つまり、私を助けようとしてくれたのか」

「そうよ。今日はどこに行くつもりだったの? 後宮のことはよく知らないけど、方向はなんとなくわかるわ。見せてみて」

 手にしている紙は地図だろう。のぞきこもうとしたが、彼はやんわりとそれを隠した。

「いいんだ。一人で行けるから」

「でも、またちがってるんじゃない?」

「いや……もうわかったから大丈夫だ」

 重ねて辞退されてはしつこくするわけにもいかない。気になりながらも、翠鈴は門を少し開けて外をうかがった。

「誰もいないわ。今のうちに、急いで」

「あ……ああ」

「もう迷子にならないでね。外出する時はお供の人をつけたほうがいいわ」

 青年は何か言いたそうだったが、さすがにそんなゆうはないと思ったのか、なおにうなずいて門を出ていった。

 すみの目立たないあたりをたどって後ろ姿が遠ざかっていく。見えなくなるまでこっそり見送った翠鈴は、そっと息をついた。

(……それにしても、あの人……)

 彼は一体どこの誰で、皇宮で何をしていたのだろう?

 今さらそんな疑問がよぎったが、考え込む前に、はたと思い出した。

「そうだ、お粥!」

 ぐぅ、とおなかが鳴る。

 たちまち青年への疑問はき飛び、翠鈴は急いで厨房へと走ったのだった。

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後宮星石占術師 身代わりとなるも偽りとなることなかれ 清家未森/角川ビーンズ文庫 @beans

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