第26話 守り刀に込めた願い


 「何だか凄い話になってきたね」


 斗真はそう言うと空を見上げる。彼に続くように、香織も空へ視線を移した。

 見上げた空は、降り続く雪のせいか、見渡す限りの灰色だ。


 さて、斗真の言うとおり、話は予想外の展開へ進んでいた。

 巡国中に瘴気が漂う原因、それが判明しそうなのだ。教えてもらうためには、先に雪花山へ行き、寒暁を救う必要があるが。


 とはいえ、元より寒暁を救うために来たのだ。その提案に否はない。

 ただ、大本の原因がこれほど早く判明するとは思わず、皆驚いているわけだ。


 「今後のことを考えねばならないが、まずは自由時間としよう。ここまで気を張っていたし、多少の休みは必要だろう。とりあえず、」

 「本当ですか!? 師団長やっさしー!!」


 ねえ香織ちゃん、どこ行く!? 本居の言葉を遮ったのも気づかず、斗真は明るい表情で語り出す。気持ちは分からないでもないが、先走り過ぎだ。

 香織がちらりと本居へ視線を向けると、彼は恐ろしく冷たい瞳で斗真を見据えていた。


 「自由時間にするとは言ったが、その切り替えの早さには感心するな? 蔵内」

 「げ。なんか怒ってません?」


 的確に地雷を踏み抜く斗真に、香織はすっと両手を合わせる。この先の展開は、見なくても分かった。


 「え!? 香織ちゃん、なんで合掌!?」


 突然どうしたの!? 尋ねる斗真に与えられたのは、香織の答えではない。


 「いい加減にしろ!!」


 本居の拳が斗真の脳天に振り下ろされる。相当な勢いだったのか、斗真は悶絶しながらしゃがみ込んだ。

 その姿を見て、香織は静かに口を開く。


 「成仏しなよ」

 「死んでないから!!」


 俺生きる!! 涙目で語る彼に、注がれたのは生暖かい視線だ。


 そんな情けない一幕に、ある男が嘆きを漏らす。


 「僕、何でこの人の部下なんだろう……」


 雪が舞う美しい街中に、佐伯の哀愁漂う声がこぼれた。






 「さーて、どこから見に行く? 香織ちゃんは行きたいところある?」


 お店いっぱいだなー! きょろきょろと周囲を見渡す斗真に、香織は小さくため息を吐いた。

 仕事で来ていたはずだが、今は完全に観光モードだ。斗真は楽しげにあれこれと視線を移している。


 結局、二時間ほど自由時間を取ることとなった。

 別れ際、本居は香織に「面倒をかけるが後は頼む」と言い残し、足取り軽く去っていった。


 その姿を見るに、彼も観光を楽しむつもりのようだ。街に入ったときからどこか興奮していたし、古都のような街並みが好きなのかもしれない。


 ちなみに、佐伯は本居に着いていった。一応仕事で訪れているため、単独行動は避けるべきという彼なりの配慮だろう。


 「ほら香織ちゃん! ぼーっとしてたら勿体ないよ? どんどんお店見ていこう!」


 斗真は明るい笑みを浮かべ、香織の手を掴み歩き出す。突然のことに、香織は驚きながらも足を踏み出した。


 ごく自然に繋がれた手に、何だかむず痒さを感じる。

 斗真としては、昔からの癖が出ただけかもしれない。それでも、香織の頬はどうしようもなく緩んでしまうのだ。

 そんな表情を隠すように、香織は立ち並ぶ店へ顔を向けた。


 「うーん、色んなお店があるなあ。さすが六辺香。寒暁の都だけあるね」


 斗真の言うとおり、通りには沢山の店が軒を連ねていた。小物屋や、酒屋、料理屋に金物屋。多くの店が集まり、二時間では回り切れないほど賑わっている。


 「あ、あれ」

 「うん? ああ、鍛冶屋だね。香織ちゃんからしたら、あまり見覚えないか」


 店の人が軒先に出て声掛けをしている中、ひっそりと営業している店があった。従業員が外に立つ素振りもない。


 斗真曰く、あの店は鍛冶屋らしい。基本的に用事がなければ立ち寄らない店だからか、声掛けはしていないようだ。


 「せっかくだから行ってみる?」

 「え、でも刀は使わないでしょう?」


 二人とも刀は使用していない。そんな自分たちが行っても、冷やかすだけとなり失礼では。そう告げる香織に、斗真は微笑むだけで聞き入れることはなく。

 何も言わず、そのまま鍛冶屋へと香織を連れて行った。


 「お邪魔しまーす!」


 斗真は店の扉を開けると、明るい声で挨拶をした。それにつられて、香織も小さく「お邪魔します」と口にする。

 店内に人の姿はなく、ただ品物が並べられているだけだった。


 「お店の人は裏にいるのかな」

 「んーそうかも。あ! 見て見て香織ちゃん!」


 本居さんが使ってるのに似てるね! 一振りの刀を指差し、斗真が笑う。その姿を見て、香織も自然と笑みが溢れた。


 香織に刀の良し悪しは分からない。しかし、こうして見るのは楽しく思う。

 入ってしまったし、ここまで来たら楽しもう。彼女は気持ちを切り替え、一つ一つ興味深く見て回った。


 「あ、これ」

 「うん? なになに?」


 香織の目に、ある物が留まる。思わず声をこぼすと、斗真がその視線を追った。


 そこには、小さな刀があった。短刀だろうか。鋭く研がれた刃が輝いている。側には、桜の花弁が舞う美しい鞘も置かれていた。


 「香織ちゃん、あれが気になるの?」

 「え? ああ、何か目を惹くな、って思って」


 研ぎ澄まされた刃に魅せられたのか、美しい桜に惹かれたのか。真相は香織自身にも分からないが、自然と彼女の目を惹いた。


 「ふん。悪くない目をしてるな、嬢ちゃん」


 突然しわがれた声が耳を打ち、驚いて振り返る。振り返った先には、作務衣を身に纏うお爺さんが立っていた。


 「そいつは儂の作った中でもいい出来だ。まさか、あんたみたいな嬢ちゃんの目に留まるたぁ、思わなかったが」


 人生何があるか分からんもんだ。そうこぼすお爺さんに、斗真が声をかける。


 「爺さん、この刀は購入可能かい?」

 「ちょ、斗真?」


 突然の言葉に、香織は驚いて声をかける。これはお爺さんの自信作らしいし、見た目にも美しい。買えたとしても高い買い物になるだろう。

 斗真が刀を扱うところなど見たことがないし、仮に自分宛だとしても使い慣れていない武器だ。持て余すのは目に見えている。


 「売り物だからな。金さえ出せば売るさ」

 「良かった! ならこれちょうだい。いくらになる?」

 「ちょ、ちょっと斗真!」


 刀使わないでしょう? そう問いかける香織に、斗真はきょとんと目を丸める。まるで質問されたことが意外というかのようだ。


 「でも、香織ちゃん気になるんでしょ? 短刀だし、持っていて困ることはないと思うよ?」

 「で、でもっ。私刀は使ったことないし、きちんと扱える人が持つべきじゃ……」

 「嬢ちゃん、そいつは違うな」


 香織の言葉を、お爺さんが否定する。刀掛けから短刀を外し、鞘に納め終わると再び口を開いた。


 「確かに刀っていうのは使い手の腕が必要だ。でも、こいつは少々異なる」

 「異なる、ですか?」


 お爺さんは香織の言葉に首肯する。そして、「手を出しな」と声をかけた。香織は未だ混乱していたが、言われるがまま両手を差し出す。

 お爺さんは短刀を香織の手にのせると、ゆっくりと言葉を紡いだ。


 「いいか嬢ちゃん。短刀ってのは、守り刀だ。それこそ、もっと昔であれば組打ちの際にも使われたがな。今では護身用に持つのが主流だ」

 「護身用……」


 乗せられた刀に目を向ける。鋼できているからか、ずっしりとした重みがあった。人の命を奪うに足る、武器の重みだ。


 「結婚する娘や、子どもが生まれた際に贈るのさ。いざというとき、自分の身を自分で守れるように願いを込めてな。

 その人らが刀を扱えると思うか? ましてや生まれたばかりの赤子なんぞ、動くこともままなるまい」


 その言葉に、香織はお爺さんの言いたいことを察した。扱いに長ける人間でなくてもいい、そう言いたいのだ。

 これはあくまでも護身用、いざというときその身を守ることができればいいのだと。


 「嬢ちゃんが無事であるように、そこの兄ちゃんは渡したいんだろう。

 なら、受け取ってやんな。見たところ帝都の軍人みてぇだし、買う金くらいあるだろう」


 随分出世しているようじゃねえか。階級章を見て告げるお爺さんに、斗真は照れくさそうに笑う。


 その姿に香織は小さく息を吐いた。この歳で大佐だ。十分すぎるほどの出世である。

 本当に、自分とは遠い世界にいるようだと、ほんの少し胸が傷んだ。とっくに分かっていたことなのに、未だ寂しさを覚えるらしい。

 我ながら呆れるほどの女々しさだと、香織は一人自嘲した。


 「と、いうわけで! お爺さん、これ一つちょうだいね。香織ちゃんはちょっと待ってて! 会計してくるから!」


 そう言うと、斗真はお爺さんを連れて奥へと行ってしまった。香織が何事か言う隙もない。手元には、美しい刀が残されている。


 斗真の方へ視線を向けると、嬉しそうな笑みを浮かべてお爺さんと話をしていた。その横顔は、どこか誇らしげで。本心から、この短刀を贈りたいと思っているのが伝わってきた。


 香織は短刀を強く握りしめる。


 どうか、贈ってくれた思いに答え、無事に旅を終えられますように。


 掠れる声で紡がれた祈りを、鋼だけが聞いていた。

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