第23話 割り切れない心


 温かな囲炉裏の前に座り、香織たちは暖をとる。

 穢れとの戦いを終えて伊良布いらぶ村へ戻ると、お婆さんと桃花が外で待っていた。突然いなくなった香織たちを心配してのことらしい。慌てて全員で謝罪し、家の中へ戻った。


 二人が用意してくれた食事をとり、今は就寝前の団欒。お婆さんたちは既に別室で横になっている。


 ぱちぱちと燃える火を眺めながら、香織は隣に横たわっている狐を撫でる。

 穢れが祓われ、美しくなった毛は指通りがいい。これが本来の毛並みだったのだろう。野良の狐にしては随分と美しい毛並みだが、穢れがついたままより余程いい。わずかに浮かんだ疑問は、一度置いておくことにした。


 「ねぇ」


 沈黙を破るように、紬の声が響く。それに香織が顔を上げると、彼女は怒りの籠った目を香織に向けていた。


 「何で、その狐を撃ったの」


 ぱちり。火の粉が宙を舞う。静まり返った室内に、燃える火の音だけが響いた。


 香織は一度瞼を閉じ、息を吐く。きっと彼女は納得しないだろう。少なくとも、今は。それを理解した上で、香織は口を開いた。


 「それが最善だったからです」


 その言葉に、紬の瞳が見開かれる。わなわなと震える口が、彼女の心境を物語っていた。


 「最善……? 何の罪もない狐を撃つのが最善!?」

 「神子様、落ち着いてください」

 「これが落ち着けるっていうの!? 今回は無事だったから良かった。でも、あのとき死んでいたかもしれないのよ!?」


 白銀しろがねが紬を宥めようとするも、彼女の怒りは止まらない。

 たしかに、傍から見れば酷い光景だっただろう。穢れに苦しみ、倒れている動物。それを躊躇なく撃ち抜いたのだから。


 「ですが、あの狐が穢れを宿していたのです。勇士様が浄化の力で撃ち抜かなければ、救われはしなかった!」

 「だからって! 撃ち抜く以外の方法もあったかもしれないじゃない! 浄化だけなら、私だって!」

 「できたのか?」


 白銀の説得に紬が反論する。浄化の力を使うだけなら他の方法がある、そう語る彼女に、冷たく声をかけたのは斗真だ。


 「穢れが攻撃してくる中で、お前にあの狐が浄化できたのか」

 「そ、れは……」


 斗真の問いに、紬が口ごもる。返答に窮するのも無理はない。あの猛攻の中、近づくことは困難だった。


 浄化の力があるだけではダメなのだ。あの距離を、わずかな時間で浄化する方法が必要だった。


 「お前に浄化の力があるのは事実だ。使いこなせているかはともかくな。

 だが、白銀に守られるだけだったお前が、あの中を潜り抜けて浄化できたのか?」

 「っ……!」

 「斗真、落ち着いて」


 私は大丈夫だから。そう告げる香織に、斗真は肩を竦める。香織が止めるなら仕方ない、そう言って口を閉じた。ここからは静観するつもりらしい。


 「なんで、」

 「紬さん?」


 ぽつりと声をこぼす紬に、香織は声をかける。極力優しく声をかけたつもりだったが、それが逆効果だったようだ。

 紬は勢いよく顔を上げると、香織のきつく睨みつける。


 「なんであんな簡単に銃を抜けるの!? 動物だから、死んでも良かったの? あの子は、助けてって言ってたんでしょ!?

 ちゃんと守れよ……っ! あんた警察官でしょ!?」

 「神子様!!」


 そう言い残して、紬は部屋を飛び出した。すぐに隣室の扉が閉まる音がする。


 どうやら、お婆さんたちのいる寝室へ向かったらしい。隣室は女性陣が休む部屋としてお借りしたのだ。このまま寝るつもりなのかもしれない。


 「勇士様! 本当に申し訳ございません!」

 

 悲痛な声で謝罪するのは、白銀だ。彼は紬の世話役。それゆえに、この状況に責任を感じているのかもしれない。

 香織は白銀に微笑みかけ、首を横へ振った。


 「謝る必要はありませんよ」

 「ですが……! 勇士様の言うとおり、あなたの選択は最善でした。あのとき発砲してくれなければ、私たちが生き残れたかすら怪しいのに」


 眉を顰め、白銀が歯噛みする。

 たしかに、あのまま戦闘を継続していれば、いずれはこちらが力尽きていただろう。白銀の言葉は正しい。

 けれど、紬にしてみればそこは問題ではないのだ。正確に言うのなら、だからといって割り切れないというべきか。


 「白銀さん、私は彼女に怒っていませんよ。むしろ、彼女の気持ちはよく分かります」

 「よく分かる、ですか?」

 「そうです。私は最善だと考えて行動しましたが、それはあくまでも理屈の話です。彼女の心がついていかないというのは、致し方ないでしょう」


 そう告げる香織に、白銀は唖然と口を開く。彼は理屈や道理、そういったものを重視するタイプなのだろう。おそらく、紬のような考え方とは相容れない部分があるはずだ。


 「ですが、それでは……」

 「ええ。あの場面で人情だとか言っている場合ではなかった。

 けれど、割り切れるかは別問題でしょう。まだ未成年の彼女には、酷だともいえる」


 香織の言葉を聞き、白銀は黙り込む。

 自身と相容れぬ考えを持つ紬。彼がどこまで受け入れられるかは分からないが、相互理解は必要だ。彼女の世話役をするのなら、なおのこと。


 「そもそも、私とて理屈のみで動いているわけではありません。ときには感情的に振る舞うこともあります。

 考えるまでもなく、しない方がいいと分かっているのに。それでも踏み止まれないときがありました」

 「え? 櫻井さんがですか?」


 佐伯が不意に声を出す。今まで沈黙を守ってきた彼だったが、思わず声に出してしまったようだ。全員からの視線を受け、慌てて謝罪を繰り返している。

 そんな彼に香織は笑みをこぼすと、ゆっくりと口を開いた。


 「そうです。私だって、感情を優先するときくらいあります。どうしようもなく割り切れず、馬鹿だと思いながら選択するときが。

 それが自分の首を絞めると分かっているんですけどね。諦められないことってありますから」


 苦く笑う香織に、佐伯は意外そうに目を丸める。


 香織の脳裏には、かつて何度も耳にした言葉が流れていた。「もう20代半ばだよ? いい加減、結婚見据えて恋愛しなよ」そう語る友人の声を、今でも鮮明に思い出せる。


 香織とて、斗真を追い続けることの無謀さは理解していた。何の知らせもなく、突然蒸発した元カレ。恋の終わりすら知らされず、途方に暮れた。


 斗真が姿を消した後、諦める機会は何度もあった。香織の気持ち一つで、あの恋を終わらせられたのだ。


 にもかかわらず、追いかけ続けたのは香織の意思だ。いい年して、たった一つの恋を諦めきれず、やみくもに走り続けた。何の手掛かりもなかったというのに。

 それがいかに馬鹿馬鹿しいことかは、香織自身、誰よりも理解している。


 どれほど葛藤しようとも割り切れないことはある。いい年した大人が、理屈だけで割り切れないのだ。恋と命では重みが違うかもしれないけれど、それこそ、のだろう。


 「勇士様」


 呼びかける声に、香織は視線を向ける。視線の先には、真剣な表情でこちらを見る白銀の姿があった。

 ただ真っ直ぐに向けられた瞳は、何かを渇望しているかのようだ。思考を整理するためのパーツ、それが欲しいのかもしれない。


 「私にとって、勇士様は冷静な方に見えます。感情で動くとは、とても思えない」

 「……それは買いかぶり過ぎですよ。そこまでできた人間ではありません」


 苦笑する香織に、白銀は否定する。少なくとも、自分には合理的な方に見える。そう付け足して。


 香織としては、かえって困ってしまう発言だ。本当に、そこまで冷静でも合理的でもないのだから。


 「そんなあなたが、どうしたら感情を優先するのか。それほどまでに心を乱したモノ、それは一体何なのですか?」


 白銀の問いに、香織は息をのむ。言葉がすぐには出てこなかった。斗真がこの部屋にいるというのも理由の一つ。

 けれど、それだけではない。


 簡単には口にできない、誰かに告げて否定されるのが怖い、そういう感情があるからだ。

 かつて捨てられなかった願い。それは、香織の心の柔らかい部分を占めるモノ。誰かに突かれれば、簡単に傷ついてしまう。そんな繊細なモノだった。


 「ごめんなさい、それはお答えできません」


 香織の返答に、白銀が驚いたように目を開く。同時に、横から強い視線が突き刺さった。

 見なくても分かる。斗真の視線だ。


 「口にできないほどに、大切だったんです。時間も、自身の将来すらもかけられるほどに」


 たった一つの恋に、青春時代と、自身の将来をかけた。


 そんなかつての自分が、記憶の底で泣いている。

 

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