第24話 雪道を進んで
吹雪が止み、しんしんと雪が降る朝。
香織たちは伊良布村を立つこととなった。
「大変お世話になりました」
「いえいえ。こちらこそ大したもてなしもできず、すまなかったね」
道中、気を付けて。そう告げるお婆さんに、香織は微笑み返す。見知らぬ人間を温かく迎えてくれたことに、心から感謝した。
「姉ちゃん、もう行っちゃうのか?」
そんな中、桃花がひょっこりと顔を出す。その表情はどこか寂しげだ。
それを見た香織は、膝を屈めて桃花と目線を合わせた。
「行かなきゃいけないところがあるの。桃花ちゃんと会えて嬉しかったよ。本当にありがとう」
「姉ちゃん……」
香織の言葉に、桃花はぎゅっと着物の裾を掴む。
来客などそうは来ない土地だ。誰かと別れるという経験もあまりないのだろう。唯一関わりのある村人は、いつでも会える距離にいる。彼女にとって、これが初めての別れかもしれない。
「また会えるか?」
桃花は窺うように問いかける。その姿に、香織は幼い頃の記憶を思い出した。
遠い昔、同じ問いを口にしたことがあった。遠くへ引っ越す友人に、寂しさからそう問いかけた。また会おうと泣きながら約束したのは良い思い出だ。
「もちろん! また会いに来るね」
約束。そういって香織は小指を立てる。
ここは日本によく似た世界。きっと通じるだろうと彼女の前に差し出した。
どうやら香織の読みは当たったらしい。桃花は嬉しそうに笑うと、小指を絡め歌を歌う。
懐かしい指切りの歌。童心に帰ったかのようで、香織はくすぐったそうに笑みをこぼした。
「指切った! 姉ちゃん、待ってるな!」
「うん。また来るね」
香織はこの世界で生きていくのだ。この先、伊良布村を訪れる機会はいくらでもある。
香織は優しく彼女の頭を撫で、ゆっくりと立ち上がった。
「それでは、こちらで失礼します」
「ああ、気を付けていくんだよ」
「またな、姉ちゃん! みんなも!」
お婆さんは微笑みながら、桃花は大きく手を振って香織たちの出立を見送ってくれた。香織たちの姿が見えなくなるまで、二人がその場から動くことはなかった。
「それで? 本当にその狐が何とかしてくれるの?」
伊良布村から離れ、10分ほど経った頃。紬がおもむろに口を開いた。問いかける相手は香織だが、その視線が絡むことはない。
未だ狐を撃った香織に怒っているのか。それとも、気まずさからか。理由は分からないが、視線を向けるつもりは無いらしい。
そんな姿に、香織は苦笑を浮かべつつ口を開いた。
「はい。実際、あの吹雪の中でもこの子の周りだけ雪がありませんでした。そういう能力なのでしょう」
『そうだぞ! 僕にかかれば雪なんて楽勝だ!』
「本人もこう言っていますしね。
それより、この場合は本人という表現で良いのでしょうか? 狐ですけど」
「……あんた、変なところでボケるのやめてよね」
気が抜けるわ。そう言って紬はため息を吐く。その表情を見るに、怒っている様子はない。香織はほっと胸を撫で下ろした。
昨晩は深刻な雰囲気になり、翌日も引きずりかねない状態だったが。狐のおかげでそんな空気は霧散した。朝から驚きの連続だったからだ。
「まさか、本当に狐が喋るなんて」
『ふふん! 僕は優秀な白狐だからな。これくらい当然だ!』
「なら、この直接頭に響かせる話し方何とかしてよ!」
紬は鬱陶しそうに声を上げる。
彼女の言うとおり、白狐の話し方は特殊だ。直接脳内に語り掛けるため、どうしても違和感があるのだ。
そもそも、狐は人語を操る生き物ではないし、仕方ないのかもしれないが。
『全く、失礼な神子だ。僕がいれば、雪の心配もなく快適な気温を保てるんだぞ? もっと感謝しろ!』
白狐の言うとおり、彼がいれば雪の影響を受けることはない。一定の範囲内ならその能力が自由に使えるそうだ。
それを聞き、香織たちは朝から大騒ぎだった。今後の予定が大きく変わる発言に、騒がずにはいられなかった。
「白狐のおかげで懸念点も解決できた。一度港へ戻るぞ。その後は予定通り
「はい。自動車を取りに行かないとですね」
本居がそう切り出すと、香織は微笑んで相槌を打った。
そう。何を隠そう、白狐の能力により自動車移動が可能となったのだ。
雪の影響を受けない能力。詳しくは、悪天候を無効化する能力らしい。範囲内に存在する雪を、瞬時に消してしまうそうだ。当然、その力で車を覆えば、この悪天候でも走行できることになる。
徒歩しかないと諦めていた中、舞い込んだ朗報。香織たちが喜びに沸いたのは言うまでもない。
港まで戻れば、船に自動車が積まれている。一度戻ることになるとは言え、トータルすれば大幅な時間短縮だ。
ここから六辺香までは、徒歩で50時間ほど。車なら数時間で到着する。港に戻るくらい大した問題ではなかった。
「では行こう。自動車に乗り込みさえすれば、後は簡単だ」
本居の指示に従い、全員で港を目指す。徒歩が回避できたおかげで、皆の空気も和やかなものとなっていた。
この先は、大変なことも多いだろう。瘴気に犯された地を救わねばならないし、山の調査も控えている。
そんな中、少しでも負担を減らせるのならそれに越したことはない。香織は一人、小さく笑みを浮かべた。
「ほ、」
「ほ?」
「本物だーっ!!」
「香織ちゃん!?」
斗真の声すら聞こえていないのか、香織は一人走り出す。向かった先は、船から降ろされた自動車だ。
帝都にいた際、大正ロマン溢れる街並みに香織の目は奪われていた。そのときから密かに考えていたもの、それが今、目の前にあるのだ。彼女のテンションは最高潮に達していた。
きらきらとした瞳で車体を見つめる。視線の先にあるのは、大正時代を彷彿とさせる自動車だった。
「蔵内さん。あの人、車好きなの?」
「いや、昔はそんなこと無かったと思うけど……」
ぽりぽりと頬をかく斗真に、呆れたような視線を送る紬。何がそんなに楽しいのか分からない、と言いたげな表情をしている。
車なんかどれも同じじゃない? 紬はそうぼやくも、香織の耳に届くことはなかった。
「常々思っていましたが、やはりクラシカルなデザインが多いですね! 現代のスマートなデザインも良いものですが、これはこれで味わいがある!」
「ほう。櫻井君はこういったデザインが好みか? 軍施設内には、これ以外にも自動車が置かれている。今度見に行ってみるといい」
「本当ですか!? それは嬉し、」
そこまで言って、香織は不意に言葉を区切る。ぎぎぎ、とブリキの人形のように視線を後方へ向けた。
視線の先には、満足そうに頷く本居に、呆れた顔をする紬。困ったように笑う斗真に、唖然とする白銀と佐伯の姿があった。
はしゃぎ過ぎた。香織は瞬時に悟り、ごほんと咳払いをする。
香織は元々、古典的なデザインが好きだった。車に限らず、建物や小物も同様だ。当時を思い起こさせる物に、どうにも惹かれるタイプなのだ。それゆえ、大正ロマン溢れる車体に釘付けになってしまった。
とはいえ、もういい歳した大人だ。あまりはしゃぎ過ぎるのも良くないだろう。香織はキリリと表情を引き締め、口を開いた。
「見たところ、車内はある程度の広さを確保しているようです。白狐を座らせる席までは難しいですが、膝の上に乗せれば問題ないでしょう。移動手段には十分かと」
「うわ、無意味に取り繕ってる」
大人って大変。紬のストレートな感想に、香織はうぐっと言葉を詰まらせる。軌道修正を試みたが、無駄だったようだ。
力なく俯く香織に、本居は笑い声を上げる。
「ははっ! まあ良いじゃないか。櫻井君のお眼鏡に適ったようで何よりだ。
全員、すぐに乗り込むように。出発するぞ」
本居が全員に指示を出す。流してくれたことに感謝しつつ、香織は車内に乗り込んだ。
座る先はもちろん、一つだけだ。
港から出発し、雪道の中を進む。白狐の能力が上手く機能し、周囲の雪は瞬時に消えていた。
原理は不明だが、便利なものだ。香織は感嘆の息を漏らし、通り過ぎる風景を眺めている。
「ねぇ香織ちゃん、何で助手席乗ってるの? しかも白狐は俺の膝の上だし! 後ろの席来よう? 隣座ろう?」
何が悲しくて野郎の隣に座らなきゃなんないの!? そう叫ぶ斗真に、香織は一度視線を送る。
「斗真、うるさい」
「酷くない!?」
香織ちゃんが冷たい! 嘆く斗真をよそに、香織は視線を隣へ向ける。運転席には、本居が座っていた。
通常は部下が運転すべきだが、どうやら本居は運転が好きらしい。お前らは後ろに座っていろ、と部下を後部座席に押し込んでいた。
レトロな車に、渋い男性。とても絵になる光景だと、香織は一人満足げだ。
「君が運転しなくて良かったのか?」
興味があるのだろう? そう問いかける本居に、香織は眉を下げて笑った。香織としても出来ることなら運転したいが、そう出来ない事情があるのだ。
「私、この世界の自動車免許持っていませんから」
「なるほど? 君らしい判断だ」
二人は互いに笑みをこぼす。落ち着きのある彼は、香織にとっても話しやすい相手だった。数時間ほどのドライブとなるが、これなら快適に過ごせるだろう。
「あっ!? 何か香織ちゃんと師団長が仲良さそう!? ちょっと師団長! 歳考えてくださいね!?」
「蔵内、徒歩で移動するか?」
今すぐ降りろ。本居の目はそう語っていた。ミラー越しにその瞳が見えたのだろう。斗真は「怖っ」とこぼすと、しぶしぶ口を閉ざした。
しかし、話はそこで終わらない。白銀が、ここぞとばかりに厳しい言葉を投げつけたのである。
「お前のような軽薄な人間より、本居師団長の方が良いのでは? 勇士様は実直で素晴らしい方だ。お前のような頭の軽い人間では釣り合わんだろう」
「お前、俺に恨みでもあんの?」
白銀の言葉に、斗真がツッコミを入れる。それに白銀は眉を寄せ、口を開いた。
「召喚だけして、残る仕事全て押し付けたのは誰だ?」
「あー……、ほら! 香織ちゃんに関しては俺がお世話してるしね?」
「知り合いだからだろう。というより、世話されてるのはお前では?」
事情聴取も彼女が代わってくれたと聞いたが? そう告げる白銀に、斗真はがくりと肩を落とす。事実ゆえに言い返せないようだ。「俺軍人、警察じゃない……」と恨みがましく呟くも、それ以上の反論はなかった。
ちなみに、流れ弾を喰らい佐伯まで肩を落としたのは余談である。
香織たちを乗せた車は、賑やかに六辺香を目指す。
国を救う旅とは思えぬほど、穏やかな一幕だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます