第一章 湖に落ちかける②
靄に
中央へ進むほど靄は白さを増して、
「そうですね。完全な悪性でなくて良かった」
魚は
「では私は詠唱に集中するので……話しかけないでくださいね、中断されるので」
──瘴気がすべて取り除かれますように。
霧が晴れるように、湖面に光が広がっていった。
数分後、すべてが清められた気配を感じて、フェニシアは顔を上げる。
美しい
(よかった、無事終わった)
聖女抜きに聖水だけで
住民から飛び交う感謝の言葉に、湖の真ん中、手を振り返すために立ちあがろうとして──思うように足が動かず、うっかりバランスを崩して体が宙に
「──っ!」
息が止まる
「……聖女様」
気がつけば彼に──グラシカに背を支えてもらっていた。
「あ……」と目を丸くしながら、フェニシアはぼんやりと、近い、と思った。静かで、どこか
「……え、あ、ありがとう、ございます……? とっ、
混乱して、
フェニシアの姿勢が戻ると、彼はすっと手を放して聖兵を見た。
「だ、
聖女は純潔を求められる。自国の王だろうが男であれば、下手をすると聖女の背に
「え?」
「なにか来ます」
ぶわり、と寒気が押し寄せるような気配がして、
「なにあれ!? 鳥!?」
人の家屋すら
「報告には無かったはずですが……南の《森》から来たのかもしれませんね。あそこの瘴気でたまに
「《さわらずの森》から!? なんでこんな時に──いや、むしろ私がいる時で良かった!」
殺すしかない、と彼は言う。
「私の浄化でもなんとかなりますけど……でも」
浄化を始めれば
「
魔鳥は
溺れてもいいから助けたい。けれど、
息が
「こちらへ呼んでください。あれは僕が引き受けます。
「で、でも、こんな足場じゃ陛下だって危なくて──」
「民の命には代えられないでしょう」
まっすぐな金色の
聖なる詩の詠唱に、巨大な魔鳥が
魔鳥に向かって一心に
やがてその黒い肉体は逃げるように湖岸に落ち、青い空を取り戻す。波が押し寄せ小舟は大きく
──今度こそ、すべて終わった。
ほっと胸を
「おかげさまで無事浄化できました! ありがとうございます! ……でもちょっと意外でした。さっき転びかけたのといい、私が失敗するのを見過ごせば聖女
どうして、と見つめてもグラシカは答えない。だから確かめるように問いを重ねる。
「陛下は、私が
彼は
「貴女、浄化のあとにふらつきませんか? 以前から気になっていました」
「〝以前から〟? 陛下の前で浄化したのって今日が初めてですよね?」
彼が城に来たのは一ヶ月前だ。
「……民としてです。こうして城の外で浄化することも年に数回はあるでしょう」
「なるほど?」
聖水で対応できそうにないときは直接浄化に
「もしかして陛下が暮らしていた近くですか? いつの浄化ですか? どの地域ですか?」
「で、お
「あ、大丈夫です。浄化の直後って体が
あはは、と
「え、あ、ええっと……やっぱり嘘です」
「誤魔化さないでください」
聖女の情報を
「倒れられたら困るんですよ」
「……いや、その、いつだったか大陸で……
あとやたら
「……そんなに命が
「
聖兵二人が
「命には関わりませんよ! 先代だって七十歳まで生きましたよ! いいじゃないですか、やりたくてやってるんですよ。しんどいのは
「筋肉痛?」
場に合わない単語に、きょとんとグラシカの目が丸くなる。
「前世で──じゃなかった、えっと、私、
とっさに
「要点はまとまっていませんが、
「うっ、説明下手ですみません……わかっていただけてなによりです……」
「……やりたいから、本当に?」
「はい」
彼はじっと観察するような目をしたあとに、綺麗な笑顔でこう言った。
「まあ、僕には関係のない話ですから、絶対聖女をやめさせますけどね」
「ひどい! なんていい笑顔なんですか!」
明らかに好意と真逆の、フェニシアの意思など関係ないと言わんばかりの笑みだった。
(陛下はぶれないなぁ……そこまで聖女を
フェニシアはまだ彼に問いたいことが山ほどあったが、彼は話す気はないようだった。
そしてフェニシアの体幹が──もしくは体調が──よほど信用ならなかったのか、
「え?」
「お手をどうぞ、聖女様」
思わぬ
そっと手を重ねれば、
「陛下ってお礼は先に持ってくる派ですか? 後に持ってくる派ですか?」
「……言わんとすることはわかりますが、意味はありません。この程度」
言い方にいちいち険があるが、貸しにするほどでもない、ただの親切という意味だろう。
──聖女になってから、普通の
「
「陛下はあのように
と
(ん? 怖いって……私のこと?
「……アメリア、今日の私、どこか変だった?」
「いいえ? 今日もフェニシア様は
と満面の笑みで答えてくれる。ほっとして「ありがとう」と返しかけたが──。
「はあ……心が
彼女がうっとりと
「わたくし、フェニシア様が陛下と禁断の愛を
「き、禁断の……」
「ええ」と彼女は楽しげに頷く。
「だって聖女をなさる方は歴代純潔でいらっしゃるでしょう?
アメリアの愛読書は
「……アメリアの
むしろいずれ殺人者と
というよりも、アメリアが
(でも、内面が嫌味すぎるので、すべて帳消し!
罪のない先王を殺して無理やり
「アメリア、悪いことは言わないから、付き合うなら陛下以外にしてね」
「うふふ、わたくしと陛下だなんて、フェニシア様ったら。
「妬く? ……まあ急にアメリアが
あら、とアメリアは目を丸くした後に、「おそばを
● ● ●
同時刻、
(──この方は、やはり)
城内でも大臣たちの間で噂になっている。先王アガナの隠し子か、その兄王子の子ではないだろうかと。
(確かに、先王陛下にはあまり似ていないな。目の色はほとんど同じだが)
アルベルトは先々代の王と先王アガナを見たことはあっても、アガナの兄だったという
(その人の忘れ形見なのだろうか。……だから王位が欲しかったのだろうか)
アルベルトは元々、王の身辺ではなく城内を警護する第二騎士団に属していた。
簒奪の当日、王宮に
けれど
● ● ●
「聖女様、本当にありがとうございました」
魔鳥の処理も終わり、そろそろ
村長だという老人は「この村は何度も聖女様に救っていただいております。八年前も聖女様のおかげで事なきを得ました」と感謝を述べた。
(ん? この辺りに
こんなにも親愛を寄せてくれる民を「覚えていません」と傷つけるのは心が痛む。
(いや
聖女の
どうか助け船を出してくれないか、と前方で荷物を運んでいたアルベルトに視線を送るが「俺が知るわけない」とばかりに無情に首を横に
「八年前というと、この辺りは、
(少し遠いところにいたのに……
村長は噂の簒奪王に話しかけられて
「北の地域をはじめ、我々の村にもお
(あ、やっぱりここに来たのは初めてだった。そっか藁か)
心から「お役に立ててよかったです」と
村長が去ると「藁?」とアメリアが小声で
「
「あれはこの国で小麦を育てられるかっていう実験でもあったんです。藁は良いですよー、編めば
前世で『生き残る力』に
この土地は高地で
少しでもたくましい国にするぞ、と無意識に
何の役職もない子どもであったら、地球知識に基づく提案のうち、一体どれほどが受け入れられただろうか。今の何倍の時間をかければ、ただの名も無い人間が、国を変え、国外まで知識を届かせ、
実際、幼い
(あ、でも昔会った人魚の男の子も、変な顔せず話を聞いてくれたな)
冬の森、
「聖女様、先月の祭事のことですが──」
「どのような、とは?」
「いきなり亜人兵を率いて城を
(やっぱり陛下
別の女性が「でも、なんだか思っていたよりも
「先ほどは自ら
その期待するような瞳は、返答に困る。笑みを作って、聖女としての中立を選んだ。
「……今のところ、
グラシカを
神官たちも同じ気持ちなのか、「……このまま悪いことが起きなければいいのに」と
そして、
「先ほど
聖女を気遣う王の様子が好印象だったらしい。
(……もしかして、手を差し
急に思いついて、胸の底から
(うわぁ私なに
──気を引き
神官たちと別れてからアメリアを連れて一人問答をしていると、いつの間にかグラシカがそばに
「はい、お待たせしました」
「では早く次に向かいましょう。貴女の
ははは、こやつ、と、
「偽善だろうと何だろうと、民が
「それには同感ですが」
彼は目を細めてフェニシアをじっと見たかと思うと、小声でも届くよう
「貴女自身の安全は考えましたか?」
「? 私自身?」
首を
「貴女はただでさえ、一度に大量の聖水を作れるこの世で一人きりの聖女様なのだから。僕は貴女を目立たないようにしたいんですよ。裏でひっそり……追放」
「やだ
「貴女という人は本当に──……僕は貴女を閉じ
「今『本当に……』の後に絶対
「いいえ、まさか。この国で最も、いえこの世で最も尊い方に向かって『本当に
「うへぇ、私の想定より強めに
なんでだろう、と
「貴女は一度痛い目を見たほうがいいですよ」
なんだか悪役みたいな
転生聖女のサバイバル 水属性の亜人陛下に目ざとく命を狙われています 猪谷かなめ/角川ビーンズ文庫 @beans
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