一 迷子と勅命①



 しゆうの一日は、各人の予定かくにんから始まる。

 まず口火を切るのは一家の主である父、こうけんだ。

「今日は朝からしん様の接待で湯治へゆく。ようやくあのじんの意にかなう温泉が見つかったのだ。あれを探すのにどれだけ手間と銭を使ったことか……。わい代わりにしても高くついたが、まあよいわ」

 朝食の最中もかたわらのがんじような箱を彼がはなすことはない。この世で最も愛してやまない銭が詰まった宝物なのだ。地元の役人に取り入って下されたというしゆはいかたむけ、くちひげをしごくその様は、しばに出てくる悪役のごときふてぶてしさである。

「ククク……、こしだのひざだの痛いと言っておったからな。存分にりようようさせてやるわい。見返りに県北の薬種のあきないは全部わしがいただく。これで周家はあんたいじゃ!」

 台詞せりふまでもが悪役そのものだが、家族の誰も特にっ込むことはない。接待だの賄賂だのと言っているが大した悪事をしていないのはわかっているからだ。もしそれができていれば周家はもっと金銀財宝にまみれたごうせいな暮らしをしているはずなのである。

 次に、母のせいようが事務的に述べる。

「わたくしはいつもどおり、ちよう簿付けと家中の銭を数えた後は内職にはげみますわ。納期が今日明日中に四つ重なっていますので」

 だいごうしようめざして小細工をしまくる父と違い、けんじつで現実派な彼女は、家を守りながら数々の内職を経験してきた。その器用さと仕事のせいさ、そしてお得な内職先のじようほうもうなどから今ではきんりんの奥さんたちに『しよう』と呼ばれるほどである。

じゆん。おまえも今日はお仕事があります。よう様の奥方様からお招きよ」

 続いた静容の言葉に、きゆうをしていた青年がり返った。

「え、俺っすか。楊様って、このまえのお金持ちのおばさまっすよね」

 ぞんざいな口調の彼は周家の数少ない使用人である。道を歩けば誰もが振り返りかんたんのため息をもらす──というと大げさだが、目立つ容姿なのは確かで、今やどこそこの役者より美形だと街でうわさになっているらしい。もちろんそれを利用しない周家ではなかった。

「おばさまではなく、おねえさまとお呼びなさい。おまえのことをお気にしたそうよ。ほうはずむから一日つきあえと」

「ええー。いかがわしい仕事ならえんりよしたいんすけど」

「何をたいなことを! 色男に生まれた分際でそれを使わんだと!? ばちあたりめが!」

 めんどうくさいという内心を隠そうともしない隼とそれをしかりつける高堅を流し、静容が冷静に続けた。

「お友達のご婦人方を呼ぶので茶会にどうはんせよとのことです。おまえのことをまんなさりたいのでしょう。ご婦人が喜ぶ台詞集をまとめておきましたから、持ってお行き」

「仕方ないっすね……。まあ褒美が出るんならいくらでもしゃべりたおしますわ。いただいた分は後で蔵に入れときまーす」

「うむ、それでこそ周家の使用人である!」

 ちかごろは良家の奥方の間で、気に入りの役者の追っかけをするのがはやりらしい。役者ではないのにそれに近いあつかいをされている隼だが、自身も見目の良さを自覚しているため何もていこうがないようで、周家の財が増えるならと当然のように〝仕事〟を受けているのだ。

「あ、でもそうなるとおじようさまのお供ができませんけど。今日もうらないに行かれるんすよね?」

 思い出したように隼が言い、父と母の視線が向く。

「そういえばやけに静かね、すいりん

「腹でもこわしたか? ならば今日はかねもうけはよい、ておれ」

 口々に言われ、翠鈴はあつものわんを置くと、きりっと顔をあげた。

 下町で細々と営む商家に生まれ、広く商いの手をばし一代で中流へと成り上がった父。ていないに存在する銭の数を一枚もらさずあくしている母。かせいだものはとんちやくもせず主家の蔵にすべて入れてしまう隼。そして、ここにはいないが金目のものに目がない〝姉〟。

 全員がお金大好き、仕事ももうけ話も大好きなのだが、人道にもとる悪事はできないせいなのかいまいち発展しきれない──そんな周家の娘として、最後に自分も宣言しておかねばならない。

「寝るなんてとんでもない! おなかを壊しているひまなんかないわ。今日の仕事の段取りを考えていたのよ」

 商売道具であるきんちやくたくせると、れいろうたる音がした。翠鈴の大好きなぎよくの音色だ。

「さっき占ったんだけど、今日のきつぽうたい様のおしきのあたりなの。あのへんは人通りも多いし、目に留まりやすいでしょ。きっとらいもたくさんくるはずよ」

「戴様って、あの大金持ちの?」

「そういえば……ご子息が家出をなさったとか小耳にはさんだけれど」

 隼と母が何気なさそうに言ったとたん、父の顔が輝いた。

「ほう! さりげなく街一番のほうねらうとは見事じゃ。恩を売って稼ごうというこんたんじゃな! さすがは我がむすめよ」

 いきなり金目当て扱いされ、翠鈴はふんがいした。

「失礼ね! わたしはそんな不純な動機で仕事しないわ。そりゃ確かにお金は大事よ。でも世の中それだけじゃないでしょ。相手がお金持ちでもそうでなくても関係ないわ」

「わかっておるわかっておる。情けは人のためならず。助けたびんぼう人が後々出世して金持ちになるかもしれんしな。人を助けるのは良いことじゃ。対価は出世して後にしぼり取ればよい」

「搾り取りません! なんてことを言うのよ。情けは人のうんぬんも使い方がおかしいでしょ」

 人でなし発言を連発する父に、翠鈴はますます目をむいた。

「戴様のご子息のことはわたしも聞いたわ。お母君はとてもおなげきだっていうし、お気の毒だからお力になれればいいなとは思ってる。でもほうしゆう目当てに押しかけようなんて夢にも考えたことないわ」

「なっ……、わしの娘ともあろう者が、なんという甘えんぼうな! 仕事の対価はきちんとせしめる、それが商人の常識じゃ!」

「わたしはお金儲けのために占いをしてるんじゃありません! そもそも商人じゃないし」

「ゆくゆくは大豪商になる予定の周家のあとり娘ではないか!」

「それは、まだやるとは決まってないし……。わ、わたしは今困っている人を助けたいの。悲しんだり苦しんだりしてる人がいるって聞いただけで夜もねむれないんだもの。わたしがその人たちを助けられれば自分のすいみん不足も解消するのよ。らしいことじゃない。お金では買えないことだわ」

「出た。善行のごん

 ぼそりと言った隼を、熱弁していた翠鈴は、きっ、と見る。

「権化じゃないわ。一日一回は善行を積まないと気が済まないだけ。せいぜい善行の虫よ」

「はいはい。そんじゃ善行の虫のお嬢様」

 軽くいなしつつも、隼が真面目まじめな調子で見つめてきた。

「今日は俺、護衛につけないっすよ。一人じゃ危ないし別の日にしたらどうっすか?」

 使用人とはいえ、生まれた時から知っている彼は幼なじみのようなものだ。うでが立つので外出の際は用心棒を務めてくれている。としごろの娘ということで彼も心配なのだろうと、翠鈴は笑ってみせた。

だいじようよ。隼のお仕事は楊様のお屋敷でしょ? 戴様のところと目と鼻の先だもの。それに、あんなところで昼中に悪者なんか出やしないわ。一人で平気よ」

「いや……、あんたが気づいてないだけで世の中悪者だらけなんすよ……」

 隼はなおも気になる様子でぼやいたが、やる気になっていた翠鈴はようようと出かけるたくを始めたのだった。

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