第21話 救出を阻むのは
激しい風が行く手を阻む。降り続く雪と相まって、香織たちの動きを鈍らせていた。時折高い音を響かせて吹き荒ぶ風に、香織は眉を寄せた。
これ以上天候が悪化すれば、捜索の継続は困難になる。自身の身すら危険に晒されるからだ。助ける側が救助を要するようでは話にならない。二次災害を起こすわけにはいかなかった。
一方で、捜索を断念すれば要救助者の命に関わる。それだけは避けたい展開だ。
今の香織にできるのは、一刻も早い発見のため、神経を研ぎ澄ますことしかなかった。
「っ、あれを見てください!!」
懸命な捜索が功を奏したのか。激しい吹雪に見舞われながら進んだ先で、ある異変を確認した。すぐに香織は声を張り上げ、後続に伝える。
彼女が指さす先、そこには一匹の狐が横たわっていた。
「何あれ、でかい犬?」
「いえ、狐ですね」
狐……。紬が不思議そうに声を漏らす。実物を見たことがなかったのだろう。ポカンと口を開けて、首を傾げている。
香織はじっと狐を見つめる。声が聞こえてきた場所は、間違いなくここだ。狐が声を上げたのかは不明だが、少なくとも、この場には明らかな異常が確認できる。
横たわる狐を避けるかのように、周囲には雪がなかったのだ。吹雪に見舞われているとは思えぬ光景だ。土の地面が見えているほどである。狐の周囲のみ、透明な膜が張られているかのようだ。横たわる身体にも、雪は一つも付着していない。
狐自身を見てみると、外傷があるようには見えなかった。周囲に血の跡もないことから、怪我を負っているわけではないらしい。
病気か、それとも飢えによるものか。原因は分からないが、何等かの理由で地に伏せているようだ。
毛並みは荒れ、本来は美しいだろう毛が明らかに汚れている。泥がついているのか、不自然に固まっている箇所もあった。胴回りだけでなく、顔やしっぽの先まで黒ずんでいる。
「怪我の類ではないようですが、あきらかに苦しそうですね」
「あぁ。何が原因かは不明だが、自力で立ち上がれないほどに弱っているようだ」
香織の言葉に、本居が頷く。狐へ近づき容態を確認しようとするも、それは思わぬ形で遮られた。
「な!?」
「何これ!?」
香織と紬が声を上げる。視線の先に、黒い靄が漂い始めたのだ。何の前触れもなく、突然目の前に現れてきた。
どこから発生したのかは分からない。少なくとも、道中でこの靄を目にすることはなかった。狐の周囲に雪が無いことといい、この地には何らかの異常があるのだろうか。
突然現れた黒い靄は、狐の姿を覆い隠すように立ちはだかる。最初は靄の先に狐の影が見えていたものの、次第に濃さを増していき、10秒ほどで完全に見えなくなってしまった。
「おいおい、まじかよ」
斗真が声を漏らす。その声を聞き、香織はちらりと視線を送った。斗真の表情はどこかひきつっているように見える。言葉にせずとも、現状が良くないことは察せられた。
「斗真、あれは?」
「……穢れだよ」
「穢れ、ね」
香織の脳内に、旅立ちの日が思い起こされる。本居たちとの話し合いを終え、甲板へ向かったときのことだ。
あの日、香織は初めて瘴気を見た。この国を覆い、多くの命を奪っている元凶。そのとき見た瘴気は、紫色だったと記憶している。
一方、目の前の黒い靄は穢れと呼ぶらしい。瘴気と穢れの関係性は不明だが、別物のようだ。
斗真の反応を見るに、穢れの方が厄介な代物なのだろうか。瘴気を目にしたときとは、大きく反応が異なっている。
少なくとも、決して楽観視していい状況ではないようだ。
そこまで考えて、香織は思考を切り替える。今は現状打破が第一。目の前に現れた以上、穢れとやらを放置するわけにもいかない。
そもそも、救助を求める声はここから聞こえていたのだ。この場を離れるという選択肢はない。
香織は周囲へ視線を向ける。他に生き物がいる気配はない。この場の異変を無視すれば、周囲に広がるのは雪のみだ。足跡一つ存在しない。
それならば、あの声の持ち主は奥に倒れている狐だったのだろうか。狐が人語を発するとは解し難いが、ここは異世界。ありえないとも言い切れない。
「香織ちゃん!」
斗真の声と同時に、香織の身体が強く引っ張られる。驚きの声を上げる暇もなく、彼女の視界は赤で染まった。
目前に広がるのは、灼熱の炎だ。囲炉裏で見た穏やかなものとは異なり、全てを焼き尽くすかのような激しい炎が広がっている。
「香織ちゃん、怪我は?」
斗真が自身の後ろに立つ香織へ声をかける。彼が振り返ることはなかった。厳しい視線のまま、燃え盛る炎を見据えている。
彼の左手に、ぱちりと火の粉が散った。どうやらこの炎は彼が出したものらしい。
「大丈夫。ありがとう」
香織はそう答えると、前に立つ斗真の背中を見つめる。何が起きたのかは分からないが、どうやら自分を守ってくれたようだ。赤い炎に照らされた頼もしい姿に、ほっと息を吐いた。
炎の勢いが次第に弱まっていく。この吹雪の中だ、それも当然だろう。
むしろ、この悪天候の中、よくあれだけの炎が出せたものだ。咄嗟の判断力に加え、瞬時に強力な炎を放てる能力。若くして大佐という地位に就いた理由、その一端を垣間見た気がした。
「なんか可笑しくない?」
紬が怪訝そうに声を漏らす。炎が収束し、晴れた視界の先では、穢れが異様な動きを見せていた。
穢れは実体が無いハズの黒い靄。にもかかわらず、まるで意思があるかのように動き出したのである。
先ほど斗真が香織を下がらせたのは、この靄が迫っていたからだろうか。自在に動いている姿を見るに、あり得ない話ではないだろう。
動きを注視していると、穢れは吸い寄せられたかのように集まっていく。ただ中央に集まるのではなく、数十の塊を作り上げている。それぞれが定められた場所へ収まっていくかのようだ。
「これは、」
本居の声が落ちる。誰も、その先を言えなかった。
黒い靄が、瞬く間にはっきりとした異形へ姿を変えたからだ。寄り集まった靄は、人の手を象っている。目の前には数十本に及ぶ黒い手が蠢いていた。
「何よ……これ! 気持ち悪い……!」
紬の声が耳を打つ。その瞬間だった。
一本の手が凄まじい速度で動き出す。それは迷うことなく真っ直ぐに、紬へ伸ばされていた。
「紬さん!」
「え、」
香織が紬の名を呼ぶ。彼女は声を漏らすも、その場から動くことはなかった。突然自身に襲いかかるソレに、脳の理解が及ばないようだ。完全に思考が停止しているのか、回避行動をとれそうにない。
香織は腰元の拳銃へ手を伸ばす。間に合え、そう願いながら拳銃を構えた瞬間、冴え冴えとした刃が視界に映った。
「な、」
「ご無事ですか、神子様」
振るわれたのはたった一閃。その一振りで紬を守ったのは、白銀だ。刀に斬り捨てられた手は、ぼとりと不気味な音を立てて地に落ちる。
しかし、話はそこで終わらなかった。切り落とされた手は、まるで生きているかのように指を動かし始めたのだ。何かを必死に探しているかのように、五本の指が蠢いている。
その光景は異様と言うほかない。香織は理解の及ばぬ光景に、喉が引き攣るのを感じた。
切り落とされた手が動きを止める。すると、一瞬で黒い靄となり宙を舞った。そのまま消滅してくれればよかったのだが、そうはいかないらしい。吸い寄せられるかのように、黒い手の集団へ戻っていった。
「見たところ、末端を始末しても意味が無いようだな」
「そのようです。何度斬り捨てようと再生する可能性がありますね」
本居の言葉に、白銀が頷く。先程の光景を見る限り、その予想は正しいだろう。ただ闇雲に破壊しても、意味はなさそうだ。
「うーん。じゃあ、一回全部燃やしてみます?」
多分効果ないと思いますけど。そう付け足すと、斗真は小声で何事かを呟く。
その直後、真っ赤な炎が黒い手に襲いかかった。象られた全ての手に対応するように、膨大な数の炎球が放たれていく。
大きな衝撃音が鳴り響く。炎を受けて黒い靄が宙を舞った。あの黒い手は、一定以上の攻撃を受けると一度靄へ戻るようだ。斗真はそれを見逃さず、靄そのものへ向けて再び炎を放つ。
炎の威力と風圧を受け、靄が周囲へ押し流されていく。薄まりかけた靄の先に、横たわる狐の姿が見えた。すぐにまた靄に隠れて見えなくなったものの、狐の容態に異変はなさそうだ。斗真の術は緻密にコントロールされているのか、狐には炎による攻撃が届かずに済んでいるらしい。
香織は安堵の息を吐くも、慌てて気持ちを引き締める。安心するにはまだ早いと、前を見据えた。
視界の先には、予想通り黒い手が蠢いている。靄を吹き飛ばすように追撃したものの、あっさりと再生してしまったようだ。どうやらこの穢れを対処するには、場当たり的な攻撃は意味をなさないらしい。根本から根絶させる何かが必要なのだろう。
香織は一人、唇を噛み締める。彼女の耳に届く声が、悲痛な色を滲ませていたからだ。
何としても救わなければ。その一心で、彼女は思考を巡らせた。
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