第14話 再会の喜びを、君へ
「はいはーい! 暗い話題はそこまで! 二人とも仕事人間だなぁ、もう!」
神妙な空気を断ち切るように、斗真が声を上げる。張り詰めた空気は霧散し、香織の肩の力も抜けていく。幼い頃からムードメーカーだった彼は、今も変わらないようだ。
「ほら、香織ちゃん。おつまみ来たよ! はい、どうぞ!」
そう言って口元に唐揚げを運ばれる。あまりにも自然に行われた動作に、香織はつられて口を開いた。口の中に鶏肉の肉汁が溢れ出す。香ばしい醤油と生姜の香りに、食欲がそそられる。
美味しい? 笑いながら尋ねる斗真に、香織は無言で頷いた。そこでふと思い至る。あまりにも自然だったから気を抜いていたが、これは距離感可笑しくないか、と。
そろりと視線を前の二人へ移す。佐伯はあんぐりと口を開け惚けており、本居は面白いものを見るかのように笑っていた。
どこか居たたまれない気持ちになり、香織は慌てて唐揚げを飲み込んだ。猪口へと手を伸ばし、一気に中身をあおる。
「香織ちゃん? どうかした?」
不思議そうに香織を見る斗真に、彼女はじとりとした目を向けた。
こいつ、慣れてるな。そんな虚しさと苛立ちが心の中に駆け巡る。女性慣れしているだろうことは、本居の発言で気づいていた。まさかそれを、自身への振る舞いで実感させられるとは思っていなかったが。
「なんでもない。すみませーん! 滝落とし一合!」
「あいよ!」
「ちょ、香織ちゃんペース早くない!?」
ぎょっとしたように目をむく斗真に、香織は内心で吐き捨てる。吞んでなければやってられない。とりあえず酒をくれ! そんな気持ちですかさず注文した。
「白魔に滝落としか、実にいい趣味だ」
「いや、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ師団長!」
何、俺が可笑しいの!? 一人混乱する斗真をよそに、香織は届いた酒に舌鼓を打つ。美味しい、そんな声を漏らすと、本居は嬉しそうに笑った。
「ここは本当にいい酒が置いてあるんだ。しかし、君の飲みっぷりを見ていると、俺も清酒を頼みたくなるな」
「では是非次は清酒にしませんか? おすすめあったら教えてください」
「いいだろう」
どれにするか、そう言って本居はお品書きへ目を通す。それをのんびりと見届けていると、斗真が隣りでため息を吐いた。
「香織ちゃん、お酒強いね……」
「? まぁ、人並みには」
「人並み越してるよ」
強い人って、大体そう言うんだよなぁ。斗真のぼやく声が聞こえる。それに首を傾げながら猪口を傾けると、斗真もジョッキを一気にあおった。勢いそのままに、大将へ声をかける。
「大将! 麦焼酎の麦茶割もう一杯! 濃いめでお願い!」
「大将、こちらには天鼓を一合頼む。猪口は二つ用意してくれ」
あいよ! 明るい大将の声が響く。どんどんと出ていく酒に、大将も上機嫌のようだ。
一方、机にはいつの間にやらおつまみが並んでいく。先ほど頼んだ覚えのないものまであった。ふと前を見ると、佐伯が嬉しそうに箸を運んでいる。どうやら彼がこっそり頼んでいたようだ。
「お待ちどおさま、麦焼酎の麦茶割に天鼓一合ですよ」
女将さんが優しい笑顔で差し出した。本居は二つの猪口に酒を注ぐと、一つを香織へ差し出した。
「これは辛口の中でも、結構キレが特に良いものだ。試してみてくれ」
「ありがとうございます。いただきます」
そう言って二人で乾杯すると、猪口へ口をつける。
喉に焼けつくような熱が走ったかと思うと、すっきりとした味が口の中に広がった。鼻に届くのは豊かなお米の香り。キレのある淡麗な味わいに、香織の顔がほころんだ。
「すごい……! これ美味しいですね!」
「気に入ったか?」
「はい! 口に含んだ直後は仄かな甘みがありますが、キレがよく適度な刺激も感じられます。おつまみにもよく合いますね!」
「気に入ったなら良かった。これは俺の気に入りの清酒なんだ」
良ければまた頼むと良い、そう言う本居の顔には笑みが浮かんでいる。やはり好みが合うもの同士だと、話が弾むというものだ。
「二人のお酒好きは凄いなぁ。
あ、そういえば師団長、香織ちゃんの住む家ってもう目星つけてるんですか?」
斗真の突然の質問に、香織は驚いたように彼へ視線を向ける。想像だにしない話題だったため、驚いてしまった。
そもそも、その以来をしたのは昨日のこと。さすがに昨日の今日で決まりはしないだろうと、香織は気にもしていなかった。
「あぁ、一応いくつか候補はある。内見の予定を決められるのは、もう少し先になるだろうが」
本居の返答に、香織は呆気にとられた。まさかそこまで進めてくれているとは。一ヶ月くらいはみるようかと思っていたために、そのスピード感には驚きしかない。
「えぇー、師団長、仕事早すぎません? 神子の家決めるのは良いですけど、香織ちゃんの方は遅らせてくださいよ」
「「ちょっと待て」」
何言ってんだお前、本居と香織が同時にツッコミを入れる。斗真はそれを意に介さず、不満を漏らしていた。
「だって! 俺の家来れば良いって言ったのに、家出来たら香織ちゃんそっち行っちゃうじゃん!」
「当たり前過ぎない?」
「こいつは何を言ってるんだ……」
香織は呆れたように言葉を漏らし、本居は右手で頭を支える。斗真の家に行く、その案は昨日既に握りつぶしたはずだ。斗真の中ではまだ続いていたのかと、香織は遠い目をしてしまう。
元カノを家に招くとか、本当に意味が分からない。こいつに気まずさという感情はないのか? 香織はその考えを、清酒で飲み下した。
「俺が間違って召喚しちゃったわけじゃないですか。なら俺が面倒見るべきだと思いません!?」
「それについては同意するが、住居が同じである必要性はないな」
本居の返答に、香織は内心で同意する。この世界に馴染むまで、常識や仕事面でのサポートは是非ともしていただきたい。しかし、住居は別だろう。
「香織ちゃんだって、初めて来たところじゃ不安でしょ!? 俺が一緒の方が良いと思わない!?」
「気苦労が増える」
「冷たい!」
香織ちゃんクールすぎ! 駄々をこねる斗真に、香織は一人ため息を吐いた。
好きだったけれど、もっと言えば今も好きなのだけれど。こちらに来てからというもの、どうにもペースを崩されてばかりだ。女遊びをしているらしい男に、家に誘われて素直に喜べるはずがない。それが好きな相手ならなおさらだ。
「でも、うちの母さんだって香織ちゃんに会いたいはずだよ!」
その言葉に、香織の手が止まる。斗真の母親、彼女には幼い頃から良くしてもらった。斗真と幼馴染だったこともあり、いつも優しく接してくれた。香織にしてみれば、第二の母のような存在だった。
斗真の口ぶりからするに、どうやら一人暮らしではないらしい。普段が寮生活だから、一人暮らしをする必要もないのだろう。
「そっか、おばさんいるんだ」
「そうだよ! 久しぶりに会いたいでしょ!?」
斗真が身を乗り出して聞いてくる。香織はにっこりと笑みを浮かべた。
「そうだね。じゃあ今度おばさんに会いに行こうかな」
「ん? いや、遊びに来てって話じゃなくてね?」
いや、来てほしいけど! 一人葛藤する斗真に、本居は重い息を吐く。「櫻井君、苦労かけるな……」ぽつりと零された言葉に、香織は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「とりあえず、櫻井君の家は予定通り見つける。その約束だからな。お前の希望は知らん。自力でどうにかしろ」
「師団長!? もう少しくらい味方してくれても良くないですか!?」
「勘弁してくれ。業務範囲外だ」
不満を垂れる斗真に、すげなく断る本居。普段からこんなやり取りなんだろうな、と香織はぼんやりと眺めた。
15歳で別れた後のことを、香織は深く知らない。知るはずもなかった続きを見る今は、映画を見ているかのような、不思議な心地がした。
酒と食事を堪能し、皆が満足した頃。全員で宿舎へと戻ることになった。
前を歩くのは本居と佐伯。香織と斗真は、少し離れて後ろを歩いている。示し合わせたわけでもなく、自然と距離が開いていく。
前の会話が聞こえ辛くなった頃、斗真がおもむろに口を開いた。
「香織ちゃん」
「なに?」
空には美しい月が浮かんでいる。街灯やネオンが少ないからか、星空は日本より美しく見えた。
夜空を見上げながら、香織は軽く返事を返す。二人きりになるのはどうにも緊張してしまう。昔なら当たり前だった距離が、今は少しも落ち着かなかった。
「俺ね、香織ちゃんだけはこの世界に来てほしくなかったよ」
その言葉に、香織は息を飲む。夜空へ向けていた視線を、隣へ移した。
そんなに自分に会いたくなかったのか、反射的に憎まれ口が出そうになったものの、それは不発に終わった。
言葉を発した斗真の顔が、酷く悲しい笑みを浮かべていたからだ。
「でもね、会いたかったんだ。
ずっとずっと、香織ちゃんに会いたかったんだよ」
会いたかった、そう告げる彼は、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべている。
それを見て、香織はかける言葉を失った。
本居は言っていた、斗真は女性関係が派手だと。話を聞いていなければ、香織はもう少し素直に彼の言葉を受け止めただろう。
今となっては、彼の言葉をどう受け取ればいいのか、その判断ができなかった。
黙ったままの香織に、斗真は苦しそうに笑う。彼女へ自身の言葉が届いていないことを、察しているかのようだ。
香織はゆっくりと瞼を閉じ、息を吐く。
もう一度目を開けると、斗真へ穏やかに微笑んだ。
「無事で、よかった」
その一言に、多くの思いを乗せて。
――――――――――
こちらで第一章は終了となります。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
面白いと思っていただけましたら、星や応援をお願い致します。
そして何より、二章以降も皆様にお付き合いいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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