第一章 湖に落ちかける①

 フェニシアは十六歳にして、サザナふうこくの聖女であった。

 しかも前世がある、という点でも、ずいぶんめずらしい人生を送っていた。

 前世では生まれつき心臓が悪かったフェニシアは、病室に無人島サバイバル本を積み上げてはうなっていた。『来世では絶対、絶っっ対、健康な骨太の男に生まれ変わって筋肉をきたえて、どんな土地でも生きけるくらいしぶとくなる。ムキムキの警察官か消防士になって人の役に立つ!』

 どこまでもたくましさを熱望していた。しかし大学二年生の春、心臓発作であえなく死ぬ。

 生まれ変わった第二の人生は、地球ではない世界がたいらしく、ムキムキ消防士への道は、さらに来世へとたくされた。人生とはわからないものである。


「……聖女様? なにをぼんやりなさっているんです」

 コツン、とこうしつな音がしてフェニシアの意識は机へもどる。王とのばんじようゆうちゆうだった。

がみとの交信でもしていましたか? それともひる?」

 するように見つめてくるのは若き王、グラシカ・シノン様。十九歳である。

 顔がうるわしく愛想もいい。白銀の髪はさらりとやわらかそうで、かげが落ちるとうすく青みを帯びるのがより一層、冬のかげの雪のようで美しい。金色の瞳はたんせいでありながらやさしげで、世が世なら甘い視線ひとつでとうかいの貴婦人を根こそぎこいの病にせさせただろう。

 ……が、実際は誰もこいがれたりしない。

 たった一ヶ月前、先王を殺したさんだつおうだ。

 後ろだてじんじんろう族とすいせい族だけ。大臣と聖職者に何を言われても素知らぬ顔で玉座に座りつづけるこわいお人で、今日もフェニシアに精神的圧力をかけに来ているだけであって、決してお友達になるためにせいとうまで足を運んでいるわけではない。

(……王様っていそがしいはずなのに、よくもまあ、二日おきにいやがらせに来られるなぁ)

 聖女とは国宝である。フェニシアは何故なぜか前世の地球知識を持って生まれたが、前世があるとはしんこくしていない。他にそういう人がいるとは聞かないので、だまっておいた方が変な目で見られずに済むだろう。そもそも知識の有無にかかわらず、フェニシアはこの国で独自にけいしようしている『聖女』という存在であるため、世界中から注目され、重宝されていた。

 ──なので、本来この簒奪王からいびられたり、城から追い出されそうになったりするはずはないのだが……実際のところ、フェニシアは彼に圧力をかけられている。

 ただの嫌がらせなら構わないが、彼が何らかの目的を持ってそのような態度を取っているのは明白だ。聖女としてこの国を守るためには、早いところ彼の『とつぜんの王位簒奪・そく』の目的をつかんで、外敵の手先ならば追い出さなくてはならないのだが──。

(むしろ私が追い出されそうなんだよね……!)

 日々嫌がらせに来る彼から情報をさぐりたいのに、のらりくらりとかわされて、結局フェニシアだけが負けている。こま遊びですら負けている。

 盤上をにらむフェニシアに、「駒遊びはおきらいですか」とグラシカは平然と首をかしげてみせる。本当はチェスっぽい遊びよりすごろくが好きです、とは言えない。しかし心を読んだように彼はためいきをついた。

「こういった遊びには先を読む力が必要ですからね。何手も何十手も先回りして準備しておくようなやり方、貴女あなたは苦手でしょう」

 さりげなくけなされている。

「……ねぇ、陛下。聖女に駒遊びの技術って必要?」

「いいえ全く。けれど貴女には後先考えてから行動するようになっていただきたいので。頭だって手足と同じで、ごろから鍛えておかないといざという時使えないでしょう?」

 現在の頭を使えないもの呼ばわりしているように聞こえるのはフェニシアの思い過ごしではないだろう。ちらりと置時計を見る。あと数分でこのお茶会は終わるはずだ。

「まだ来ませんね、貴女の婚約者」と心をかしたように彼が言った。

「元、ですけどねー」

 フェニシアに婚約者がいたのは、この国の六代目聖女に選ばれる五歳の春までだ。聖女は純潔を守らなければいけないので、婚約は白紙になり、しようがい未婚が決定している。

 駒をひとつ動かしてから王は書類をながめたまま、「彼には冷たい飲み物を」とつぶやいた。なにか見えたのだろうかとフェニシアは窓を見るが、ここはそもそも王城しき内のすみに建てられた、聖女を住まわせて守るためだけの聖塔の五階だ。窓ものぞかずに地上を走ってくる者が見えるはずもない。しかしじよのアメリアは無言で礼をして下がっていった。

(私の侍女なのに……また勝手に命令して……)

 しかも『二人のけん』に巻き込まれるべきでない侍女が退場したことで、今日もグラシカ陛下の嫌がらせタイムが始まってしまう。

「さて聖女様、いいお天気ですね。引退するにはふさわしい日です。もう十一年も城に住んでいらっしゃるのでしょう? ぞくの暮らしが恋しくありませんか?」

「またそれですか! 何度言われてもめませんし、聖女は死ぬまで現役なんです。おあいにくさま? ……というか天気まったく関係ないし!」

 目に見えててきがいしんを宿したフェニシアを、グラシカはかいそうに──いや、あざわらうように「死ぬまで、ですか」とほおづえをついて見上げてくる。

「本当にご立派な心がけですね、聖女様?」

 そして甘ったるく微笑ほほえんでみせる顔と言ったら、舞台俳優になればばくはつ的人気が出そうな麗しさで──ただし配役は、夜の窓辺に降り立つ暗殺者しか似合わない。

(このパワハラ陛下め!)

 彼は明らかにフェニシアを城から追い出したがっている。なにせ彼は正当な即位ではない。この国では王と聖女は対等である。だからこそ、自分の言うことに食ってかからない子どもを聖女の座にえたいのだろう。彼は親切めかしてささやいてくる。

「国の命運を託されて、塔に厳重にかくされて、自由に旅もできない身では不便でしょう?」

「旅行は、まあ、したいですけど。……ちなみに陛下のおすすめ観光地は?」

「そうですね。聞いた話では、天国というところは痛みも空腹もなくて、すべて善人で、お花もれいな素晴らしい世界らしいですね。まさに貴女にぴったりです」

「ひぇ……」

 遠回しに「天国くか?」とかれている。──このように、簒奪王の彼から日々生死を問わず引退をねらわれているのだ。しかしフェニシアも負ける気はない。

「何を言われたって絶対やめませんから!」

「僕としては、そうですね……『女神以外に身をささげれば能力を失う』などと非現実的な言い伝えで歴代聖女達はていしゆくを守ってきたそうですから、貴女にはどこぞのだれかと恋にでも落ちて、『結婚したいからつうの女性に戻ります』と自らげんぞくしていただくのが一番平和的な解決方法だと思うのですが、いかがです?」

「話を聞いちゃいない!」

 こうすべくコツコツとちいさな駒で盤をくと「ぎようが悪いですよ」とすげなく注意される。フェニシアから駒を取り上げようと彼が手をばすと、たんせいへいやりを構えた。

「……」

 彼の動きが止まり、黒いぶくろをはめた長い指が、静かにひざの上に戻る。

(あ、悪いことしちゃったかな……)

 ふいに訪れる、気まずさ。

 ──侍女アメリアが退出した程度では、王と二人きりにはならない。国の生きた至宝・聖女の命と純潔を守るため、聖兵と呼ばれる衛士が二人、フェニシアの背後に立っている。

 別にやましい気持ちも悪意もないのに、せつしよくけいかいされるのは誰だって良い気持ちはしないだろう。申し訳ない気持ちでフェニシアは聖兵に槍を下ろすよう、手の仕草で命じた。

 こほん、とからせきをして「真面目まじめなお仕事の話をしましょう」と王が話を切りえる。

「今回行っていただくのはキュライ地方の湖です。二日前からしようによる変異が確認されています」

 もともと彼が今日ここへ来たのはその話をするためだった。金色のひとみでフェニシアの水色の瞳を見つめてくる。

「そこの水をまるごとじようしてきてください。聖水を輸送するより護衛つきで聖女様を送った方が手っ取り早く対応できますし、たみたちも喜びます」

「湖まるごとって……そこの生態系はどうなってるの?」

 思わず敬語を忘れたフェニシアに、彼はさらりと告げる。

「水中の生き物ですか? すでにめつしていますね。悪性の変異だったようです」

「……そう」

 瘴気は、世界のあらゆる場所に突然現れる。特にこの国は、そういう土地だ。

「ちなみに推定えいしよう時間は三時間です」

「え、なにか計算ちがってない!? 私が三秒で五リットルの聖水を作れるってわかってて言ってます!?」

がんってください聖女様。はちみつ持ってっていいですよ」

「……りんきんかんも付けてください」

「今は五月ですよ。しゆうかく時期は秋と冬です」

「はい……」

 かつてない難題の予感にフェニシアは遠い目をした。

 詠唱自体は囁き程度でかまわないから、のどを完全につぶすことにはならないだろうが──なかなかハードな仕事をけてくれる。国民が困っているならいつでもけつけるが、それを伝えてくる王として少しはいたわってくれたらどうなのだ。

「まぁいいや。そろそろ出発ですか? 陛下も行くんですよね。大事なあいさつ回りのために」

「ええ、ですがもう少々お待ちください。貴女の元こんやくしやがまだいらしていない」

「いや近衛このえせいとうの五階まで上がらせる必要ないですよね? 聖女以外にもいやがらせするのやめてもらえません!?」

「──ああ、来ましたね」

 彼が顔をあげた直後、開かれたままだった部屋のとびらの前に、あかとびいろかみの青年が現れた。

 フェニシアの元婚約者、アルベルト・ランバート。近衛騎士の規定であるあおにびいろの軍服に身を包み、きりりとよくあふれた青い瞳を即座にせて、彼は勢いよく謝罪した。

おくれて本ッッ当に申し訳ありません、陛下!」

「声がうるさい」

 こつに顔をしかめてグラシカが立ち上がると、遅れてしゃらりと《耳隠し》がれた。

 ──耳隠し。それは、耳を隠すためだけの装身具。

 彼の場合は、白銀の髪にえるあいいろの布地で耳全体をすっぽりおおった上に、こめかみ辺りからバレッタのようなりのある太めの髪留めで布を押さえ、その下に垂らすような銀細工がさんさんえられている。王のそうしよくひんとして相応の品質だ。

(でもそこまで厳重に隠されると、逆に見たくなるような……?)

 布製にせよ金属製にせよ《耳隠し》自体はめずらしくないが、二重で隠す人は珍しい。よほど耳の形状を知られたくないとみえる。

 一方の騎士アルベルトは人間的な丸みのある耳を隠していない。この五階まで休まず駆け上がってきたのだろう、息を切らす彼に、侍女のアメリアがお茶を差し出した。

「ああ、かたじけない」

 彼が喉を鳴らしてぐびぐびと飲み干したのを見届けたところで、「さあ行きましょうか」と表情の見えない顔で、かたしにグラシカがり返った。


    ● ● ●


 この世界にほうはない。地球と違うのは、亜人が存在すること。そして瘴気が世界を大きく変え続けていることだ。

 きりのように空中をさまよい、確実に変容をもたらすものを《瘴気》と呼ぶ。

 世界各地で太古の昔から現れては、作物をらして水をくさらせる。かと思えば池を蜂蜜色に変えたり、けものの性質を持つ新人類《亜人》を生み出したりと、まるで地球で『きんによる変化』を有害か有益かではいはつこうと呼び分けていたように、瘴気変異の結果も様々だ。

 だがたいていは生き物を不調にし、作物を枯らす悪性瘴気に見舞われて、ときに人々は故郷を捨てて移り住まねばならなかった。土地をむしばまれる前であれば、わずかな悪性瘴気は聖水をくだけで消滅し、聖職者の詠唱でもある程度ののうならば追いはらうことができた。実際、聖女という存在が生まれるまでは、水場や富農の土地には常に聖詩を唱えて瘴気を寄せつけない役目の者がり、のちに聖職者と呼ばれる彼らは、清浄な水に針葉樹の葉をひたしていのりをめることでしような聖水を細々と生み出していたという。


 しかし三百年前、この国に初代聖女が誕生してから情勢は大きく変わる。

 本来時間をかけてようやくひとにぎり得られる聖水を、聖女はいつしゆんで溢れるほど生み出すことができたのだ。

 現在、それは六代目聖女フェニシアの役目であり、この国の大きな収入源となっている。


    ● ● ●


 五月の日差しがまぶしい。青葉がみずみずしくて、フェニシアが特に好きな季節だ。

 フェニシアたちは当初の予定通り、浄化および王の挨拶回りのために城をち、時折馬を休ませるためにきゆうけいはさんでは景色をながめていた。

 少し歩いてみれば谷底から川の音がする。年季の入った橋がかっているのをみつけたところで、警護の聖兵が「あまり近づかれませぬように」と後ろからささやいた。聖女の力は死後でもきちんと次代に引きがれるので、いつうっかり死んでも問題はないが、ようせいえんでもないので、危ないものには近寄らないようごろから言いふくめられている。

「おや聖女様、なにかお気にしましたか?」

 となりにやってきたグラシカが、フェニシアの視線の先に気づいてやわらかく微笑ほほえんだ。

「なるほど、おもむきがあっててきな橋ですね。最後にこの世で最も尊い方のおみあしにれて役目を終えるならあの橋もほんもうでしょう。ぜひあの橋の中ほどで振り返ってこちらに微笑んでいただけませんか?」

 またしても遠回しに聖女たるフェニシアをがけしたへ、もといあの世へと追い払おうとする。

(この……デスハラ陛下め……! そんなに聖女がじやなんですか!)

 目の前にはおんぼろの、今にも落ちそうなわらなわと古い板で架けられた橋がある。川底まで三十メートルはあるだろう。水はそれなりにごうごうと流れているが、岩もずいしよに見られ、その上に落ちたら間違いなく頭がカチ割れるであろうことは容易に想像できる。

 フェニシアとて言われっぱなしでだまってはいない。兵の目もあるので聖女らしい口調に気を付けつつ「あら、陛下」と言い返した。

「あれは足を掛けるものでしたの? わたくしてっきり祭儀用のなわかざりかと思いましたわ。つなわたりがお好きだなんて陛下も存外わんぱくでいらっしゃいますのね。陛下がお通りになられるのでしたら、わたくしはここでご多幸を祈らせていただきますわ」

「おや、貴女あなたこそ関心があるようにお見受けしましたが、僕のエスコートが必要ですか?」

「うふふ、ごじようだんを」

 にこやかに「お前が行け」「いやお前が」をり広げる最高権力者たちを前にして、可哀かわいそうな兵がふるえあがった。

「お、おそれながら! 対岸にようでしたらもう少し先に新しい橋がございます!」

 冗談ですよ、と二人して微笑んで、周囲を安心させる。

 王に平然と口がけるのはこの国では聖女だけだ。その逆もまたしかり。

(この旅で、どうにか陛下のたくらみをあばいてみせる!)

 フェニシアは国を背負う聖女として決意していた。

 旅の日程は三日間。おそらく二人で旅する最初で最後の機会になるだろう。

 この旅の一番の目的は変異した湖のじようであるが、ついでに新王の『挨拶回り』も含まれている。本来ならば立太子のねて王子時代に回っておくものだが、グラシカは王子ではなく、先王を殺してそくしたさんだつしやだ。これ以上伝統を無視したままではさらなる火種になりかねない。即位から一ヶ月ち、新政権が回り始めた今、各所に挨拶に行って正式に王として就任するための承認印をもらう予定らしい。

 この一ヶ月、彼は真面目まじめに統治しているようだが、やさしい顔で近づいてくるものだ。簒奪までしたからには裏の目的があるのだろう。──北の宗主たるていこく側か、南の人狼国家・せいろうこくの手先か、あるいは個人的な権力目当てか。それをきわめねばならない。


 目的の湖に着いた。本来なら美しい湖が光を浴びてキラキラとかがやくのだろうが──。

「……陛下、ひとつよろしい?」

 にっこりと上品な笑みで圧力をかけてみると、王もまたうるわしいご尊顔でさらに甘く微笑んでみせた。どう見ても彼の方が絵画のように美しい。しんいんを用意したならだれもが彼に票を入れるだろう。──少しめげそうになりながらも、フェニシアは口を開く。

「推定えいしよう時間は三時間だとおっしゃいましたよね、陛下?」

「はい」

「どう見ても、五分で済みます」

「そうですか」

 よかったですね、と悪びれもせず、のたまった。

「てっきり対岸が見えないくらいきよだいな湖が、ごくの光景になったかと思いましたよ!」

 実際は民家十軒分ほどの湖が、黒に近い深緑色になって、おどろおどろしい黒や白のまだらもやを発しているだけだ。それも十分な変異であるが、彼がおどしたほどではない。そう文句を言えば、先ほどの優しげな笑みはすぐに消え失せ、「そんな規模の湖、うちのせまい国内にあるわけないでしょう?」と鼻で笑われた。

「意味もなく人をおちょくるの、あくしゆで不真面目だと思うんです! 誠意に欠けます!」

「僕がいやならげてもいいんですよ?」

(これだ、言いたいことは結局これ!)

 フェニシアに聖女をやめさせること。それが彼の目的なのだ。

「……前から気になってるんですけど、陛下ってどうして王様になったんですか?」

 そう問えば、金色のひとみがすっと細められ──次の瞬間には、ようえんな笑みに変わる。微笑んでいる時ばかり、かくのように見えるのはなぜだろう。

何故なぜそのようなことをおきになるのですか?」

「だって陛下が何をしたいのか知らないと、止めたり助けたりできないじゃないですか」

「……助ける?」

 もし決定的に「この人は敵だ」と確証を得たら、聖女の職権を乱用してでも彼を退位に追い込まねばならない。勝てる気はしないし、罪もない先王を殺した時点で一発退場にしたかったところだが。その一方で、たとえ善良な王のふりだとしても良い政策ならかんげいするし、必要なことがあれば協力するつもりだ。使えるものはえんりよなく使いたいので。

 彼は、フェニシアの返答が意外だったのか、瞳をまたたかせたあと、ふふ、とどこかきばを見せる獣のような気配をにじませた。

「死んでも、命をしてでもかなえたい野望が、一つ、ありましてね」

「え、意外と野心家……」

「『貴女に聖女をやめさせること』は、おまけで二つ目に数えられなくもないです」

「私への嫌がらせにまで命けなくていいですよ!」

 彼はなぜか、かすかなへいせきりようをにじませた。


 はんに臨時に張られた天幕の中にて、フェニシアと聖兵たちは浄化のための準備を始めた。グラシカは天幕の入口から外の黒い靄を眺めつつ、よく連れている側近や、私兵団のおさに何かの指示を出していた。やがてり返ってフェニシアに言う。

「湖に近い方の警備には僕の私兵を使います。近衛このえたちには荷が重いでしょうから」

 近衛騎士と聖兵は非亜人なのでしようの種類によっては大きく体調をくずしかねない。一方、グラシカの私兵たちは、王位簒奪時に連れてきた亜人兵団で、人狼族と水棲族で構成されているらしい。大半がみみかくしをしているため、誰がどの種族かは特定できないが、亜人ならば体調は崩さないだろう。亜人は先祖が瘴気を受けて変容した人類であるため、瘴気の気配にさとく、悪性の瘴気にも強いたいせいがあるという。

 フェニシアは天幕のすきからこっそり兵たちの様子をうかがった。

 旅についてきたのは聖兵、騎士団、そして王の私兵。聖女を守る役目の聖兵は六名ばかりで、あとは騎士団が主な聖女の護衛となっている。なにせ簒奪王のグラシカは私兵ばかりをそばに置くので、本来王を守るべき近衛騎士団は手持ちなのだ。

 とはいえ、今のところ亜人私兵と近衛騎士たちの仲はそう悪くはない。国民の一割にあたる人狼族は、規則や自分より弱い者に従うのがきらいで、城勤めに志願する者はまったくいないが、非亜人──ときにじんとも呼ばれる──との交流が断絶しているわけではなく、せいでは交じって暮らすことも多い。

 先王のために編成されていた騎士団にとっては、簒奪王が連れんだ私兵などけいかいの対象だろうが、騎士団の若きリーダー格でもあるアルベルトがそつせんして話しかけているおかげか、表立ったいさかいは起きていない。今も、人狼らしき尻尾しつぽを隠さない少年たちが荷箱を運んでくると、「おお、ありがとうな!」とアルベルトはほがらかに声をけていた。

 グラシカは、冷たい視線をそちらに向ける。

「……彼、どこまでお人よしなんですかね。せっかく人望といえがらめぐまれた将来有望な騎士なのだから、力仕事なんて亜人に任せて聖女様を見ていればいいのに。ねえ、そう思いません聖女様? 適材適所ってあるでしょう?」

「陛下って……」

 私が邪魔なのはわかりますけど、と前置きして、

「アルベルトにもしんらつなのはどうしてですか? 快活な男にうらみでも? それともしつ?」

 彼は「おや」と麗しいまゆを上げる。

「僕が、彼の、何をうらやむと?」

「だってアルベルトって騎士団でしたわれてるし、いつも明るいし裏表がないし。あ、あといやも言わない! そして頭脳労働より肉体派。ご自分と真逆だから嫌いなんですか?」

「あはは、聖女様のばんはんきでいいですか?」

「ぐっ……冗談ですよぉ」

 なぜこの人に食事のまで決められてしまうのか。しかし嫌味が過ぎた自覚もあったので「ごめんなさい」と謝っておく。

 本来この国では王と聖女は対等で、よき相談相手になるはずで、王に「食事抜きにします」と脅される今のじようきようは少しちがう。彼の方はフェニシアに『よき友人』になってほしいなどと、毛ほども望んでいないだろうが。

「あれが理想ならさっさとけ落ちしていただけませんかね? 僕としてもだいかんげいですよ」

「え? アルベルトと? れんあい的な好きじゃありませんし、聖女やめませんよ!」

「ふうん」

 あまり信じていないのかどうでもいいのか、しらけた顔をしている。

「フェニシア様、おぐしが風で乱れておいでですわ」

 二人の会話を楽しげに聞いていたじよのアメリアにかみを整えられて、そろそろ聖女の仕事の時間が近いのだと気付く。

 彼女はゆいいつの専属侍女だ。「身の回りのことは自分でできるし、護衛は聖兵がいるから」と数日休んでいても構わないと言ったのだが、「わたくしはフェニシア様のおそばをはなれませんわ!」と一つ年上ながら可愛かわいいことを言ってくれるので付いてきてもらった。アメリアは燃えるような赤髪を後ろで高くった、可愛らしさと大人びたふんへいぞんした女性である。二年ほど前からフェニシアに仕えてくれていた。

(さてそろそろ、お仕事だ)

 天幕の外へみ出せば、左手に持ったぎんれい付きのせいじようがしゃらんと鳴る。

 今のしようは、純白の聖衣。そですそに金糸のしゆうたんねんにあしらった上等な品で、こしまでばした白茶色の髪と相まって、れいなお人形めいている。

 民衆の前に進み出て、あいに満ちた聖女らしく静かに微笑ほほえんだ。

「──それでは、皆様のうれいを取り除いてまいります」

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