一章 運命の日②

 北からの寒風にかされるように、鳥達がこずえを渡っていく。

 その日の昼過ぎ、畑仕事に精を出していたニーナは、り取った薬草を丸太小屋ののきしたに干しながら、朝の師匠の態度を思い返していた。首にかけた御守りぶくろを取り出して、手のひらに置いてみる。重さはさほどない。外からさわったかんしよくから、中身はへんのようだと知れた。

「誕生日プレゼントのつもりだったのかしら。そんなの、これまで一度もくれなかったくせに。さっきの態度といい、どうしちゃったのよ、師匠……」

 いつでもそこけに明るい彼に、あんなに悲しげな顔をさせてしまうなんて。

 いつか、この森を旅立ち、自分が生きる場所を探すことを夢見てきた。

 ごほうに貰える物語に心を旅立たせるだけでは、もうとっくに足りなくなっていたのだ。おそらく、師匠もまた、それを感じ取っていたのではないだろうか。

 きゆうを救ったおおかみの子どもに、名前をつけなかったニーナと同じように。

(いつか、別れるときが来るから。だから、師匠は一度も〝お父さん〟と呼ばせてくれなかったの……?)

 定まりかけた考えが、ふわり、と空から降り落ちてきた白いものにさえぎられた。

 ──雪だ。

 えた風に乗って、小さなせつっている。

「初雪だ! 十五歳の誕生日、おめでとう。ニーナ……!」

 ニーナは自分の誕生日を知らない。代わりに初雪が降った日を祝うことにしているのは、師匠がニーナと出会った日に、その年初めての雪が降ったからだ。差しのべた手のひらに雪華のひとひらが舞い降りたとき。森の奥から、けものほうこうがかすかに聞こえた。

 ひぐまでも、狼でもない、地面に丸太を打ちつけるような、聞いたことのない足音が近づいてくる。

「なに……?」

 足元の小石がねている。地面にしんどうを感じるほどの音の重さに異変をさとったニーナは、手にしていた御守りをばやふところに入れ、小屋の表へと急いだ。

「そんな、まさか……!」

 げんかん口に、あおざめた顔の師匠がいた。森を見つめたままぼうぜんつぶやいた彼は、けつけたこちらの姿に気づくなり、さらに血相を変えてった。

「ニーナ! 早く、小屋の中へ入れっ!!」

 だが、言葉に従うよりも先に、丸太小屋の周りの木々がメキメキと音を立ててたおされた。梢の向こうから姿を現したのは、そらを遮るほどの巨獣である。毛足は長く、雪のように白い毛並みに包まれた姿はうしのようだ。左右に張り出した四本もの角で、走行のじやになる森の木々をなぎ倒して来たらしい。なぞの巨獣は次々と現れ、あっという間に小屋の周辺を取り囲んだ。

くつわを着けているわ……! 背に誰か乗っているの?)

 首が痛くなるほど見上げた目線の先から、黒いかげが飛び降りて来る。フードつきのマントをすっぽりとかぶっているが、身体からだつきからして男性だ。他の巨獣の背からも現れ、全員で十人あまり。これまで師匠以外の人間に会ったことがなかったニーナは、ついけいかいを忘れてかれの姿に見入った。

 フードの男達は素早く隊列を整えると、なにを思ったか、ニーナに向かっていつせいひざまずいた。

とつぜんの無礼をお許しくださいませ。──ひめ様」

「は……?」

(ひ、ひめさま……?)

 理解のできる言葉──しかし、あまりにもとつぴようのない言葉に頭が真っ白になる。

 こちらの反応に構わず、フードの男はしゆくしゆくと続けた。

「我等はウルズガンドの国王陛下のちよくめいにより、めでたくも十五歳をむかえられました姫様を、王宮へお招きするためにさんじました。どうぞ、獣車の輿こしにお乗りくださいませ」

「お、お乗りくださいって……あの、私がお姫様だなんて、なにかのちがいじゃないの? 私は捨て子で、そこにいる師匠に拾われて──きゃあっ!?」

くわしいお話は後ほど。御無礼をお許しください」

 男はニーナに近づき、問答無用のごういんさでよこきにした。

 待ってくれ、と師匠があわてふためいた様子でさけぶ。

、今日なんだ……! 期日までは、まだ間があるはずだぞ!?」

「許可は得ている。今年は冬のおとずれが早い。これ以上おくれれば国境へきが雪にざされてしまうため、予定がり上がったのだ。どのみち、いずれは引きわたすのだから変わりなかろう」

「……っ! そんな横暴を許してたまるかっ!!」

 にわかに殺気立った師匠からのがれるがごとく、男はニーナをかかえたまま、ひとりで巨獣の背へとちようやくした。なんて身軽さだと目を丸くするうちに、巨獣の背にえつけられた、宝石箱のように煌びやかな輿の中に運び入れられてしまう。

「ちょ、ちょっと待ってよ! これは一体どういうことなの、師匠──っ!!」

 慌てて外に飛び出そうとするが、目と鼻の先でとびらが閉められた。力ずくで開こうとしても、がんじような造りでびくともしない。

「師匠っ!! ──もうっ! 貴方あなた達は一体なんなのよ!? ウルズガンドってなに!? 私をどこに連れて行くつもりなのっ!?」

 叫んでも答えはない。

 輿の中にはニーナのほかには誰もおらず、壁面に窓すらなかった。だというのに、細部にまでほどこされたちようきんの見事さ、座面にかれたしろてんの毛皮のつややかさに至るまで、つぶさにわかるほど明るい。何故だろうとてんじようを見上げ、そこに広がるあおぞらがくぜんとする。

「これ、もしかして硝子ガラス……?」

 本の知識はあっても、実際に目にするのは初めてだ。氷のようにとうめいで、火にくべれば自在に形を変える美しい鉱物──その希少さゆえに高価であり、物語でも、王族や貴族のみがれることを許される特別な品として登場する。

 森暮らしのニーナにとっては空想の世界のものでしかなかったそれが、雪華を刻んだ無数の細工窓となって、しげもなく天井にちりばめられているのだった。

れい……! すごいわ、まるで氷の中に花が閉じ込められているみたい! 感触は、みがいたかしの木のようね。とてもかたくて冷たいわ……わあっ!?」

 つまさきって手をばし、天窓のひとつに触れたとき、輿全体が大きくれた。ニーナの身体が座面に投げ出され、丸太をたたきつけるような足音がひびき始める。巨獣が走り出したのだ。

「そ、そうだわ。硝子に興奮している場合じゃなかった。私がお姫様だなんて、わけがわからないわよ……確か、ウルズガンドという国の王様の命令で、王宮に連れて行くのだと言ってたっけ」

 親に捨てられた少女が、王子様と出会いこいに落ち、迎えに来た馬車で王宮に──まるで、課題達成のご褒美にもらった物語のような展開だ。まさか、自分も王子様と恋に……と想像したしゆんかん、意図せず顔が熱くなった。

「いやいや、無理無理! 冷静に考えたら色々と無理よ!? 生まれてこのかた森から出たこともないのに、いきなり王宮に連れていかれて王様に会うなんてどうしたら──っていうか、そんなロマンティックなじようきようじゃないわよね、絶対!」

 ──そうだ、御守りタリスマンだ。

 助けが必要になったときに中身を見ろと、師匠が言っていたではないか。きっと、今がそのときに違いない。

 ニーナは懐にしのばせていた御守りをひっぱり出し、かわひもほどいてふくろを開いた。

 中身は、たたまれた小さな紙片──どうやら、師匠からの手紙のようである。

 高鳴るどうとともに辿たどり始めた文章は、こんな風に始まっていた。


〝愛するニーナへ。

 この手紙を読んでいるころには、お前はもう俺の手元にはいないのだろう。

 突然のことにおどろいているだろうが、まずは冷静になりなさい。

 単刀直入に状況を伝えると、お前は捨て子ではない。

 この王国、アルカンディア神聖王国のひめぎみとして生を受けた王女だ。

 しかし、この国では、王家に生まれる血色のかみひとみを持つ姫は、獣人との争いを収める救国の聖女であると信じられており、十五歳を迎えた冬にりんごくである獣人国家、ウルズガンドの《はくろうおう》へ、《にえひめ》としてみつがれる決まりになっている。

 そのため、お前は王家の姫君として名づけられることなく、である俺のもとに預けられた。俺は、出生の秘密を知らせることなく贄姫を育て、ときが来ればウルズガンドからの使者に引き渡すよう命をさずかっていたんだ。

 贄姫の血肉は、じゆうじんに大いなる力をあたえ、あらゆると病を治すばんのう薬になるとされている。このままでは、貢がれた先で白狼王にい殺されてしまうだろう。

 日に日に可愛かわいらしくなっていくお前を育てるうちに、俺にはどうしても、そのざんこくな運命を受け入れることができなくなってしまった。

 ニーナのことを、本当のむすめとして愛してしまったからだ。

 だからこそ、出生の秘密を守るためといつわって王都を去り、あの大森林の奥地で暮らすことにした。

 げるためじゃない。この先になにが起きても生き延びることができるように、俺の持てる知識と技術のすべてをお前に教えこみ、きたえ上げるためだ。〟


「…………なに、これ」

 手紙を読み進めるうちに、全身から血の気が引いた。

 悪いじようだんであって欲しい。

 だが、師匠は冗談や悪ふざけでこんな真似まねをするような人間ではない。

 贄姫、白狼王、獣人、いけにえ──食い入るように見つめても、手紙につづられた文字は変わらない。しかし、予想外にもほどがある。

「……っ、とにかく、続きを──」

 手紙の一枚目を読み終え、あまりのショックに放心していたニーナだが、意を決して手紙をめくり、二枚目の内容に目を落とした。


〝人間の王国アルカンディアと獣人の王国ウルズガンドは、種族間のいがみ合いが絶えず、数百年にもわたるふんそう状態にあった。今ある平和は、贄姫であるニーナが生まれ、そのじようを条件に停戦が結ばれたおかげだ。贄姫をウルズガンドに引き渡さなければ、新たな争いの引き金になるだろう。情に流され、逃がすわけにはいかなかった。

 しかし、こくな運命を生き延び、自分の足で進んでいけるように、力をつけてやることはできると思った。

 ニーナは本当に強くなった。

 今のお前になら、とうの地を旅することもきっとできる。

 ウルズガンドの北方に位置する大さんれいの頂、〝ひようしようきば〟をえた先には、俺すら旅したことのない広大な大地と海が広がっている。

 だから、けっしてあきらめるな。

 ウルズガンドの国境壁を越えさえすれば、譲渡は成立し、国同士の約束は果たされる。その後に贄姫がどうなろうと──たとえ、ウルズガンドの追手をり切り、どこかへ逃げてしまっても、アルカンディアはいつさいかんしない。

 お前が自由を手にするためには、きっとこれを好機とするしかない。

 ニーナ、これが最後の試練だ。

 お前は自由になれる。

 逃げて、生き延びて、幸せになりなさい。

 ニーナが持つしなやかな強さが、のろわれた運命に打ち勝つことを心からいのっている。

──お前を愛する父より〟


 手紙を読み終えたニーナは、きようがくに打ちふるえる身体からだを必死にかきいだいた。

(師匠の様子がおかしかったのはこのせいだったのね。白狼王……獣人の国の王なんて、物語の中にしか存在しないと思ってたのに。それに、私が生贄だなんて……!)

 手紙の内容が真実なら、師匠とはあの瞬間を最後に、二度と会うことができなくなったということだ。それまでの暮らしを捨て、十五年間もの歳月を、ニーナを育てるためだけに費やしてくれた父に、さよならも、ありがとうも、言えなかった。

「師匠の鹿……なにが愛する父よ! お父さんなんて、今まで一度だって呼ばせてくれなかったくせに……!」

 輿こしの扉が閉じられる瞬間、最後に目にした師匠の顔をしっかりと覚えている。

 彼は目になみだめて、それでもなお強く微笑ほほえんでくれていた。

 きつく閉じたまぶたの奥から、熱い涙がにじんでくる。ニーナは深く息を吸いこむと、手のこうでぐい、と目元をぬぐって顔を上げた。

 獣人の国、ウルズガンドの白狼王の生贄にならずに生き延びること。

 それが、これまで自分を育ててくれた〝父〟の願いなら。

 これまで与えてくれた知識と技術は、すべてこのときのためのものなら。

 ──やるべきことは一つしかない。

「逃げて、生き延びて、幸せになればいいのね。上等じゃない。相手が白狼王だろうが、なにがなんでも逃げ切って、生き延びてやるわ……!」

 決意に燃えるしんの瞳には、いつしかこうに生きる獣のような、強い光が宿っていた。

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