第22話 助けるための選択
「やっぱり、この程度じゃ無理か」
炎が掻き消え、再び視界に雪がちらつく。目の前には、既に再生した黒い手が蠢いていた。
何度攻撃しようとも、再生する相手。大本を絶たない限り、この穢れを消すことはできないのだろう。
どうするかなー、そう言う斗真の顔は真剣だ。言葉とは裏腹に、その表情が状況の悪さを物語っている。いつもはにこにこと笑っている彼も、今ばかりはその余裕がないようだ。
こちらが考えあぐねている間にも、黒い手は休むことなく香織たちへ襲いかかる。再生力の高さゆえか、攻撃が止む気配はない。
一つの手が潰されると、別の手がこちらへ向かってくる。その隙に、潰された手が再生するというあり様だ。
「もうっ! 一体どうしろっていうの!?」
震える声で苛立ちを表す紬。そんな彼女へ向かう腕は、て白銀により斬り落とされている。結局は再生してしまうものの、白銀の奮闘もあり、彼女へ攻撃は届いていない。
現状は硬直状態といったところか。今は均衡を保てているものの、いつまでこの状況を維持できるかは不透明だ。こちらは生きた人間が対応しているのだ。この状況が続けば、疲労に苛まれるのは明白だ。
そうなれば、救助など夢のまた夢。全員で地へ伏せることになるだろう。
香織の脳裏に、あの狐の姿が浮かぶ。不自然に黒くなっていた姿。あれはもしかして、泥ではなく穢れが原因だろうか。
推測に過ぎないものの、そう考えるのが自然に思えた。狐へと近づこうとした際に、穢れが噴き出たのも覚えている。
瘴気が生物へ影響を及ぼすことははっきりしている。それならば、穢れとて危険があると見るべきだ。狐にとってみれば、自身の周囲に穢れがあるこの状況は、まさに生命の危機と言えるだろう。
周囲に他の生き物がいないのを見る限り、助けを求める声はこの狐だったはず。ここで無視はできない。
ままならない現状に、香織は焦りから歯噛みする。
そんな中、彼女の耳に小さな声が届いた。
――僕ごと攻撃して
掻き消えそうなほど小さな音でありながら、強い意思を感じる声。耳に届いたその声に、香織は息をのんだ。
自身ごと攻撃しろ、そう告げるにはどれほどの勇気が必要だろうか。
「本居さん、確認したいことがあるのですが」
「どうした、櫻井君」
黙したまま状況を見定める彼に、香織が声をかける。香織の緊迫した空気に気づいたのか、彼はすぐさま続きを促した。
「浄化の力は、穢れや瘴気以外に対し攻撃する力はありますか?」
「穢れや瘴気以外……?」
問い返す彼に、香織は頷く。あの小さな声は、自身ごと攻撃するように言っていた。
けれど、香織たちは助けにきたのだ。無駄に傷つけることなどできるはずがない。守るために来たのに、この手で傷つけるなど本末転倒だ。
この窮地を脱する方法、それが誰かを傷つけるしかないのなら。殺すことでしか声の主を救えぬというのなら、話は別だけれど。
それでも、不必要に傷つける道は選びたくない。安全性の確認は当然必要だし、出来る限り無傷で助け出したい。
「ふむ。それについては否と答えようか。
浄化の力は、害意あるモノと対峙するための能力だ。瘴気や穢れといった負のエネルギー、それを祓うためにある。害意なきモノへの攻撃にはならんだろう」
試したことがないため、確実とは言えないがな。そう告げる本居に、「十分です」と香織が返す。
その上で、斗真に視線を移した。
「斗真、さっきと同じやり方でいい。あの黒い手だけでなく、靄も吹き飛ばしてもらいたい。できる?」
「長時間晴らすのは難しいと思うけど、短時間なら」
「何秒いける?」
「10秒までかな」
「分かった。それでいい」
そう言って、香織は拳銃の弾倉を確認する。香織の記憶どおり、弾は入っていない。
これはあくまでも、呪術を用いるための武器だ。いわゆる魔法の杖のようなもの。通常の拳銃と同じく弾を込めれば発砲できるが、今回はその用途で使うわけではない。
むしろ、今回に限って言えば、銃弾が込められていては困るのだ。
弾が入っていないのを確認し、弾倉を元に戻す。
この銃には既に術式が込められている。香織が霊力を流せば、それが銃弾代わりになる仕組みだ。ゆっくりと霊力を流し込み、装填を開始する。
「斗真」
「りょーかい!」
斗真は明るく返事を返すと、左手に炎を灯らせた。
香織は銃を正面に向けて構え、両足を軽く開く。一度息を吐くと、前を見据えた。銃には両手が添えられている。
全ては、正確に対象へ当てるため。チャンスは短く、やり直しが効くかも分からない。ここで決着をつけなければ。
互いに目を合わせ、頷き合う。それが合図だった。
「いくよ!」
熱風が通り過ぎる。炎は大きく燃え上がり、黒い手を包んでいった。
攻撃を受けた手は、今までどおり黒い靄へと変じていく。元に戻ることがないよう、斗真が靄へ向けて再び炎を叩き込んだ。
「見えた……!」
視界の先、横たわる狐の姿がわずかに顔を出す。香織は迷わず撃鉄を起こした。完全に姿が把握できるのを、息を顰めて待つ。
再び斗真の炎が靄へ襲い掛かる。霧散していく靄の先、やっと狐の全身が露わになった。
「嘘でしょう……!?」
紬の驚愕する声が響く。止めてと、制止の声を上げている。香織の銃が捉える先、その照準に気づいたからだろう。
香織は紬の声を意識から締め出す。揺れるな。ここで間違えれば、状況が悪化する可能性がある。守るべきもののため、躊躇している暇はない。
香織の脳裏に響くのは、先ほどの小さな声。自身ごと攻撃しろと告げる、悲しくも強い意思を持った声だ。
あの声の持ち主がどこまで理解しているかは分からないけれど。どうかこの予想が当たり、守り切れますように。
その一心で、香織は引き金を引く。銃口は、横たわる狐に向けられていた。
高く鳴り響く発砲音。その音に、紬が小さく悲鳴を漏らした。銃を発砲する場面など初めて目にしただろう。驚くのも無理はない。
香織とて、職務で実際に発砲した経験はなかった。的ではなく、命あるものに向けたのはこれが初めてのことだ。
冷静な表情とは裏腹に、脳裏に巡るのは言いようのない葛藤だった。守るためとはいえ、命へ銃口を向けること。それは決して、簡単に割り切れることではない。
きっと、この行為に慣れる日は来ないだろう。命を奪える武器を扱うのだ、慣れてはいけないとも思う。自身が何を扱っているのか、その重みを忘れてはならない。
香織は一人、無言で自身を戒めた。
「これは……」
本居の声が響く。浄化の力を込めた弾丸は、間違いなく狐を貫いた。
しかし、狐に負傷したような痕はない。それどころか、周囲の靄が少しずつ晴れていくように見える。
「どういうことですか……?」
唖然と佐伯が声を漏らす。今までどれほど攻撃しても消えなかった穢れ。それが徐々に消えていくのを、呆けたように見つめていた。
「狐、」
香織がぽつりとこぼす。その声に、周囲の視線が彼女へ向けられた。香織の瞳は真っ直ぐに、横たわる狐に向けられている。
「君が、この穢れの大本になっていたんだね」
そう呟く香織に、佐伯と紬が息をのむ。本居や斗真、白銀はゆっくりと息を吐いた。おそらく、3人は香織の行動から予測していたのだろう。誰一人口を挟むことなく、静かに現状を見つめている。
狐の周囲に漂っていた穢れは、今は見る影もない。不自然に浮かんでいた黒い靄も、すっかりと消え去っていた。
狐の身体を見ると、真っ黒だった毛は美しい白へと色を変えている。予想していたとおり、どうやら穢れによる影響だったようだ。
香織はゆっくりと狐へ歩み寄った。止める者は、誰もいない。既に穢れが消滅したからか。香織に対しては異常なほど心配性な斗真も、彼女を止めはしなかった。
狐の前にしゃがみ込む。相変わらず、狐の周囲には雪が存在しなかった。降り続いているはずの雪も、狐にだけは触れることができないらしい。
香織はそっと狐へ手を伸ばす。傷口はなく、毛並みも美しく整えられていた。今はまだ目が開かないようだが、呼吸は安定している。銃撃により命を落とす心配はなさそうだ。
安堵の息を吐くと、彼女は静かに狐の身体を持ち上げる。見た目よりも遥かに軽い重さに、内心で驚きの声を上げた。これも、穢れの影響だろうか。
「香織ちゃん」
「大丈夫、問題は無さそうだよ」
斗真の心配そうな声に、香織は薄く笑みを浮かべる。腕の中の狐は軽すぎるほどで、持ち上げたところで負担にはならない。
怪我はないみたい、そう告げると、斗真は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、一度伊良布村へ帰ろうか。突然飛び出してきたから、お婆さんたちも心配してるでしょ!」
明るい声で仕切る斗真に、香織は静かに頷く。他の面々も異論はないようだ。
一面に広がる銀世界は、先ほどと何も変わっていない。相変わらず強い風が吹きつけ、途切れることなく雪が降り続いている。
それでも。香織は、両腕に抱える狐へ視線を落とす。彼女の腕には、間違いなく今を生きる命があった。
ちゃんと助けられた。その安堵から、香織の胸に温かなものが広がる。
吹き付ける吹雪も気にならないほどに、彼女の足取りは軽くなっていた。
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