一 迷子と勅命②



 采国の都、てん耀よう

 中央をたいがいと呼ばれる大路がつらぬき、その頂に皇城をほうじる。

 大街を中心に縦横に伸びたみちによって区と呼ばれる街ができており、区へきで囲まれたそこに人々は住んでいた。

 皇城に近い区には重臣やかんらの屋敷、少し下って都の官庁街、それから様々な商店がのきを連ねる商館街。たみが暮らす区はそのさらに下にある。

 下というと聞こえは悪いが、要は皇宮からはなれているというだけで、家は建ち並び人々は大いに行きいどこも活気に満ちている。おまけに今日は市の立つ日で、いつにも増して人通りが多い。

 その一角に仕事場を構えた翠鈴は、本日最初の依頼人と向かい合っていた。

 卓の周りには天幕を張って、ちょっとした小部屋のようなしつらえにしてある。手前に置いた小卓には『石占い』『せ人 さがします』と注意書きをした看板。天幕内にはこうかれせいじような空気に満ちていた。

「あの……本当にこれで見つかるの? よく当たるって聞いてきたんだけど……」

 依頼人である若い娘が半信半疑といった顔で小さな石を差し出す。

「はい、このせいせきがあれば捜すことができます。お兄様は連なりはお持ちですよね?」

「ええ。ちゃんと持って出かけていったわ」

 石を受け取った翠鈴はていねいにそれを卓に置いた。そこに自分の玉を並べていく。

「この玉は神通力を持っていて、じんを作って並べじゆを唱えると、星石の力を引き出します。星石同士は呼び合いますから、このひとつぶがあればお兄様がお持ちの連なりの行方ゆくえを捜せます。つまりはお兄様の居場所もわかるというわけです」

 采国では、子どもが生まれると、親はその子に石を一粒あたえる。高価な宝石でも拾ってきた小石をみがいたものでもなんでもいい。ひもに通して首からさげたり、あるいは手首にはめたりして常に身につけておくようにする。

 それはその子の守護石となり、以降、一年ごとに一つずつ石を増やしていく。そしてこの世を去る時に、としの数だけ集まった石の連なりをひつぎに収めるのである。

 人々はそれを星石と呼んでいた。たいていの者はそうしよく品のようにして身につけているのだが、遠近にかかわらず家を離れる時に一粒だけ石を置いていく。星石同士は呼び合うため、無事に帰ってこられるようにというまじないのようなものだ。

 翠鈴はそれを使い、人捜しをするのを仕事にしていた。もどってこない人が置いていった一粒の星石と師からいだ玉を使ってうらない、居場所を捜すのである。

「ではお兄様の行方を占います。目を閉じてお待ちください」

 娘がきんちようしたように目をつぶる。それをかくにんし、翠鈴は大きく手を打った。

「天の玉皇、地のぎよくていしておうかがたてまつります。我は天と地より生まれかえる者──」

 目を閉じて呪を唱えると、陣をいた玉が光を帯び始める。

「この者の居場所は何処いずこか、お導きください」

 清められた空気が光のつぶふくんできらきらとただよう中、翠鈴は目を開けた。

 玉の放つ光が重なっていくと、やがていくつもの光景がかんでくる。翠鈴はしばしそれらをじっと見ていたが、おもむろに紙に筆を走らせた。

「──お待たせしました。お兄様はおそらくこのあたりにおられるみたいです」

 見えた光景や目印になるものをじようきにしてわたすと、娘は目を丸くしてこうに見た。

りんせい県府? そういえば、行方不明になる前に臨成の店の話をしてたわ……。でもこの印は何?」

「医院ですね。ひょっとしたらをしたとかで帰ってこられないのかも」

 翠鈴の言葉に娘はますます目を見開いた。

「すごいのね……! 不思議な術が使えるなんて、まるで神様かせんによ様みたい」

「へっ!? まさか、そんな、とんでもないっ。けっしてあやしい者ではございません!」

「やだ、じようだんよ。こんな街中にいるはずないものね。とすると、もしかして〝ぎよく〟なの?」

 おおあわてで首を横にっていた翠鈴は、言葉にまり、あいまい微笑ほほえんだ。

 かくすことではないが自分が望んだことでもない。娘のこうせんぼうの目に、どう反応したらいいかわからなかった。

「ま、いっか。とりあえずここに向かってみるわ。はい、お代」

 娘はすぐに話を引っ込め、代金を差し出したが、受け取った翠鈴はおどろいて押し戻した。

「これじゃ多過ぎます! ここに書いてるように人捜しは一回五十文で……」

「多い分は感謝料よ。兄さんがいなくなって家族みんな本当に心配してたんだもの」

「いえいえ、わたしのはもう、仕事というか善行ですからお代なんて本当は」

「あたしたちだけじゃ捜しようもなかったんだから。ここに来てみてよかったわ」

 娘は半ば無理矢理代金を置くと、「ありがとね、お姉さん」とがおで天幕を出て行った。

 返しそこねた翠鈴はあたふたして追いかけようとしたが、去って行くらい人の足取りがはずんでいるのを見ると、追いすがるのもすいな気がして足を止めた。せめてもの思いで深々と礼をして見送る。

(ああ……よかった。今日も一つ善行を積めたわ)

 行方知れずの彼女の兄はきっと家族と再会できるだろう。その手伝いができたことにほっとしつつ、後片付けに取りかかった。

「この力でお金をいただくなんて、なんだか申し訳ない気もするんだけど……」

 それだけ喜んでもらえたと思えばいい、と隼に言われてからはそう思うようにしている。それに実際、周家の中で自分だけかせがずぼんやり過ごすわけにもいかない。父や母の努力を見ているから、力になりたいという思いはもちろんある。だからこうして占いで得た金銭は隼と同じく蔵にすべて入れている。

(今のうちに……稼げるものは稼いで家をゆうふくにして、せめてもの親孝行をしなきゃね。家を継げるかどうかも、いつまでそばにいられるかもわからないんだし……)

 父は商家を継いでほしいようだ。商人になるのがいやなわけではないし、できれば商家のかたすみで占いもやれたら、と考えることはあるけれど──。

(はあ……どこかにいないかしら。わたしの代わりに家を継いで親孝行してくれてずっと長生きして家を盛り立ててくれる健康な跡取りは)

「……って、都合のいい夢よね」

 つまんだ玉を相手に、ぽつりとつぶやく。

 ため息まじりにそのまま玉を磨いていた翠鈴だったが、ふと気になって目を留めた。

(あの人……また戻ってきたわ)

 店を構えた通りは大通りから一つ入ったところにあるが、それなりに人が多い。きんりんの住民か通りがかりの商売人がほとんどなので気にもしていなかったが、明らかにそれらとはちがう身なりの青年が一人、目の前を通り過ぎていったのだ。

(覚えてるだけでも五、六回は見かけたけど……もしかして迷子かしら)

 紙切れを手にしてきょろきょろしながら歩く彼を、まじまじと観察してみる。

 銀のしゆうがされたい青のちようほうに、金細工のこしひもたまかざり。すそからのぞく傷一つないくつ。一目見ただけでも上等な品だとわかる。ふんからしてどこぞの良家の若君だろうか。

 気になったのは翠鈴だけではないようで、通りすぎざま人々が視線を投げている。ぼうっと見とれている若い奥方や、わざわざ振り向いてまで確認している女行商人、ひそひそ話しながら目を向けているむすめたち。だれもがのぼせたような顔でひとみをきらめかせていた。

(確かに。このへんじゃ見かけないような立派な若様よねぇ。……んっ?)

 注目を集めるのもなつとくだと感心していた翠鈴だったが、みするように見つめている者たちもいるのに気づき、思わずこしを浮かせた。

 女性たちが向けるのとは違う意味での熱い視線、そして失礼ながらどう見てもろんな風体の男ばかり。彼らに目をつけられてはまずいのではと、とつ身体からだが動いていた。

「あの──、そこのお兄さん!」

 若様と呼びかけるべきか少し迷ってから、おずおずとけ寄ると、青年が振り向いた。

 なんのじやもない、たんせいおもちが、不思議そうにこちらを見る。その様子からして本当に世間ずれしていないご子息様のようだ。

 これは胡乱な人たちにつかまったらひとたまりもなかっただろう。翠鈴は急いで彼のそでを引き、道のはしへ連れていった。

「おせつかいしてごめんなさいね、でもちょっと目立ちすぎてるから気になって」

 青年は驚いた顔で翠鈴を見つめている。いきなりぐいぐい押されてものかげまで連行されたのだから無理もない。申し訳なく思いながらも翠鈴は彼を人目から隠すように努力した。

「そんなに立派な身なりでうろうろしてたら、悪い人に目をつけられるわ。何か用があって来たのなら早く立ち去ったほうがいいわよ。お供の人はいないの? お一人?」

 早口でまくしたてられてあつとうされたのか、青年はだまり込んでいたが、やっと気づいたように自身の身なりを見下ろした。

「……目立っていたのか。気づかなかった」

 ぽつりとつぶやくのもいかにもたよりない。

 すらりと長身で、女子の目を集めるのも当然のごとき凜々しい顔立ちなのだが、なんだか弟のような気分になってくる。

「何度もこの道を行ったり来たりしてたでしょ。迷子なの? それは地図? 見せてみて」

 いよいよ心配になり翠鈴が紙切れをのぞきこむと、彼はなおにそれを差し出した。

はいどうという店に行くところなんだが、どうしてもたどり着けなくて」

 それは周家が行きつけの店の名だった。甘味も出す小さな食事どころである。

「そのお店ならよく知ってるわ。でもこれ、地図がちがってる。通り一本向こうに行かなきゃ」

「そうなのか? 道理で……」

 彼は目をみはり、ひようけしたように地図に目を落とした。なかなかたどり着けない理由がわかってだつりよくした様子なので、翠鈴は取りなすように笑みを向ける。

「新しい道順を書き足してあげる。向こうに筆があるからそこで──」

 仕事場であるたくを指さしかけ、はたと言葉をみ込んだ。

 依頼人の情報などを書き込むのに使うため、卓には筆とすずりが出したままになっている。その横には商売道具である玉の入ったきんちやくが。さらにとなりには本日の売上金入りの小箱が。

 その大事な大事な小箱に手をばしている男を発見したしゆんかん、翠鈴は目をむいた。

「あーっ! 何するのーっっ!」

 ひびき渡ったぜつきように、男はぎょっとした様子で小箱をつかむと身をひるがえした。

 いつしゆん立ちすくんだ翠鈴もあわてて駆け出す。悪い人に目をつけられうんぬんと人様の世話を焼いているすきに自分が悪い人のじきになっては笑い話にもならない。

「待って! 待ちなさいよー! それは今日の全財産なのに……っ」

 男の姿は早くも人波の向こうに見えなくなろうとしている。見失うまいと必死で目をらし、さけんだ時だった。

 すぐ傍をしつぷうのごとく誰かが駆けけていった。

 追い抜かれた翠鈴は、それが迷子の青年だと気づいて目を瞠った。先ほどまでのおっとりした様子とは別人のようなびんな動きだったのだ。

(でも、人が多すぎる。これじゃ追いつけない……!)

 そう思った瞬間、青年がひらりと通りのそくへきに飛び移った。

 そのままかべの上を飛ぶように駆けていく。ぴくりとも上体がらぐことなく、まるで地面を走っているかのような彼を、翠鈴だけではなく通りの人々もぎもを抜かれて見ていた。

 やがてひとみにまぎれそうになっていた盗人ぬすつとを発見したらしい。走る勢いそのままに近くのてんの屋根へ、そこから荷馬車へ次々に飛び移り、軽々と着地した。

 彼の目の前でたたらをんだ盗人が、慌ててきびすを返そうとする。しかしどういう体技なのか、青年にうでつかまれたたん、ぎゃっと叫んで腹ばいに地面にたおれてしまった。

 まさにれいとしかいいようのないついせきげきだった。人をかきわけながらやっと追いついた翠鈴は、息を切らして彼を見つめた。

(かっこいい……!)

 あれほどのことをしておきながら青年は息一つ乱していなかったのだ。表情も冷静で、『仕事人』と呼びたくなるようなかんろくである。

られたのはこれで間違いはないか?」

 手慣れた様子で盗人を後ろ手にしばりあげ、背中をかたひざで押さえつけた彼が、こちらに気づいて声をあげる。小箱を差し出され、翠鈴は興奮して駆け寄った。

「すごかったわ! 今まで見たどのかるわざ師よりも一番かっこよかった!」

 ほおを上気させて力説した翠鈴を、彼はきょとんとして見上げてきた。それから、おかしそうにみをかべた。

「それは初めて言われた。光栄だ」

「あっ、でもはない!? だいじようなの?」

「平気だよ。念のため中身のかくにんを」

 うながされ、小箱のふたを開けてみると、さっき数えたままの銭がちゃんと入っていた。翠鈴はほっと息をついた。

「ありがとう……! 全部無事だわ」

「そうか。よかった」

 青年が微笑ほほえむ。嫌みのないさわやかな笑みに、集まっていた人々からはくしゆがわきおこった。これにて一件落着、といったふうである。

 あざやかなり物劇に感動した野次馬が役人を呼んでくれて、盗人が連行されていく。

 翠鈴たちがそれを見送っていると、入れ違いのように中年の男が数人やってきた。

「もし、若君様。お手並みはお見事だったんですがね、うちの店がぺしゃんこで……」

「俺の荷車も粉々で……」

「俺んちの壁と門柱も……」

 じやつかん言いづらそうに打ち明けた面々の視線の先には、建物や荷車のざんがいが散乱している。翠鈴は引きつった顔で青ざめた。

だいさん起こってた──!!)

 青年のかつやくらしかったが、そのかげでは多大なるせいが生まれていたのだ。まあ確かに彼のついせきの勢いはすさまじいものではあった。

「あ……すまない。つい夢中で……。もちろんべんしようさせてもらう」

 さんじようを見てさすがにあせったのか青年はごそごそとふところさぐり、急いで何かを取り出した。

「持ち合わせがこれしかないが、足りるかな」

 と言って彼は、並んだ男たちのてのひらにごろんごろんときんかいせていく。

 翠鈴ふくめてその場の全員が目をむいた。

「ちょっ、ここでそんなの出しちゃだめ────!」

 慌てて飛びつき、手でおおって金塊をかくすと、彼はおどろいたようにまたたいた。

「だめなのか? やはり足りないか」

「じゃなくて、こんな大金見せたらまた目をつけられるでしょ! もらうほうだって対処に困るしっ」

 金塊を持たされた店主たちはぼうぜんとしており、中には白目をむいている者もいる。

 青年は申し訳なさそうにまた懐を探り、今度は平たいものを取り出した。

「では後でしきに来てくれるか。話は通しておくから、このぎよくはいを持ってきてほしい」

 受け取った店主の一人は玉牌をしげしげとながめ、ぎょっとしたように青年を見た。

「……えっ……、若君様──」

 驚く店主たちに、青年は表情を変えぬまま口元に指を立ててみせる。

 何も言わないでくれとの意をんだのか、彼らはぶんぶんと何度もうなずいた。

(あれって、身分を表す玉牌よね? よっぽどすごいおうちの若君様なのかしら)

 店主らのどうようした様子からしてそうなのだろう。興味を引かれて翠鈴もなんとなく見ていたが、ふと彼の手元に気づき、息を呑んだ。

「手……、やっぱり怪我してる! 血が出てるわ」

 青年が初めて気づいたようにそれを見下ろす。

「いや、大したことはない」

「大したことありすぎよ! 早く手当てしましょう、こっちに来て!」

 言うが早いか彼の手をつかみ、もうぜんと来た道をもどった。卓を出した場所まで来ると、半ば強制的に青年をに座らせ、急いで荷物を探る。

「壁でこすったみたいね。これならなんこうでよさそうだわ。洗ってからります」

「これくらいの傷、手当てなど……」

「だめだめ! のうしたらひどくなっちゃう。れいなおはだなんだから大事にしなきゃ」

 翠鈴は真顔で言ったが、思わぬめ言葉だったのか青年はあつにとられたようにだまり込んでしまった。

 と、そこに横から笑い声が割り込んだ。

「いいから、気にせずやってもらいなって! この子、いつもこんなふうなのよ。怪我人を見かけた時のために手当て道具一式持ち歩いてるんだって。善行のためにってんだから、薬もあやしいのじゃなく一級品のやつだしね。薬種もあつかってる店のむすめだし間違いはな……あらヤダッ、あんたいい男ね!」

 隣に店を構えていた食器売りのそうおばさんだ。出店する場所は日によって変わるがきんりんの区でやることが多いため、いろんな店の売り子が知り合いなのである。思わぬ場所でじように出会ったせいか急に目がきらめきだした。

「善行のため、というと?」

「なんか、徳を積むのがしゆみたいよぉ? 一日一善はしないと夜もねむれないんだって」

「徳……。趣味……?」

 浮かれた様子の宋おばさんの答えに、青年はなつとくしたようなしないような顔になった。

「でもこれは善行のうちに入らないわ。わたしのせいで怪我させてしまったんだし。ごめんなさい。お父さまとお母さまもご心配なさるわね」

「……、いや……」

 傷口に包帯を巻き終え、翠鈴はいそいそと筆の用意に移る。

 青年の地図に手早く筆を入れ、正しい道順を書き足してから、ていねいに差し出した。

「あなたもお急ぎだったでしょうに、助けてくれて本当にありがとう」

 同じく丁寧な仕草で受け取った青年が、真面目まじめな顔でうなずく。

「こちらこそ助かった。君がいなかったら永遠にたどり着けなかったかもしれない」

「そんな、大げさね。──あ、ちょっと待ってて」

 はたと思いつき、翠鈴は急いで近くの露店へ向かった。店先に並ぶ品を一つ選んでこうにゆうしてから小走りに青年のもとに戻る。

「これどうぞ。りんの入ったあめなの。わたしも今朝食べたけどおいしかったわよ。ささやかなお礼で申し訳ないけど」

 飴の入ったかみぶくろを差し出すと、彼は驚いたようにそれと翠鈴をこうに見た。

「そこまでしてもらうほどのことじゃない。気にしないでくれ」

「あ、そうか。お口に合うかはわからないわね……。わたしは好きな味だったんだけど」

 良家の若様が露店の飴などもらってもまどうに決まっている。しかし感謝の意は表したいしどうしたものか。

 なやんでいるのがわかったのだろうか。青年がくすりと笑って袋を受け取ってくれた。なめらかだが筋のしっかりした大きな手だった。

「君が好きな味なら食べてみたい。ありがたくいただくよ」

 翠鈴は瞬いて彼を見上げ、ほっと息をく。押しつけるつもりはなかったのだが、受け取ってもらえるのであればやはりうれしかった。何しろ今日の売り上げの恩人なのだ。

 めずらしげに袋の飴を眺めていた青年が、あらたまったように見つめてくる。

「大変世話になった。いつかあらためてこの礼をしよう」

「そんな、お礼をしなくちゃいけないのはわたしなんだから」

「しかし、一級品の薬まで使って手当てしてくれたのだし」

「いやいやいや、こっちのせいで怪我させたんだから当然よ」

「だがこれで終わりにするわけにはいかない」

「いいのよいいのよ、気にしないで」

「そうだねぇ、次の約束でもしとくかい?」

 宋おばさんがにやにやと口をはさんだ時、「おじようさまぁー」と間延びした声が聞こえた。

 り向いて見ると、人波の向こうから隼がこちらにやってくるところだった。

「さっきそこでひったくりがあったとか聞きましたけど、もしかして……」

 言いかけた隼が、いつしよにいる青年を見た。

 青年のほうも隼を見やり、こしけんをはいているのに目を留めた。武官でもないのにたいけんしているのをしんがられるかもしれないと思い、翠鈴は急いで説明した。

「うちの用心棒なの。隼、この人がそのひったくりから助けてくれたのよ」

「えっまじで? いや、にこにこしてる場合じゃないっすよ。だから今日はやめたほうがいいって──」

 隼がまゆをひそめて言いかけた時、青年が身をひるがえした。

「私はこれで。また会おう、お嬢さん」

「あ……」

 急なことに驚き、翠鈴は歩いて行く青年を見つめた。

 長いこと道に迷っていたようだし、一刻も早く目的地に行かねばならないのだろう。足取りがいているのがわかる。

 引き留めてしまった責任を感じ、せめてものおびの代わりにと声を張り上げた。

「拝美堂っておまんじゆうが名物なの! 用事が済んだらぜひ食べてねー!」

 ややあって、青年が振り返る。

 その口元が微笑ほほえんでいることが嬉しくて、翠鈴は手を振って見送った。

 見返りを求めたことは一度もないけれど、善行を返してもらったようで、胸が温かくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る