第二章 白銀の世界へ

第15話 新たな一歩を踏み出すために


 眩い光を放つ太陽が、天高く上る時刻。香織は本居と共に廊下を歩いていた。

 先ほどまで少年への事情聴取が行われていた。当初から疑われていたとおり、少年は実の親から売られていた。購入者は先日取り調べをした被疑者だ。


 取引金額や、詳細な内容については未だ不明。被害者である少年が知るはずもなく、こちらについては被疑者や少年の両親を取り調べることになった。

 少年の両親については、現在逮捕に向けて準備を整えているところだ。被疑者が素直に供述しているのを見る限り、そう時間はかからないだろう。


 「櫻井君があの男を取り調べてくれたおかげだな。誘導されてボロを出したことに愕然としているようだ。一番の重罪が明かされた以上、素直に取り調べに応じてくれている」

 「お役に立てたなら何よりです。人身売買という重罪に加え、未成年者への許しがたい振る舞い。到底、見過ごせるものではありませんでしたから」


 売買後、少年は相当劣悪な環境に置かれていたらしい。殴る蹴るの暴力は日常茶飯事だったようだ。満足な食事の支給もなく、彼の手足は見るからにやせ細っていた。

 本来であれば、顔に丸みがある年頃。

 しかし、少年に丸みはなく、頬は肉が落ちている。生活環境の悪さを物語る姿だった。

 

 事情聴取を開始してすぐに、香織は少年へ名前を尋ねた。その問いに、彼が答えることはなかった。

 否、正確には答えられなかったのだ。彼には、名前がつけられていなかった。少年の両親が何を考えていたのかは不明だが、生まれたはずの子どもに名前一つつけていなかったのである。


 これに愕然としたのが香織だ。現代日本では、通常そんなことは考えられない。誰もが当たり前に与えられているもの、それが名前だ。


 名前すらつけずに子を捨てる親がいないとは言わない。是非はともかく、様々な事情で育てられず、手放すケースだってある。

 けれど、多くの子どもは名づけられ、親元で育てられている。育て方に難があるケースはあるが、一定期間親元にいるのなら名前がつけられるのが通常だ。

 にもかかわらず、少年は名前一つ持っていなかった。親元にいた時期もあったのにだ。その事実は香織にとって信じがたい内容だった。


 辛い境遇を生き抜いてきた少年。彼の今後については、一筋縄ではいかなかった。

 こちらの世界でも人身売買は立派な犯罪だ。少年の両親は当然罪人となる。彼らの下へ返す意味はなく、少年は軍で一時預かることになった。


 本来であれば、然るべき機関に預けたいところだ。

 しかし、今はまだその余裕がない。本人の口数が少なく、周囲の人間を酷く警戒している。出される食事も食べていいものなのか判断がつかず、中々手をつけないようだ。

 新しい環境へのストレスもあるのだろう。満足な食事量が摂れず、睡眠も足りていないらしい。


 この状況で新しい環境下に送り出していいものか。判断が難しくなっていた。


 国自体が困窮している状態。孤児院の環境がどの程度整えられているのかも疑わしい。人身売買が水面下で行われているほど治安も悪化している。警察の捜査すら十分に行われていないのだ。

 一度救い出された少年が、次の場所でも劣悪な環境に置かれる可能性がある。そこに思い至って、呪術師団は頭を抱えた。


 また、少年が呪術師の才を持っていることも問題だった。問題点は主に二つ。

 一つは、周囲への危害を与えかねないこと。能力を扱いきれぬ場合、本人の意思に反して周囲へ影響を及ぼす可能性がある。感情の高ぶりと共に霊力を暴発させた場合、その被害は甚大なものとなる。


 もう一つの問題は、霊力の高さゆえに良からぬモノを惹きつける可能性があることだ。コントロールができないと霊力が駄々洩れとなる。それは妖や鬼といった存在を引き寄せかねないらしい。


 詳しいことは今の香織には分らぬが、簡単に他の機関へ引き渡せない事情があることは理解した。


 そのような経緯から、少年は一つの部屋をあてがわれ、そこに滞在している。

 まずは心身を整え、霊力のコントロールを身につけること。それが出来て初めて、彼を市井に送ることができる。


 せっかくここで過ごすことになるのだ。滞在期間中、少しでも彼が穏やかに過ごせるといい。香織は一人願っていた。

 痛みがあろうと表情一つ変わらなかった少年。子どもとは思えぬ姿に、香織の胸は締め付けられた。あの少年が、少しでも感情を出せるようになれば。

 あまりにも痛々しい少年の姿を見て、香織は願わずにはいられなかったのだ。




 事情聴取が終わり、香織が本居に連れてこられたのは訓練場だった。

 訓練場は屋外にあり、地面が土で覆われている。草花などは一切なく、せいぜい訓練場の端にひっそりとあるくらいだ。

 訓練場の周囲は高い石壁で囲まれており、木材などは置かれていない。休憩に使用するような椅子などもなかった。


 この訓練場は、主に呪術訓練で利用するらしい。武術の練習では、基本的に室内の鍛錬場を使用するのだとか。


 呪術の場合は、周囲へ暴発等の恐れがあるため、屋外かつ障害物のない場所が必要らしい。火を出す術などもあるようで、草花がないのも当然かと香織は納得した。延焼が起きないよう、徹底した管理をしているようだ。


 軍施設は帝都の中に存在する。万が一ここが火元になった場合、その被害は甚大だ。そのリスクを減らすためなのだろう。延焼の原因になるものは避け、市民生活を守ろうとしているらしい。


 訓練場には、斗真と佐伯の姿があった。どうやら先に待っていたようだ。二人は何か話し合っている。

 場内にはその二人だけでなく、離れた場所に神子の少女と見知らぬ男性が立っていた。男性の方は白い軍服に身を包んでいることから、魔術師団の一員だろう。


 「あ! 香織ちゃん! 待ってたよー!」


 どうやらこちらに気づいたようだ。ぶんぶんと手を振る斗真に、香織は苦笑交じりに片手をあげる。隣にいる本居は盛大なため息を吐いていた。成人男性とは思えぬ行動に、悩ましく思っているようだ。


 本居とは内容が異なるものの、香織も斗真の姿に少し悩んでしまう。

 昨日のやり取りは一体何だったのか。帰り際の神妙な雰囲気を引きずることなく、斗真は屈託なく笑っている。返答を濁してしまったのは香織だが、それにしても切り替えが早い。

 香織はどこか複雑な気持ちになりながらも、仕方ないと笑みを浮かべた。


 思えば、斗真は昔から切り替えが早いところがある。強いこだわりを見せるときもあるけれど、根本的には楽天家だ。どうしても譲れないモノ、それだけは決して譲歩しないが、それ以外には頓着しない。


 香織がこの世界に来ることを彼は嫌がっていたようだが、来てしまった以上どうにもならないのだろう。本居いわく、帰る方法自体はあるが今すぐは困難とのこと。仮にすぐ帰せたのなら、斗真は間違いなく香織を送り返しただろう。


 そうしない以上、この件は諦めざるを得ないということだ。彼の中では、既に折り合いがついているのだろう。


 香織は気持ちを切り替える。視線を奥へずらすと、驚いた顔をしている神子と男性の姿があった。視線の先には、屈託なく笑う斗真の姿がある。


 神子に関しては想像がつく。先日、斗真にすげなくあしらわれていたからだ。あの時の顔はいつもの彼らしくなく、酷く冷たかった。そんな姿を見ていた以上、神子が驚くのも無理はない。

 しかし、あの男性はなぜ驚いているのか。服装から見るに斗真と同僚だろうに。香織は内心で首を傾げた。


 「揃ったな。白銀しろがね、こちらが勇士様だ。まずは挨拶を」

 「承知致しました」


 本居の指示に、男性がこちらへ近づいてくる。銀色の髪に、紫色の瞳。和名の名前からは想像できない色味だ。顔立ちは整っており、珍しい色彩に負けていない。


 異世界である以上、あり得ないことではないのだろう。現に、斗真も金の髪に琥珀色の瞳をしている。

 それでも、香織にとってはどこか違和感を覚える容姿だった。


 「お初にお目にかかります。呪術師団第一部隊隊長、白銀蓮しろがねれんと申します」

 「ご丁寧にありがとうございます。櫻井香織です。以後よしなに」


 そう言って挨拶を返すと、白銀は一瞬目を大きく開いた。

 しかしその表情はすぐに元へ戻され、今は落ち着いた表情を浮かべている。見間違いかと思うほどの切り替えの早さに、香織の方が驚いてしまうほどだ。


 「神子様、こちらへ」


 白銀がそう言うと、神子の少女が近づいてくる。彼女は面倒くさそうな顔をするも、黙って指示に従っていた。

 先日会った際、決して友好的とは言えない対応だった。香織はそれを思い出し、この反応も仕方ないかなと苦笑を浮かべる。


 「勇士様、ご存知かもしれませんが、ご紹介を。

 彼女は一条紬いちじょうつむぎ様。勇士様同様、召喚された神子様です。私たち第一部隊は彼女の支援にあたっております」

 「そうでしたか。彼女はまだ、私たちの国では未成年です。本来であれば、保護者の監督の下生活をする身。

 彼女が不要な危険に晒されることがないよう、適切な対応をお願い致します」


 香織の言葉に、紬が驚いたように目を丸める。


 その瞳が一瞬揺れたのを、香織は視界の端で確認した。


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