二 いざ、後宮生活①



 皇城の中央をつらぬく大街と呼ばれる大路を、一台の馬車が走っていく。

 赤いふさかざりがぐるりと周囲をめぐり、しやへきは花のかしが入った美しい布張りで、それをめるのはみつな細工と宝石でいろどられたふちかざり。見るからに貴人の女性が乗るしろものだ。

 その車内で一人られながら、翠鈴は落ち着きなく目線を泳がせていた。

(地味な車をすって聞いてたのに……。これじゃ目立ちまくりじゃないのかしら)

 事情が事情だけに、『初恋の君』の登城はみつに行われることになっている。

 ぎようぎようしいむかえのしきも行われない。一人で皇宮に上がり、ひそかに太子のきゆう殿でんすみに入るのだ。迎えの使者はいつしよだが、両親の付きいは許されなかった。ただ、隼だけは護衛として同行してくれている。

(いよいよだけど……本当にうまくいくのかな)

 姉の代わりに皇宮へ行くと決めてから、一家はあらためて作戦をめた。

 まずは母の提案で、皇宮にいる間はめんしやをかぶって顔をかくすことになった。とがめられた場合は『顔に傷を負ったため治るまで隠している』という言い訳を用意している。

『太子様はいそがしいおんだろうし病弱でいらっしゃるのだから、すぐにはおしがないかもしれません。わたくしはそこにけています。もしお召しがあったとしても、萌春様と入れわるまでけっして布を取ってはいけませんよ』

 そう言って母はてつで面紗をってくれた。部分的にしゆうをほどこし、花のかざりを縫い付けた美しいものだ。

『ここまでして求めた初恋相手に無体はなさらんだろう。ある程度はこちらの言い分も聞いていただけるはずじゃ。そこは口八丁で乗り切るのじゃ』

 助言をくれた父があの手この手で登城を六日おくらせてくれたので、皇宮で過ごすのは実質二十日ほど。萌春が行きつけの店に寄るのを待ち構え、つれてくるのは隼の役目だ。

『周家の命運はおまえにかかっておるのだ。たのんだぞ!』

 家を出る時の父の顔を思い出し、ぐっとこぶしにぎる。

(わたしさえうまくやれば全部丸く収まるんだから。たぶん、だけど。がんるわ!)

 つんのめるような感覚があり、馬車が止まった。

「──とうちやくでございます」

 使者の声がして、がたがたと物音が続く。降りるための足場を用意しているようだ。

 翠鈴は何度も深呼吸し、ほおたたいて気合いを入れると、とばりを開けて外へ出た。



 車を降りるとすぐ門があり、宮殿に続いていた。

 案内されて中へ入るまでの間、あちこちからこうの視線が突きさるのを感じた。太子のはつこい相手、しかももったいつけた面紗をかぶっているとくれば無理もないが、おかげで足がふるえてしまった。

(とにかく宮殿に入ったんだから、あとは人目につかないように過ごせばいいんだわ。ええと、ここがわたしのまる部屋ってことなのかしら?)

 紗の布地で作られているので、面紗しでも少しは視界がきく。こっそりあたりを見回してみると、いかにも個人の居間という感じでそれほど広い部屋ではない。

 ただし調度品は、てんじようから下がったしやまくや玉すだれからゆかかれた黄金色のじゆうたんまで、すべてがけんらんごうだった。

 花の透かしがらが入ったうすの帳。ふくいくとしたかおりをただよわせる金と銀のこう。きらびやかなしよくだいの数々。みがかれたながにはせんさいな刺繍がされたやわらかそうなしきものがかかり、玉細工のたくには見たこともない果物が盛られたうつわびんがある。

(はぁ……。すごい。目がちかちかしちゃうわ)

 まるでおとぎばなしで読んだりゆうぐうのようだ。一応は父が新調してくれた上等のころもを着てきたが、すでにちがい感がはんではない。

 あつとうされながら次の部屋へ入っていくと、一緒にいた使者がかしこまってり向いた。

こうてい陛下と皇后様がお待ちです。特別にお言葉をたまわるとのことです」

 完全にお上りさんと化して気を抜いていた翠鈴は、ぽかんと口を開けてしまった。

(──────は?)

 どうぞと手でうながされ、部屋の奥を見やると、窓を背にした座席に人の姿がある。

 金色のちようほうをまとったかつぷくの良い男性。ひげのせいで一見怖そうに見えるがふんたいぜんとしている。そのとなりにはしんの衣に紗の打ちけを重ねた美しい女性。い上げたかみようかんざしが揺れ、大輪の花のごときあでやかさだ。

 あまりにもとうとつすぎてぼうぜんながめてしまってから、翠鈴は勢いよくその場にひざをついた。

 姿を目にしたのはもちろん初めてだが、このげんと高貴さは疑いようがなかった。

(こっ……皇帝陛下と皇后様──っ!?)

 予想外にもほどがある登場である。ここは自分にあたえられた部屋ではなく皇帝と皇后の宮殿だったのか?

「……そなたが、萌春か」

 皇帝のお声がけだ。げんそうなこわに気づき、身体からだが震え出す。

 面紗で顔を隠しているのだからしんに思われて当然だ。萌春と入れ替わるまで顔をさらさないという作戦を立てた時には、皇帝と皇后に目通りした場合の対処法はだれも考えつかなかったのである。

(ひいぃ……、ど、どうしよう……っ)

 やはりこのままけいか──と頭の中が真っ白になりかけた時、父の声がよみがえった。

『周家の命運はおまえにかかっておるのだぞ』

『案ずるな。おまえにはわしの血が流れておるのだからな』

 誰が相手であろうと口先を使して乗り切るのじゃ──。

(……そうね。お父さまのむすめだもの)

 かくを決めて、息を整える。震えてだまっていたって何にもならない。

 ここまで来たのだ。家族を守るために、もうやるしかない。

「──周萌春でございます。皇帝陛下と皇后様にごあいさつ申し上げます」

 顔をせたまま、とびきりのまし声をしぼりだす。

 ここにいるのは姉の萌春。太子のお召しに応じてやってきた初恋相手。とことん演じきるしか生き残る道はない。

「うむ。よく参った。しかし、その布はどうしたのか」

 当然すぎる問いかけに、小さく深呼吸してから答える。

「ご無礼をおびいたします。実は先日、てんとうして顔に傷ができてしまいました。医師の見立てでは一月ほどで治るとのことでしたが、みなさまにお目にかけるのが心苦しく、こうして隠しているのでございます。お許しくださいませ」

 きんちようで少しつかえてしまったが、それが逆に真実味があったのだろうか。皇帝はそれ以上は咎めることはしなかったものの、やはり気になるようだ。

「それはあわれな。早く治るよう後でつかわそう」

(ひぇッ)

「あ……ありがたきお言葉。もったいのうございます。しかしながら、後はわずかなきずあとが残っているのみですので、持参した薬で事足りるかと存じます」

えんりよはいらぬ。早く治すにしたことはない。太子もそなたを待ちわびていたのだから」

 ずいぶん熱心に食い下がってくる。づかいは本当にありがたいことだが、出てくるのは冷やあせばかりだ。

 これ以上皇帝の申し出をきよしてもいいものか──?

 頭からかぶったものと、耳にかけて顔下半分を隠すもの、念を入れて二つの面紗をつけてきている。ここはかぶっているものだけでも取ってみせ、不審さを軽減しておくべきか。

 だが翠鈴が言い訳を編み出すより早く、皇后がたしなめるように口をはさんだ。

「陛下。萌春もとしごろの娘にございます。見も知らぬ侍医に顔の傷を見られるのがずかしいのでございましょう」

「しかし、侍医だぞ? 医者が傷のりようをするだけではないか」

「陛下。わたくしどもが無理を通して萌春を召し出したのでございますよ。あまりげんそこねるようなことは……こほん」

 皇后のせきばらいしつつの目配せに、皇帝がはっとした様子で言葉をむ。

「そうであったな。ごほん。──そなたを呼んだのはほかでもない。頼みがあってのことだ」

 皇帝があらたまった口調になったので、翠鈴は思わず居住まいを正した。

「遣わした使者にも聞いていよう。太子がそなたに会いたがっている。とつぜんのことゆえおどろかせたと思うが、そなたに初恋をいだいて忘れられずにいたというのだ。会わぬうちはえんだんに応じぬと言い張るのでちんも驚いた。ゆえに国中に遣いを差し向け探し求めたのだが、萌春という名の他には『とにかくたおやかな美少女』としか申さぬので、なかなか骨が折れた」

 ため息まじりのなげきに、翠鈴はひそかに首をかしげる。

(とにかく嫋やかな美少女……? ほんとに誰のことなのかしら……)

 萌春の実像といえば、くまやらとらのみならずようまでも打ちたおして手下にしているごうものなのだが──太子の中ではよほど美しいおもい出になっているらしい。

(人界をさすらってる間にぞくと名の付く者を聞きつけたら退治に行くのがしゆっていうくらいなのよ。しかも人相手の時は仙の力を使わないみたいだし。それで勝っちゃうような人が嫋やかはないわよね……)

 賊から巻き上げた金銭や財宝は人々にばらまいているそうだから、そういう意味ではありがたがられているようだが、まさかそれが初恋の決め手とは考えがたい。

「太子は生まれつき身体がじようではない。性格もおだやかでやさしいのだが、たびのことにはおそろしくごうじようになっておる。このまま我を張れば体調をくずすやもしれぬ。加えて煌国との縁談をひかえている身でもある。朕もできるだけ太子の願いを聞いてやりたいとは思っているが……っ」

 急に声がれたので、そっと視線を上げてみると、皇帝はがしらを押さえていた。彼にしゆきんを差し出した皇后も頬をぬぐっている。

(な、泣くほど心配してらっしゃるのね……)

 どう反応したらいいのか分からず固まる翠鈴の前で、皇帝と皇后はたがいになぐさめるよううなずきあうと、同時にこちらを見た。

「萌春よ。あの控えめな太子がここまで言い張るのだから、我らはもうじやてせぬ。どうか、煌の公主をむかえるまでの想い出を作ってやってくれぬか。それさえ済めばなんでもほうをとらせよう。望むならそのまま太子の後宮に入ってもよい」

 こちらを拝まんばかりに見つめる皇帝の隣で、目をうるませた皇后もうんうんとうなずいている。めんしやしに視線を受けながら翠鈴はまたも冷や汗がき出すのを感じた。

(めちゃくちゃたよりにされてる……っ)

 これは思ったよりも責任重大なことを引き受けてしまったのかもしれない。周家の命運のため策をめぐらせている場合ではなかったようだ。

「ほ……褒美は望んでおりません。太子殿でんのお力になれればそれでじゆうぶんでございます。皇帝陛下と皇后様のご期待にえるよう力をくします」

「うむ……。たのんだぞ。これ以上こうに走られては、我らの寿じゆみようが持たぬ……」

 ため息まじりの声はつかれているようでもある。聞きちがいかと翠鈴は首をひねった。

(奇行? って聞こえたような……。なんのことだろ?)

「おや。うわさをすれば、太子ではないか」

 驚いた声をあげた皇帝につられ、思わずそちらを振り返った。

 戸口の帳に半ばかくれるようにして、ひっそりと誰かが立っていた。

 銀の布地にせんさいしゆうがされた袍を、むらさきの帯でめている。こしにはすいぎよくはいと、白とあいを連ねた玉輪。細いきらびやかなさやに収まっているのはかざりの太刀たちだろうか。

 そして──顔には黄金色にかがやく仮面。

「……っ!?」

 翠鈴がぎょっと目をむいたと同時に、彼は身をひるがえした。

 そのまま、まるでげるかのように行ってしまった。一言も発することなく。

「なんだ、挨拶もなしに。萌春に会いにきたのではないのか」

「陛下。太子も年頃ですもの。わたくしたちの前ではずかしいのですわ」

「照れているだと? まったく、純情なことよ」

 こうていと皇后は微笑ほほえましそうにひそひそ話しているが、翠鈴はそれどころではなかった。

(奇行って、もしかしなくてもこれのこと──!?)

 面紗をかぶって登城した自分が言えた義理ではないが、仮面をつけてかつしている太子様というのは確かになかなかの奇行ぶりだ。待ち望んだ『はつこい相手』との再会だろうに、まさかどちらも顔を隠したままとは、感動もへったくれもない事態である。

 病弱で穏やかで優しく、初恋を大事にする純情な太子。

 一方では仮面で顔を隠し、ものかげからうかがい、気づかれたら逃げてしまう──。

(ど……どう接するのが正解なの──!?)

 いくら考えてもわからない。面紗の下でひきつるしかなかった。

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